僕の彼女が世界で一番病んでるけど、今日も可愛い
イコ
第1話
成瀬悠真には世界一可愛い彼女がいる。
僕みたいなごく普通の高校生男子にとっては夢のような話だよね。
自分でいうのも悲しいぐらいに僕には特技がない。テストは平均点の少し上、体育は平均点の少し下。
唯一、人に誇れるのは、ネガティブではないことぐらいかな? 友達にはポジティブすぎるだろってツッコまれる。まぁ自分では自覚ないんだけどね。
「おい成瀬、帰んぞ」
椅子の背もたれにカバンを引っかけながら、沢村が手を振る。
「あ、ちょっと待って。スマホ……」
ない。机の中にも、ポケットにも、ない。
「またかよ。お前それ、十七回目だぞ」
「数えなくていいよ。まぁ、そのうち出てくるでしょ」
そのとき、校内放送が鳴り出した。ぼんやりした午後の光と、ゆるい風と、あの音。居眠りの合図みたいな、やさしい無機質。
『あの〜ええと……三年B組、成瀬悠真くん。まだいますか? スマホを忘れています。大切な命ですので、至急、取りに来てください』
教室がざわついた。命? スマホが? でも、この声は僕の可愛い彼女だ。
「今の声、白崎じゃね?」
「放送室って立ち入り禁止だったんじゃ……」
「命は言い過ぎでしょ……」
ざわざわの中、扉が開く。白いカーディガン。黒髪の艶。笑うと目元が花びらみたいに柔らかくなる、学校一の美人である白崎凛さん。
学校のみんなから公認されている僕の彼女だ。
手には、見慣れた俺のスマホ。
「悠真くん」
「うわ、ありがと! どこにあったの?」
「一限目の席です。チャイムが鳴っても、ずっと悠真くんの席を見ていたら、置き去りの命が『ここだよ』って呼んでたから」
「観察眼すご。頼もしいなぁ、凛って。でも、どうして放送室?」
「ふふ、私が悠真くんと帰りたいと思っているのに、先生が仕事を押し付けるから仕方なく、放送室から連絡を入れたんですよ」
「そっか、慌てん坊だな。凛は」
「てへっ!」
ぱあっと笑う凛。周囲は、さらに一歩ひく。
彼女の可愛さに圧倒されているんだろうな。
「画面、少しだけ直しておいたよ」
「直す? 凛はそんなこともできるの?」
「ロック画面が初期のままだったから、私たちの写真に。あと位置情報の共有は、常に許可にしておいたよ。連絡先は、凛の生命維持(GPS)に変更しました」
「生命維持!? なんかSFっぽくてカッコいいね。そんな機能があるんだ」
沢村が俺の肩を掴んで小声で言う。
「おっ、おい、逃げろ。スマホが臓器扱いだぞ。それにお前!」
「何言ってんだよ、管理ちゃんとしてくれて助かるだろ?」
「そうですよ。沢村くん。私と悠真くんの邪魔をするなら、命を取りますよ」
凛は、カーディガンのポケットから小さなノートを出した。表紙に、銀のペンでこう書いてある。
悠真くん観察ノート(第一巻)
「今日の悠真くん、歩数は一万二百三歩。お昼は学食の唐揚げ定食大盛り、咀嚼は左右均等、四十二回。英語でわからなかった単語は“irreplaceable”。意味は『取り替えられない』。……悠真くんは、取り替えられない」
「おお、勉強ノートまで……すごい。僕、復習頑張るよ」
「ね? えらい?」
「えらいえらい。偉い以外の言葉が見つからないね」
クラスの空気が氷点下まで下がっていく気がした。
でも、凛は嬉しそうに、しゃがみこんで僕の靴紐を結び直す。
「ほどけてたら転んじゃうから。大事な足だから」
「細かいとこまで見てくれてんだなぁ。マメだなぁ、凛」
本当にマメだ。僕の家族でもここまでやらない。
「そうだ、帰り道、危ない路地は避けて。こっちのルートが安全だよ」
凛はスマホの地図を開き、すでにハイライトされた凛ルートを見せる。
交差点ごとに小さなハートが点いていて、押すとメモが出てくる。
17:05 この角は死角。自転車注意。
17:08 ここで猫さんに会える。癒やしポイント。
17:12 コンビニ寄るならここ。店員の対応が優しい。
「優しさの監視網かよ……」
何かツッコミを入れて、沢村が遠い目をする。僕は素直に感心してしまう。
猫ポイントまで押さえてるの、普通にすごくない?
「それと、これ」
凛は小さな黒いタグを差し出した。
「悠真くんのカギと学生証に貼っておくね。落としても、私のところに泣きながら帰ってくるから」
「泣きながら?」
「うん、迷子になったら凛のところへって、しつけておいたから」
「タグにもしつけって言うのか……便利だなぁ」
教室の隅で、女子たちが固まっている。
「無理無理無理」
「こわ」
「放送室って鍵、誰が!!」
「先生が脅されたって」
「全方位ぬかりない……」
クラスの女子たちが、僕と凛の会話を聞いてヒソヒソ話をしている。
みんな仲良しだよね。
「じゃ、帰ろっか」
凛は俺のカバンをひょいと肩にかけ、もう片方の手で俺の手を取った。手、あったかい。廊下に出た途端、彼女はさりげなく前に立って、通り過ぎる男子の肩と俺の間に、すっと体を滑り込ませる。
壁の花瓶が少し傾いているのを見て、直す。
掲示板の画鋲が一本欠けているのを見て、補充する。
俺の歩幅に合わせて、半歩先を歩く。
完璧。なんかボディーガードみたい。いや、彼女だけど。
「そういえば凛、放送室って入れたの?」
「はい。先生が許可をくれました。わたしのお願いはよく叶えてくれるのです」
「人望すごいね。先生も動かせるんだ。凛って」
「ううん、違うの。必要性を説明しただけ。悠真くんの命(スマホ)が呼吸できるように、世界の空気を整えるの」
「空調管理みたいでカッコいいね」
校門を出たところで、凛が足を止めた。
「ねえ、少し寄り道してもいい?」
「どこに?」
「献血ルーム」
「え?」
「冗談だよ。今日は猫ポイントでおやつタイム」
「あ、良かった」
沢村が背後から追いついてきて、小声で耳打ちする。
「なあ成瀬。お前さ、白崎のあのノート。第一巻って書いてたよな。何巻まであるんだ?」
「さあ。たぶん……未完?」
「未完って言うな!」
結局、猫は不在で、道端の落ち葉だけがかさかさ鳴った。
かわりに凛が、保温ボトルからココアを紙コップに注いでくれた。
「甘いの、好きでしょ?」
「うん。なんで知ってるの?」
「知ってるよ。だって、悠真くんだもん」
当たり前だよ、とでも言うように、彼女は微笑む。少しだけ、胸が温かくなる。
帰り際、スマホに通知が入った。
新しいカレンダー『凛×悠真・生命維持スケジュール』が共有されました
開くと、びっしり予定。
朝の“通学安全祈願(30秒)”、昼の“咀嚼左右バランスチェック(任意参加)”、夜の“通話(寝落ちまで)”。
そして最下段に、ぽつんと一つ。
いつか:本当に『irreplaceable』って言ってもらう日
「……可愛いな」
思わず口に出ていた。
凛が小首をかしげる。
「なにが?」
「全部。段取りの良さも、言葉の選び方も、俺のことを知ろうとしてくれるとこも。可愛い」
凛の耳が、ほんの少し赤くなった。
「じゃあ、もっと知るね」
「お手柔らかに」
背後で、沢村が空を仰いでいた。
「ドン引き通り越して尊敬してきた自分が怖い……むしろ、親友が一生気づかないことを祈りたくなってきた」
家の角で手を振ると、凛は最後まで見えなくなるまで立っていた。角を曲がって五歩目で、スマホが震える。
『角を曲がってから五歩で段差。気をつけてね ——凛』
俺は笑って、段差をまたいだ。
今日も俺の彼女は、すごく可愛い。
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