1-2


「ふーむ、身体はひんそうだが、顔立ちはなかなか悪くない。ふぉっふぉっふぉ! わしがたっぷりわいがってやるからのう。しゅうげんは、予定通り来週で構わん」

「へい、かしこまりました!」


 横からびてきた正造の手によって、がしりと無理やり頭を下げさせられる。しばらくそうしていると、用は済んだとばかりに権兵衛と正造は去っていった。

 あらしをやり過ごしたようなここでいたところ、それまでどこかにかくれていた乙羽が突然、飛び出してきた。乙羽は小夜を見て、おおじりを下げる。


「お姉様、可哀想かわいそうに!」


 同情するようなりではあったが、彼女がかべていたのは明らかなちょうしょうだった。

 しかし、かざって温かい食事まで与えられた小夜の、一体どこが可哀想だというのか。

 首を傾げていると、乙羽はゆがんだ口元を手で隠す。


「祝言よ、祝言!」

「しゅうげん、って……?」


 聞き返すと、乙羽は心底かいそうに手をたたいて笑った。

「やだぁっ、そんなことも分かっていなかったの! まぁ、お姉様は頭が悪いものねぇ。字も読めないくらいだもの。いいわ、教えてあげる!」


 頭が悪い、とののしられるのはいつものことだった。文字だって乙羽の言う通り、ほとんど読めない。かろうじて老婦に教わったことのある簡単な文字を覚えている程度だ。だけどそんなの、当然ではないかと思う。屋敷の中ではだれに何を尋ねようと、誰も何も小夜に教えてはくれなかったのだから。


「お姉様は、あの領主とけっこんするの! 結婚よ、結婚!」


 その言葉に、小夜の目の前が真っ暗になる。


(結婚?)

「何で、私が……」

「あははっ! 六年前にね、『村長の娘を領主の次の妻にせよ』って、土地神様からのお告げがあったのよ。だけどあの権兵衛って領主、ひどい女好きな上にしょうでね、すぐ奥さ

んやおめかけさんをぽいって、ゆうかくはらっちゃうんですって! 私はそんなの絶っ対にいや! ……うふ、だからお父様がね、代わりを立ててくださったの」

(代わり?)


 嫌な予感で、全身からあせす。


「――それが、お姉様よ!」


 その言葉で、全てが頭の中でつながった。屋敷に連れてこられてから六年間、ずっと放置されていた理由も、それでも追い出されずにいた理由も。

 小夜は――乙羽の身代わりとなるため、村長家に引き取られたのだ。

 聞いてもいないのに、乙羽は楽しそうにしゃべり続ける。


「領主様はね、ここの土地神様のまつえい……つまりご子孫らしいの。だから命令を断ると、村にたたりが起こるんですって。我が村のためにその身をささげ、領主様へのいけにえになるだなんて……ああ、なんてけななお姉様かしら!」


 わざとらしく手を合わせた乙羽はしゅうあくみを浮かべると、ねるようにゆかを鳴らしながら去っていった。


(……生贄、生贄か)


 かつて老婦がる前に語り聞かせてくれた、とある物語を思い出す。確か、おにが子どもたちを食べるため、まずは肥えさせようとごそうう話だった。

 今の小夜だって似たようなものだ。『土地神の末裔』だというあの領主に捧げられるためだけに、引き取られた。そしてごろになったからと身なりを整えられ、今まで口にしたことのない温かい料理まで与えられた。そんなこととはつゆ知らず、たった一度でも喜んでしまったことがくやしくてたまらない。


(乙羽だって……昔はあんな子じゃなかった)


 出会った頃の彼女はてんしんらんまんで、小夜の後ろによくついてきていたものだ。その態度が変わっていったのはちがいなく、村長ふうのせいだろう。実子である乙羽が引き取った孤児になつくことを、彼らは酷く嫌がった。そして小夜に冷たく、時に暴力的に接する両親を見て、やがて乙羽もそれにならうようになってしまったのだった。


(乙羽の代わりに、あのおぞましい領主の妻になれだなんて……!)


 人を人とも思わないだまちのようなやり口に、今まで感じていた恩義が心中ではじぶ。結婚なんてとうてい受け入れられない。考えたくもなかった。

 寝泊まりしている屋根裏の四角い窓が、小夜の視界に入る。すきかぜによって、窓はかたかたとれていた。


(逃げなきゃ)


 拾われた六年前の、冬の寒さを思い出す。正造たちの策にかかって権兵衛と結婚させられるくらいなら、道端で凍え死んだ方がまだ良かったのに。小夜は本気でそう思った。

 しかし祝言を前にしてもなお放置されているのは不幸中の幸いと言えるだろう。祝言の意味も知らぬむすめへのかんなど必要ないと、あなどっているのだ。今まで従順に過ごし、村長ていからほとんど外に出られずとも、文句の一つも言わなかったことがきちと出た。

 女中たちに隠れてくすねた食糧を包み、身体に巻き付ける。今回は凍えずに済むよう、持ちうるだけの衣服を重ねて着込むことにした。

 屋根裏にある布を切って結んで、窓から垂らす。身体を動かすのは久しぶりで、幾度もずり落ちそうになったものの、何とか三階からだっしゅつすることができた。

 息を殺して、走る。村の明かりが見えなくなるところまで、小夜は必死にけた。

 やがて身体にまとわりつくくらやみに、どこかほっとする。あの屋敷の中より、よっぽど安らぐような心地だった。

 布で包んでいた荷物からろうそくと火打石を取り出し、火をともす。すると急に明るくなった視界に、ぽつんとたたずむ小さなほこらが飛び込んできた。


「これ……」


 薄い木材で組み立てられた、簡素な祠。それは明らかに、土地神をまつったものだった。手にしたほのおかげが伸び、ゆらりと揺れる。

 思えば老婦と暮らしていた頃は、しょっちゅう祠に手を合わせていたものだ。彼女の具合が悪くなってからは毎日、快復するようにと一心にいのっていた。しかし願いもはかなく、すぐに老婦はくなってしまう。

 こうして小夜は、いくら願っても神には届かないことを知った。神など信じなくなった。


(そういえば……領主が土地神の『まつえい』だから、逆らえないって言ってた)


 何が土地神だ、とんだやくびょうがみじゃないか。

 ははは、とかわいた笑いが出る。そうだ。全部、その神とやらのせいなのだ。

 そのとき、そばに落ちていたくわが目に入った。近くの畑の者が、置き忘れでもしたのだろう。

 神などいるものか。だけど、もしもいるのなら││ 。


(――のろってやる)


 しんちょうに蝋燭を地面に置き、小夜はそのまま鍬を手に取った。

 祟れるものなら祟れば良い。殺せるものなら殺せば良い。いや、むしろ死なせてくれれば良い。一人逃げ出した小娘がまともに暮らせるはずがないことくらい、本当は小夜だって分かっていた。行き場のないいかりとやるせなさをぶつけるように、祠に向かって大きく鍬を振り下ろす。

 ぐしゃり。

 しかしその直後、小夜は不思議な男に出会った。出会ってしまった。


ばちたりだなぁ。これは君、死んだね」

「別に良いよ……ちょうど、死にたかったところだから」

「くっ……あははは! 何それ。ふふ、祠をこわされて、はて、どうしてやろうかと思っていたけれど……それなら」


 ゆっくりと男のこわいろが変わっていく。一通り笑って満足したのかと思った瞬間、視界が暗転した。


「――死なせてあげないよ」


 こうして小夜は、神の手にちたのだった。


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