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「そうでもなくっ」

 思わず頭を抱えた。世間知らずと言っても限度がある。このまま何も言わずに依頼を受託すれば、樹は何の疑問も抱かず小切手を手渡してくれるだろう。だがそれは客観的に見て、明らかに公正な取引とは言えない。

 とはいえ、店としてはこれ以上ない上客であることに間違いない。なにしろ指の製作だけで六百万円だ。これだけあればスフェーンは少しの期間、余裕を持った運営を続けられる。今スフェーンにいる一人の従業員もどきに支払う給与の心配もしなくてよいのだ。この機会を逃し今以上に客足が遠のき、店の存続が危うくなる可能性を考えれば、いくら奇怪な依頼であろうと断る選択肢は存在しない。

「……分かりました。ご依頼、引き受けさせていただきます」

「本当ですかっ、やったっ。ありがとうございますっ」

 目を輝かせた樹の笑顔は天真爛漫そのもので、眩しかった。不治の病に侵されていようと、心からの歓喜でしか今の声色はありえない。

「私、普通なら断られるだろうなって思ってもいたんです。いきなり押しかけて、私の指を作れえ、だなんて。不躾にも程がありますから」

「いや、そんな」

「でも城戸さんはきちんと私の話を聞いてくれて、依頼まで受けてくれて。本当に嬉しいです。城戸さんが優しい人でよかった」

 勘弁して欲しい。金になびいて依頼を受けた自分が惨めに思えてならない。

 かちゃり、という陶器のぶつかる音がして目線を上げると、朗義の右手を挟むように包む樹の両手が映った。

 手のひらには温もりと、硬く冷たい感触が混じっている。

 熱にうなされた体のようだと、朗義は思った。

 樹は興奮気味に朗義の右手をぶんぶんと上下に振り回す。力を込められた両腕は、指がなくとも朗義の手を離すことはない。

「分かりました、分かりましたから。そんなに力んで痛くないんですか。その、傷というか」

「この病気、痛みはほとんどないんですよ。ただ硬くなって崩れちゃうだけです」

「反応し辛いですよ」

「あはは、ごめんなさい」

 樹はにっこりと笑みを浮かべてソファへと座り直す。

 その底抜けの明るさに振り回されるのも、少し慣れた。おそらく樹が自身の病気に関して、後ろ暗さを感じさせることはないのであろう。樹が見据えるただ一つの未来はきっと、球体関節で肉体をドレスアップさせた自分の姿なのだ。

「じゃあ楔野さん」何にしても、下準備は必要だ。「採寸をしましょう」

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