覚醒の兆し





 女子サッカー部の活動は見ていて大して面白いものでもなかったが(こういうものは自分自身が参加してこそだろう)、言い出しっぺが自分なのだから、結局皆で最後まで見学した。自分たちとはまるで違う世界。こういった世界を青春というのだろう。とすれば私には青春が訪れず、そのままつまらない大人になってしまうのだろうか。しかしながらかと言って、焦ってがつがつ煌びやかな青春を追い求めるのも私の美学に反する。つまり諦めというのが肝心だということだ。


「少女たちは頑張るね」

「私らも少女でしょ」

「少女らしさはもうとうに捨てたような気がするなぁ」


 いつもの紀子と京香の漫才をボンヤリと聞いている、と同時に部活動も眺めていた。楽しい訳ではなかったのだが、なんとなく心が安らぐ時間でもあった。余計なことを考えないで済む時間だったからであろう。


「あの子たちは元気だね。胃袋が原子炉なんじゃないだろか」

「そんな、ドラえもんじゃあるまいし」

「今は設定変わってるらしいよ」


 なんとなく私が口を挟むと、紀子たちは感心したように「はぇ~」と言った。しかしこんな時間が続いて、まるで有意義ではないが、かといって悪い気持ちでもないのである。


 11月になって陽が落ちる時間もすっかり早くなっている。女子サッカー部の練習が終わったのは17時半頃だったが、その頃には空は西日のオレンジがすこしずつ夜の藍色に圧し潰されつつあった。この夕方と夜の境界、ここにしかない時間はどことなく心を不安にさせながら、しかしその不安には妙に甘い味がある。私は子供の頃からずっとその感覚を引き摺っていたどうしてだろうか。その理由は今だ解明されていない。


「う~ん、カナちんのアンニュイな顔はなかなかいいね」

「なにがいいの……」

「なんていうか、エロい」

「アホか!」


 私は叫ぶとともに紀子の頭をぺしりとはたいた。エロいと言われて嬉しい女なんて痴女ではないか。私は痴女ではないので気持ち悪いだけである。それが同性に言われたものだったとしても。いや、同性だからこそなのか? それはあまり考えるべきことではないのだろうが……


 しかしそうやって叩かれた紀子は平然としている。むしろ嬉しそうであった。なにが嬉しいのか分からない。なんだかニヤニヤしている。マゾヒストなのであろうか。


「カナちんも中々元気になってきたじゃないか」

「あんたがヘンなこと言うからでしょ」

「いいんだよ。そのままわんぱくに育っていきたまえ」


 それにしても美也ちゃんは中々運動神経がいい。運動神経がいいから女子サッカー部なのだろうが、躍動する彼女を見るのは中々興味深いものがある。全般的に退屈な見学にあって、彼女のセービングを見るのだけは楽しかった。サッカーに於いては一番運動神経のいいひとがやるポジションがゴールキーパーだと、どこかで聞いたことがあるような気もするが、本当だろうか。


 彼女たちのダウンも終わって、美也ちゃんは恐らく先輩方なのであろうが、ぺこぺこしながらニコニコしていて、何か話をしている。ほかの部の声も多く、距離もあるのでどんな話をしているのかは聴けない。しかしなんとなく想像は付く。それを証明するように彼女はまたまたこちらのほうにやって来た。


「お疲れ様っす! 先輩方!」

「私らは全然疲れとらんけどね」

「しょうもないこと言わないの。こういうのは定型の挨拶なんだから」

「ま、それはそうだが」


 美也ちゃんは晩秋だというのに汗だくである。それだけ頑張っていたということだ。あまり運動をしてこなかった私にとってはあまり理解できない世界だった。


「着替え終わったらまた来るっすね」

「それはいいけど、部活の子たちをほっぽって私たちに付き合ってていいの?」

「それはもう、話は付いているっす」


 朗らかで邪気のない美也ちゃんを見ていると、こちらに付き合わせているのが気の毒になってくる。しかしそれはむしろ彼女自身が求めていることなのである。どうにもつかみ辛いところがある。だが認めざるを得ないのは、従順な犬のように慕って来る美也ちゃんを、私は意外にもかわいく思っていることだった。


 私の心がすこしずつ傾いていく――彼女のほうに。


「あんなに健気でいいのかね」

「多分ああいう子が幸せな結婚をするんでしょうね」

「おいおいおいおい。まるで私らが幸せな結婚出来ないようなこと言うなよ」


 結婚などという、まるで想像も付かないことを簡単に話するふたり。女は結婚しなければならないのだろうか。私には到底信じられない。一生決まった男性とひとつの屋根で生きていく、と考えるとなんだかおぞましいものに思えてくる――のは私だけなのだろうか。それは単に私が歪んでいるだけなのかもしれないが。


 ともあれ、女子高生が真剣に考えるような問題では、まだない筈だ。


 女子サッカー部以外の部活も部室に引けていって、あれだけ騒がしかったグラウンドが妙に寂しく見える。学校内で明りが灯っているのはもうその部室と職員室しかない。そう言えば、こんな時間まで学校にいたのもあまりなかったような気がする。静かな学校というのが妙に新鮮だった。夜の帳が降りつつある学舎に、奇妙な侘しさを覚えた。一日の終わりがやって来る、といった感じ。なんとも言えない気持ちになって。なんだがむず痒くなり、それに浸っていたいような、それともさっさと抜け出したいのか、相反する気持ちが私の中でせめぎ合っていた。


「お待たせしたっす!」


 スポーツウェアからブレザーに着替えた美也ちゃんは、その可愛らしさと練習中の格好良さのギャップがあって、中々魅力的だった。ぬぼっとした体型も愛らしい。


「じゃ、行きましょうか」


 このあとは、彼女も含めて喫茶店に行くことになっていた。



        ◇



 晩御飯も兼ねて、私たちはやはりオムライスを注文していた。とは言えそんなに長居もできない。いい加減もう高校生なのだからちょっとくらい帰りが遅くなってもいいのだろうが、やはり女子ではある為本格的な夜遊びはしてはいけない。不良少女ではないのだから。品行方正に生きることも地味同盟の綱領に定められている。いや、綱領などはどうでもいいのだが、私個人もそんな夜遊びをしたいとは思っていない。


「じゃ、地味同盟のさらなる発展を願って、かんぱ~い」


 と、紀子が音頭を取った。私たちが座っているのは丁度4人用であり、対面で2人ずつが座る形だった。で、何故か美也ちゃんは私の隣に座っている。美也ちゃんの分は私たちの奢りになっている。そこは先輩らしくしなくてはいけない。


「ってことは、美也ちゃんも地味同盟の一員って認めるの?」


 鋭い指摘をしたのは京香。私は横から美也ちゃんの顔をずっと窺っていたのだが、なんだか妙にきらきらした瞳をしている。どうやら私たちを尊敬している、憧れの存在というのは、恐るべきことに本当らしい。どういうことなのだろうか。地味同盟員は全員が大概偏屈で変人だが、こんな眩しい子がそんなことでいいのだろうか。


 だが――私は彼女に見入っていた。美人という顔立ちではないが、どこか愛らしい、野暮ったいのは仕方ないが、その大きな体は頼もしく思える。


「いや、そうは言っていないけどさ……」

「もう、ここまで来てまだ煮え切らないの?」

「だってさ」


 紀子と京香はオムライスをつつきながらまだ言い合っていた。京香は賛成で、紀子は反対という訳ではなく、ただ躊躇しているだけだ。となれば、私の決断がすべてということになってくるのだろうか。それは中々に戦慄する事実だった。美也ちゃんを迎え入れるにせよ拒絶するにせよ、ここで彼女の人生を左右しかねない。


 だが私はすでに心を決めていたのである。


「あたしは皆さんに奢って頂くだけで光栄っすよ。一生の思い出になるっす」

「そんな大げさな」


 美也ちゃんの食べ方は朗らかで陽気である。だがそれは裏を返せば女性としては品がないとも言える。みっともなく口周りにケチャップを付けてしまう美也ちゃんを、私は放っておけなかった。どういう訳か、この子は私が面倒を見てあげないといけない、という謎の使命感が湧いてきたのだった。私としたことが……誰にも心を許さなかった筈の私が……


「もう。そういう食べ方は女の子には恥ずかしいよ。ほら、こっち向いて」

「あっ、はいっ」


 私はナプキンを持って彼女の口周りを拭いてあげた。なんともずるい子だな、と思った。これだけ大きな体をしていて、強そうなのに、なんだか保護欲をそそられる雰囲気をしているのだった。いや、そう感じているのは私だけなのだろうか? 向かいのふたりは呆れたような顔をしている。


「なぁんかアヤシイふたりだね」

「そのアヤシイって、『かい』と『よう』のどっちのアヤシイなのよ」

「いや、どっちも。キョーカもそう思うっしょ」

「否定はしない」


 そこは否定して欲しかったが、たしかにへんてこな光景だったのは否めない。そこまで親しくしている訳でもない後輩にそんなことをしている。それだけでもかなりおかしいことなのに、それをしているのはこの私なのだ。奇妙を通り越して奇怪ですらある。


「へへっ、ありがとうっす、先輩!」


 悪びれもしない美也ちゃんをどうしても怒れない。むしろ愛でてあげたいという気持ちが治まらない。どうしてだろう。こんな気持ちは初めてだった。そして恐るべきことに、私は自分のオムライスをスプーンで掬い、美也ちゃんに食べさせまでしていたのだった。


「……そこまでするかぁ?」

「意外にも面倒見のいいカナちん。これは新しい局面……」


 そんなことをしている内にみんな食べ終わってしまった。しかし私は面倒見がいいのだろうか? 彼女で遊んでいるだけのような気がするのだが。


「よし。そろそろ結論を出す時だね。カナちん、すべてはあんた次第だよ」


 きっと紀子たちも、私がどんな結論を持っているか気付いていただろう。ただひとり、宝くじの当選発表を待つようにどきどきと顔を紅潮させる美也ちゃんがいるだけだった。


 こんなかわいい子を無下に出来るか? 答えは否。


「あたしは、美也ちゃんを仲間にしたい!」


 おお、と紀子が口を開けた。


「はっきりと言ったね。それでいいんだよ。それが本当のあんただ」


 それは疑わしいところだったが、ともあれ私は力を入れて意見したのである。


 ともあれ、私の意見が後押しになり、郡司美也ちゃんは地味同盟の一員となった。それがいいのかわるいのかは――私たちのはんだんするところではない。

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