マナカキッチン2 ―愛と勇気のレシピ―

羽犬塚 聡

第1話「奇跡のシチューできました」

「ねぇ、美波ちゃん、シチューに“これ”入れると運気が上がるって聞いたの!」


「……“これ”って何ですか?」


「“幸運のスパイス”だよ! 友だちの友だちがやってるビジネスで買ったの。定価の三倍だったけど、運が三倍になるなら安いでしょ!」


「マナカさん、それ“幸運”じゃなくて“危険”の香りがします。」


昼下がりのマナカキッチン。

今日もカウンターでは、常連の東が静かにコーヒーを飲んでいた。

……が、マナカが鍋にスパイスをどさっと投入した瞬間、異臭が店内に充満する。


「おぇっ!!!」

東がむせ返った。


「な、なんですかこの匂い……カレーでもシチューでもない、“何か”が死んでますよ。」


「え〜? “幸運”の香りなんだけどなぁ。」


そんな騒ぎの最中、扉が勢いよく開く。


「マナカぁぁぁぁぁ!!!」


入ってきたのは、商店街の中華料理店「萌華」のオーナー、萌。

マナカの幼なじみであり、良きライバルでもある。



「マナカ! 大変なのよ!」

「どうしたの?」

「豚が消えたの!」

「豚……? え、どうゆうこと?」


萌によると、養豚場で豚熱が発生し、出荷が全面ストップ。

萌華名物の酢豚が作れず、店は大ピンチ。


カウンターの隅で新聞を読んでいた宮爺(みやじい)が、口の端を上げた。

「豚がないなら、他の獣を使えばええ。……イノシシとか、な。」


「ワイルド〜!」

マナカが目を輝かせる。

「ねぇ萌! ジビエ酢豚、流行るかもよ!」


「え、ちょ、やめてよ! そんなの出したら保健所来るじゃない!」


だが宮爺はにやりと笑う。

「明日、猟銃会の仲間と山に行く。マナカ、ついてこんか?」


「えっ、わ、私が!?」


「料理人が素材を知らんでどうする。

口ばっか動かして、手も足も動かさんでどうなる。」


「……い、行きます!!!」



翌朝。

山の空気は澄みきり、マナカはピンクのリュックに迷彩帽という、場違いな装備で登場。


「ねぇ宮爺、本当にイノシシいるの?」

「おる。山を舐めたら命落とすぞ。」


しばらく歩くと、

森の奥から、かすかな鳴き声がきこえた。

「キュウキュウ……」

小さなウリ坊が草むらから顔を出したのだ。


「かわいい〜♡」


スマホを構えたその瞬間──


「グオォォォォ!!!」

母イノシシの突進。


「ぎゃあああああああっ!!!」


マナカは逃げる。

足を取られ、ドロドロの落とし穴に真っ逆さま。

頭からつま先まで、全身泥だらけ。


「うわああ!! わたしチョコフォンデュじゃないのにぃぃぃ!!!」


立ち上がった瞬間、足が縄に絡まり、今度は宙吊りに!


「助けてぇぇぇぇ!!!」


駆けつけた宮爺が、銃を構えた。

「おお、でかいイノシシじゃ! 逃がすな!」


「ちょ、待って!! わたしマナカぁぁぁぁ!!!」


銃口が止まり、宮爺がポカンとする。

「……お前、ほんまにイノシシかと思うたわ。」


「失礼な!!!」



夕方。

泥まみれのマナカと宮爺は、なんとかイノシシ肉を持ち帰った。


「萌〜! 見て! 山の恵みよ!」


「ごめん、別ルートで豚肉手に入ったの。酢豚、復活したわ♡」


「………………」


マナカの心が音を立てて折れた。



夜。

マナカキッチン。

泥だらけのマナカを見て、美波が絶句する。


「マナカさん……今日も事件だったんですか?」

「……ちょっと、自然と喧嘩してきた。」


テーブルの上には、処理したばかりのイノシシ肉。

「でも、どうしようこれ……」


そのとき、静かに東が口を開く。

「……“幸運のスパイス”、まだ残ってますよね。」


「え?」


「臭み、飛ぶかもしれません。試してみましょう。」



コトコト、コトコト……

鍋の中で、イノシシ肉と“幸運のスパイス”が混ざり合う。

漂う匂いは、不思議と豊かで、どこか甘い。


美波がひと口味見し、目を丸くした。

「これ……美味しい!!」


「ほんと!? やったぁぁ!! "奇跡のシチュー"!!」


宮爺も現れて、ひと匙すくう。

「こりゃあ……山の恵みと運命の融合じゃ!」


店内はいつしか笑いと湯気で満たされていた。


「ねぇ美波ちゃん、次はコモドドラゴンシチューとかどう?」

「……もう、やめてください。」


夜のマナカキッチンに、スパイスと笑い声が溶けていった。

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