僕と余は黒猫同命〜デミヒューマン放浪記〜(仮題)

百々目の印

第1話

…寂しかった…お腹も空いてたから…

視界の端で小さなネズミを見つけた時は

咄嗟に体が動いてた、掴めた瞬間は嬉しかったのを覚えてる。でも直ぐに、自分が何を望んでるのか彼に打ち明けなきゃいけないって気づいたんだ


「ごめん、ごめんなさい…」


両手の肉球越しに感じる生命の暖かみ

小さくも力強く感じたそれは、今にも僕の手を払い除けて遠くへ逃げ出してしまいそうだった


僅かな光も届かない地下水路の暗闇で

爛々と光るこの目は彼には怪物に見えただろうか

キーキーと岩壁に木霊する悲鳴を聴きながら

僕は、手の中の小さなネズミに許しを乞う

謝っても全部自己満足だって分かってたけど、お腹の中でたくさん怒ってくれていいから、だから__。


『おい、ボケッとするでない、貴重な糧が逃げてしまうぞ』


「ごめん、大丈夫…ちゃんと見てる」


ガサガサと揺れる草むらを視界に捉えながら、僕は木々の枝上を跳ね伝い徐々に距離を詰めていく


『「見えた…!」』


草むらを抜けた緑の原に、ずんぐりとした野ネズミが姿を表した

一目散に駆けるその姿目掛けて飛びかかる


肉に爪が食い込まないように、力を抜く

あまり痛みを与えないように、押さえ込む

彼の勢いを殺しながら、僕の体は回り込む様に空中で反転して草地に着地した


「ごめ…」


『まだ直らんのかその癖は』


グッと言葉を飲み込んでから、深く息を吐いて

手の下で暴れるその首元に力を加える

小さな鈍い音がして、震えと共に彼の身体から力が抜けていくのが分かった


『「いただきます」』


日が傾きかけていた、森の中も次第に影が差してきて虫達の声も甲高いものに変わってきている

まだ火の残る焚き火を前にして、満たされた安心感でまどろみそうになる僕とは対象的に、彼は

「ネズミの王」はまだ少し機嫌が悪いみたいだ


『デミよ、余は貴様の覚えの悪さにほとほと愛想が尽きてきたぞ』


「うん、やっぱり慣れなくて…ごめ…」


『それを止めろと言うておるのだが』


内から響く苛立った様子の声に、僕はつい背中を丸めて眉を潜めてしまう

もう一度"ちゃんと"心の中で謝罪する、彼はフンッと鼻を鳴らし納得いって無さそうだけど謝罪を受け入れてはくれたみたいで


『まぁ良い…が、水路遺跡ではなく此処で寝るのか?またスコールでも降ってはかなわんぞ』


「うん、今日は多分…大丈夫だと思う、ヒゲはそんなに重くないから」


『そうか』


「心配してくれてありがとう」


『…バカモノめ、風邪でもひかれたら余まで不快になるであろうが』


もう何度こんなやり取りをしただろう、それでも飽きることなく叱ってくれる友達に__


『誰が友だ、余は王であるぞ』


__そうだね、立場は違うけど感謝してるって気持ちは変わらないから、また明日…がっかりさせないように…ちゃんとしがなきゃ…


日が沈みきった森の中で、少年「デミ」は小柄な体を草の上に横たえる

サイズの合っていない衣服から黒い毛皮混じりの褐色の人肌が外気に晒され、尻尾を身体の内に丸めて抱きながら黄色い虹彩は瞼の重みで閉じていく、銀色の髪の間から覗く黒い猫耳が時折ピクリと跳ねる以外、辺りに動くものは無く微かな寝息と共に夜は更けていった


それから何度目かの、大雨が降りしきる朝だった

体が濡れてしまわないよう水路遺跡の暗闇で目を覚ました僕が

随分久しぶりに「ネズミの王」に褒められたのは


『良く死なずに済んでおるな、今日で齢14だ』


「…え?」


『今日で14だ、と言ったのだ』


「あっ…ありがとう!また数えててくれたんだ…」


『数えてなどおらん、"知っている"だけだ…バカモノめ』


「あはは…そうだった、今日で10回目だね、王様に褒められるの」


『貴様はいちいち数えておるのか…不便よな、覚えが悪い頭脳というのは』


数えるよ、滅多に褒めてくれたりしないんだから

まだ開ききらない目の回りを手で擦りながら遺跡の入り口に視線を移す、滝みたいに雨が降っていて当分止む気配は無さそうだった


「ねぇ王様」


『何だ』


「初めて声をかけてくれた時の__」


『調子に乗るなよデミ、褒めたからといって思い出話に付き合ってやるほど余は暇では無い』


ピシャリと言い切られて、そのまま王様の声は聞こえなくなってしまう


「折角の誕生日なのに…忙しいのは、しょうがないけどさ…」


結局、僕は頬杖をついて外の雨を眺めながら

一人で思い出の中に出掛けることにした


あれは何回目かの"狩り"をした時

ずっと空腹を我慢して、水路の中をウロウロしては寝て、誰かいないかって、今はもううっすらとしか覚えてないお父さんやお母さんを呼んでみたりしながら…時折見かけるネズミ達への、膨れ上がる関心を抑え込もうとしていた頃だった


食べたい…お腹空いた…何か食べたい…


頭の中はそれしか考えられなくって、此方を伺うネズミの目に身勝手な増悪すら芽生え始めてた頃


『あのネズミを食すか、小僧』


胸の内から頭の先を震わせるような、低くて威厳に満ちた声が僕の中で響いた


「…だ、だれ…?」


『あのネズミを食すのか今、余が問うているのだ…貴様に、ネズミを食いたいかとな』


「あの…、それは…僕は…」


『なんだ貴様、一度ならず二度までも余の問いかけに答えんとは…余程出来の悪い小僧とみえる』


はぁ、と深く失望した様な溜息が体の内側で響く

あんまりにも初めての感覚に僕は、混乱して

立ち尽くしたまま狼狽えるしかできなかった


『もう良い、さっさと糧を得るぞ、このまま貴様と問答に興じるほど余は寛大では無いのでな』


「糧…って、でも…またあの、嫌だ…怖い」


生命を摘む感覚、流れる血の暖かさ、木霊する鳴き声、そのどれもがたまらなく不快で、ずっと目をそらしていたかった。それで自分が死んでしまうならそれでも__。


『小僧、余は飢えたなら虫でもゴミでも食うぞ』


「………っ?」


『彼処に見えるネズミ共もだ、貴様が死ねばその屍を貪り尽くすだろうとも…もっとも、骨と皮だけでは満ち足りぬ食事であろうがな』


「…別に、いいよ…僕も、同じことしたんだ…」


『そうだ、だからだ、だから余は貴様に糧を得ろと言っておる』


「…どういう、…意味で…」


『回らぬ頭で考えたとて仕方あるまいよ、どれ、この身体を譲れ…余が直々に手を下した訳では無いが、糧を得てきた身体を無為にする気も無い…貴様に代わり余がネズミを食らってやる』


まるで話が入ってこなかった、それでも聞こえてきた言葉が頭の中で反射して跳ねまわって

全部を理解する前に、否定しなきゃって感じた


「僕の身体で、君が代わりに…駄目だよ、それじゃ…」


『「それじゃあ駄目だ」』


『…フン、何だ理屈は通じぬとも、多少は道理を弁えておるでは無いか小僧』


正直何が良くて、何が駄目なのかハッキリとは分からなかった

でもこのまま、このまま何もしないで死んじゃったら、僕の中で怒っていいよって伝えたあの日の彼を騙しちゃう気がしたんだ


『腹は決まったか?小僧』


「…デミっていうんだ…僕の名前」


『そうか、まるで興味の湧かん名だ』


「………あの…君?は…」


『何?余の名を知りたいと申すか、随分と余裕があるでは無いか……小僧、余は王だ。それ以外の何者でも無い、が…そうさな』


『強いて言えば貴様が食ってきた、いやこれから食っていく者達全ての王だ、よって今は…』


「…ネズミの王様?」


『何だ貴様は先程から口を挟みおって、妙に生気が戻ってきたな…が、良いことだ…これで余が手を下さずとも飢えずに済みそうだ』


胸の奥が少しずつ和らいでいく感じがした

誰かと、声しか聞こえないけど…こうして話すのは凄く懐かしい気がして、同時に

僕はちゃんと生きないといけないって、ちゃんと


『やるでは無いかデミ、褒めてつかわす』


記憶の中の言葉に思わず口元が綻ぶ、あれが初めて褒めてくれた時だった…。

外の景色はまだ白い雨で覆われていて、今日はずっと水路遺跡の中で過ごすのかなって思ったら、浮かれていた気分に文字通り水を差された様で__


「王様」


「…誰か、誰か?が…こっちに歩いてくる」


『…何?』

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