1.暖かい言葉
どうして、わたしの大好きな少年マンガ「Sevenkeys」のキャラクターである雨宮桜也がここにいるか。そして、何でわたしは錠乃優愛の姿なのか。
考えようとすると、ずきりと頭が痛んだ。そして痛みを感じた瞬間、浮かんできたのはセーラー服を着た、錠乃優愛ではない私の記憶。
暗い道を早歩きで進んでいたわたし。眩い光に照らされ、耳に届いたのは不快なクラクション。そして強い衝撃。
ゆっくりと、記憶が蘇ってくる。
そうだ、わたしは死んだんだ。高校の帰り道。朝買い忘れた週刊少年誌の最新号をコンビニで買って、今週のSevenkeysを読み、帰ろうとした時に。コンビニの前の横断歩道の、赤信号を急いで渡ろうとしていた女の子を庇って。トラックに引かれて死んでしまった。
そうしてわたしは、錠乃優愛に転生してしまったのか?
転生物の作品を読んだことはあったけど、まさか自分が体験することになろうとは。というか、これは本当に転生なのか。憑依と呼ばれる方なのかもしれない。
どっちにしろ、わたしは錠乃優愛になってしまった。それが事実だった。
それにしても、前世の記憶はほとんど思い出せたのに、何故か現世の優愛としてのわたしの記憶が思い出せない。
そもそもわたしは本当にあの世界の優愛なのか。もしかしたら全く違う、よく似た姿の誰かではないか。その確認の方法は……ひとつだけある。
わたしが確認のために胸元を見れば、服の中に小さな錠のついたネックレスがあった。
それは優愛と両親が死ぬまで持っていたもので、死んだ後はとある場所に戻されたはずの物語のキーアイテム。
それが手元にあるという事実が、今のわたしがわたしの知る錠乃優愛であることを物語っていた。
それにしても、何でわたしは桜也の家にいるんだ。というか、ここは本当に桜也の家なのだろうか。
雨宮桜也のプライベートはほとんど明かされておらず、話をするために主人公を連れ込んだのも彼のアジトのひとつだったはずだ。
でもそこは廃墟で、こんな和風な部屋が背景じゃなかった。
つまりやっぱりここは家?
「ねぇ、キミ」
「……は、はい……」
声の調子が悪く掠れてしまう。桜也は何かを思い出したかのように廊下に出て、何かを持って戻ってくる。それはコップに入った透明な液体で、ほぼ間違いなく水だろう。
「飲めるかい? ……飲ませてあげようか」
どういう風に飲ませる気なのか分からないので、首をブンブンと横に振ってお断りする。
渡されたコップを両手で持って、ゆっくりとむせないように飲んでいく。だいぶ喉が乾いていたようで、コップ一杯分はすぐに飲み終えてしまった。
「それでキミ、名前は言える?」
「……じょうの、ゆあ」
それで正しいはずだ。前世の記憶通りこの世界がSevenkeys――略してセブキーの世界なら。
「そうか。じゃあ優愛、なんでボロボロで倒れていたのかは覚えてる?」
「……覚えてない、です」
「わかった。お家は分かる?」
「分からない……」
本当だ。現世の記憶はさっぱり思い出せないのだから。そもそも、ボロボロになって倒れてたのかわたし。
確かに、顔のインパクトせいで霞んでしまっていたが、顔にもガーゼや絆創膏が貼られていて、体を確認すれば包帯が巻かれていた。
「あなたは、誰ですか……」
彼がわたしの知る雨宮桜也かどうか、確信を得るために質問をしてみれば、優しい笑顔と共に返事が返ってくる。
「僕は雨宮桜也。桜也でいいよ、優愛」
さすがに年上で、更に大好きな作品のキャラを呼び捨てにするのは気が引けるので「さくやさん……」と敬称をつけて呼ぶ。
「さんも敬語もいらないよ。……大丈夫だから」
おかしい。名前も姿もわたしの知っている桜也なのに、違和感がある。
雨宮桜也はあまり笑顔を見せない。クールなキャラだからだ。子どもにだけ優しいとかそういう設定もなかった……はず。
なのにどうして、わたしにこんなにも優しく声を掛けてくる。ニコリと笑顔を見せる。これは現実なのだろうか。
「あらあら、起きたのね」
ふんわりとした声と同時に廊下から現れたのは、黒髪を一つ結びにした若い女性。その手にはお盆を持っており、その上には小さい土鍋と器にレンゲ。
「おはよう。体は大丈夫?お粥を作ったのだけど、食べれそうかしら」
上品な話し方の女性は一体誰なのだろう。まさか恋人?
でもそんな裏設定あるとは思えない。女性人気の高いキャラに彼女のいる設定を作れば、それだけで人気に影響が出てくる。そのファンがガチ恋勢でも、誰かとのカップリング推しでも、存在が描写されない彼女は端的に言えば邪魔だろう。
だから、可能性としては低いはずだ。いちばん高い可能性としては、家族や親戚だろうか。
「母さん。優愛が困ってる」
「あら、ごめんなさい。目覚めたばかりですものね」
お母さん……!? 桜也と同年代とは言わないけれど、二十代前半くらいに見えるのに。母よりも姉と言われた方がしっくりくる。
桜也はミステリアスかつクールを売りにしているせいか、描写されていない設定が多いけど、まさかのお母さんがこんなに美人だとは。
「初めまして、錠乃優愛です。……お粥食べたいです」
「……! えぇ、初めまして。私はこの真っ黒なお兄さんの母の桃花です。今、お粥取り分けてあげるからね」
お盆を床に置き、鍋の蓋を開けば白い湯気が立ち上がる。桃花さんは器にお粥をよそう。わたしに器を渡そうとするが、何故か桜也がひったくるようにして器を持った。
「……?」
レンゲでお粥を掬い、桜也は何度か息を吹きかける。俗に言うふぅふぅだ。熱い料理を冷ます時にやるあれをしている。何度か息を吹きかけたお粥の乗ったレンゲを私の方へ差し出す。
目を擦ってみるが、レンゲは私の前にある。桜也を見上げれば、彼はわたしの様子を不思議そうに眺めている。
「食べていいの?」
「当たり前だよ。ほら」
わたしはこれが「あーん」というやつだと気づいてしまう。
これがあのクールアンドミステリアスな雨宮桜也なのか。いや、開示されていない彼の隠れた設定の中に、子ども好きとかある可能性も捨てられないけど。
ただそんな設定あったら、作中で出されている気がする。ギャップ萌え、は少し古い言葉かもしれないが、その破壊力は現代でも有効なはずだ。
そんな現実逃避をしていても、桜也はレンゲをわたしに渡してはくれない。
わたしは意を決してパクリとお粥を食べた。濃い味ではないけど、優しい風味が口を満たす。間違いなく前世で食べたお粥より美味しかった。
「どうかしら、お口に合えばいいのだけど」
「……美味しいです。ありがとうございます」
イケメンに食べさせてもらって心臓がうるさいが、味は本当に美味しい。素直な気持ちを伝えれば桃花さんはとても嬉しそうだ。
「そう! いっぱい食べてね、優愛ちゃん。お水ももう少し飲むかしら、持ってくるわね」
空のコップを片手に、足早に廊下へ出ていく桃花さん。桜也はすぐにレンゲでお粥を掬い、わたひに差し出す。
「桜也さん……。私一人で食べれます」
「さんはいらないよ。大丈夫ほら口開けて」
何を言っても無駄なようだ。食べ終わるまでにわたしの心臓が持てばいいと祈りながら、パクリと口にしていく。
お腹が空いていたせいか、その美味しさからか、一人分のお粥はペロリと食べられた。そして心臓も破裂しないで無事だ。今もわたしを生かすために規則正しく動いている。
わたしは桃花さんから貰ったお水を一口飲む。
「……そう。お家もご家族のことも覚えてないのね」
「ごめんなさい」
「優愛ちゃんは悪くないわ。大丈夫よ、記憶もなくて不安でしょう」
優しく手を掴んで、わたしの目をしっかりと見て言葉をかけてくれる桃花さん。視界が滲んで、涙がポロポロと溢れてくる。
怖かった。今の自分の記憶はなくて、知っている親も友だちもいなくて。不安でしょうがなかった。ボロボロになっていたという話だし、もしかしたら死んでいたかもしれない。また早く死ぬのかもしれないと、セブキーのことを思い出して恐ろしかった。
だから暖かい手の温度と、心のこもった言葉が嬉しくて、安心できて。涙が止まらずに拭っても、拭ってもこぼれていってしまう。
「大丈夫よ」
ふわりと私をなにかが包む。柔軟剤のいい匂いと、暖かな温度に包まれてさらに涙が溢れていった。
「落ち着いた?」
「……はい。ありがとう、ございました」
恥ずかしい所を見られてしまった。泣きすぎと恥ずかしさできっと、目も頬も真っ赤だろう。
「それで優愛ちゃん。もし良かったら、うちに住まないかしら。ね、桜也」
「え、でも……」
嬉しい提案だ。けれどわたしは、素性も明らかじゃない行き倒れている子ども。甘えてもいいのだろうか。
不安で視線を彷徨わせたわたしは桜也見た。ふっと笑って桜也はわたしの手を掴む。
「大丈夫。キミはここにいていいよ」
「……いいの?」
「僕が言うんだから、いいんだよ」
彼の言葉にはしっかりとした気持ちが籠っている。大丈夫だと強い気持ちが伝わる言葉に私はいつの間にか、縦に首を振っていた。
「よかった。それじゃあ早く優愛ちゃんの部屋を作らなくちゃ。お洋服も欲しいわね。買い物はまた今度、優愛ちゃんの怪我が良くなってからにしましょう。部屋は……桜也の隣の部屋が空いていたから、そこを片付けましょう」
「手伝うよ」
「それじゃあ、優愛ちゃんはまだ休んでいてね」
お盆に器やコップを乗せた桃花さんは、桜也と一緒に部屋を出ていく。
襖がパタンと閉まったのを見てから、布団に寝転がった。
まさか雨宮桜也に拾われるなんて思いもしなかった。クールで一匹狼なキャラはどこへ行ったのか、すごく甘やかされていたけど本当にわたしの知るセブキーの世界なのかな。
考えても結論は出なくて、することも出来ることもないので、しょうがなく目を閉じたのだった。
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