第3話
フィオナさんをテーブルの椅子に座らせ、僕も向かい側に腰を下ろした。
「……フィオナさん。少しお話をしてもいいですか?」
「ええ、もちろん」
彼女は落ち着いた声でうなずいた。
その仕草ひとつひとつが上品で、なんだか見惚れてしまいそうになる。
けれど、今はそれどころじゃない。
「川で助けたとき……記憶がないって、言ってましたよね?」
「うん。あれから思い出そうとしたけど、やっぱり思い出せないみたい」
フィオナさんは静かに俯いて、手を膝の上でぎゅっと握った。
「名前だけは……“フィオナ”という響きが、頭の奥に残っていたの。でも、それ以外は何も。どこから来たのかも、どうして川を流れていたのかも……」
「…………」
少しの沈黙が流れる。
僕は胸の中にひとつ息を飲んで、静かに言葉を紡いだ。
「……そうなんですね。わかりました」
「アル……?」
「でしたら、フィオナさん。何か手がかりが見つかるまで、ここにいてください」
「え……?」
「僕の家でよければ、しばらくゆっくりしていって欲しいです。無理に外を歩いたら、また倒れちゃうかもしれませんし……」
「アル、本当にいいの?」
「はい。もちろんです」
自分でも、少し勇気を出した言葉だった。
けれど、口に出してしまえば、不思議と心が軽くなった。
フィオナさんはしばらく僕を見つめ、それから柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう、アル」
その笑顔は、まるで陽だまりみたいに温かくて、
胸の奥がふっと熱くなるのを感じた。
やばい。見惚れそうだ。
視線を逸らすように立ち上がると、台所の棚を開けてごまかした。
「そ、そろそろ夕食の準備をしますね!」
「え、ええ。ごめんね、アル。」
「いえ、フィオナさんはゆっくりしていてください。体調もまだ万全じゃないはずですから」
そして、僕は料理の準備をするべく、手際よく体を動かした。
棚に残っていた野菜を刻み、スープにして、焼いたパンを添える。
母がよく作ってくれた、素朴な夕食だ。
「……お待たせしました」
テーブルに皿を並べると、フィオナさんは少し驚いた様子だった。
「すごい……いい匂い。アル、料理が上手なのね」
「い、いえ……そんな、大したものじゃないですよ」
食前の雑談を交えつつ、僕とフィオナさんは手を合わせて食事を始めた。
「「いただきます」」
温かいスープの香りと、パンを咀嚼する音。
どこか懐かしい空気が流れて、胸の奥がじんわりと満たされていく。
「本当に、美味しいわ。アルの作るご飯、心が落ち着く」
「そ、そんな……」
褒められて、顔が熱くなる。
でもその言葉が、嬉しくてたまらなかった。
食事を終えると、夜の帳がすっかり降りていた。
窓の外では虫の音が静かに鳴き、家の中にはろうそくの炎だけが灯っている。
「フィオナさん、今日は僕の部屋で休んでください」
「え……いいの?」
「はい。僕は隣の部屋で寝ますから」
僕の部屋に案内すると、フィオナさんはしばらく部屋の中を見回した。
壁には母の手作りの布飾り。窓辺には古い本。そして、少し大きめのベッド。
そんな部屋でも、フィオナさんはどこか懐かしそうに微笑んだ。
「……何から何まで、本当にありがとう、アル」
「いえ、困ってる人を助けるのは当たり前ですから」
「ふふ、優しいのね」
照れくさくて、思わず顔を背けた。
「それじゃ、おやすみなさい、アル」
「はい。おやすみなさい、フィオナさん」
扉が静かに閉まる。
その瞬間、少しだけ部屋の空気が寂しく感じた。
僕はその後、軽くお風呂に入り温かい湯に体を沈めた。
今日一日、いろんなことがありすぎて、頭の中が整理しきれない。
湯から上がると、母と父がかつて使っていた部屋に入った。
古い木のベッドに体を横たえる。
外から、風がカーテンを揺らしている。
静かな夜の音の中で、僕はゆっくりとまぶたを閉じた。
そのとき、ふとフィオナさんの笑顔が思い浮かんだ。
胸の奥が少し熱くなりながら、僕はそのまま眠りに落ちていった。
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