第1話:人類消失0日目~人類消失に至るまで

僕は幼くして家族を亡くした。

高校を卒業し、大人になり、社会に出て、就職した。職業はプログラマーだ。

入社初日。上司であるチームリーダーが僕の席にドスンと古い型のパソコンを設置する。

「あれとこれと、あと、それ。インストールしとけな。あとは自分で頑張れよ。」

そう指示され、数冊の仕様書とノルマが書き連ねられたファイルを渡され、景気付けのつもりか、最後に背中を叩かれた。

無理無茶無謀な注文と、無責任な叱咤と共に、僕の社会人一日目が始まる。


だが、その無理無茶無謀過ぎる注文と無責任なだけの叱咤は、その後も続いた。

僕は負けじとばかりに必死で仕事を覚え、課せられたノルマをこなす。

…ああ、これがよく聞くプログラミング業界の、死の行軍…通称『デスマーチ』か…。

そんな慣例句が僕の脳裏を過る。


(出社)仕事仕事仕事(10分間昼食)仕事仕事仕事仕事仕事仕事(終電で帰宅)…。これが僕の一日。

月曜日仕事、火曜日仕事、水曜日仕事、木曜日仕事、金曜日仕事、土曜日仕事、日曜日休日(ただ寝るだけ)…。これが僕の一週間。(たまに日曜日が無くなるけれど)

仕事、仕事、仕事。寝ても覚めても、ああ…仕事。


…正直、疲れた…。

だがある日。そんな僕に、転機が訪れた。

仕事で疲れ果てた僕の前に、彼女が現れたのだ。

彼女は会社の同僚である。

普段真面目で口数の少ない彼女だったが、僕とは気が合った。

会社での彼女は、事務経理という神経を使う仕事を黙々とこなす。

その分、僕といる時は趣味の話などで盛り上がり、たくさんの言葉を交わした。

彼女は、小説や映画が好きだった。その為か、彼女はとても博識で、日頃の僕では触れることのなような話題をよく教えてくれた。

僕も、彼女の話が楽しかった。

そんな二人が親密になるのに、時間はかからなかった。


今までは、ただ毎日、ただただ課せられた仕事をして、たまの休日に疲れ果てた体を休めるだけの日々だった。

だが、彼女と出会い、その生活は変わった。それは、充実した日々だった。

自分の時間を設けるために、仕事も要領良く出来るようになった。

それでも少ない時間を、精一杯有意義に使おうと考えるようになった。


疲れた身体は、休めば回復する。

けれど、身体の奥底にある精神は、休んでも回復しない。休みを如何に過ごすかで、回復量は決まる。

どこぞの国民的RPGのように、宿屋に泊まればHPとMPが全快するわけではないのだ。

僕は、彼女と休日を過ごすうちに、多くの新しい楽しみを知った。


彼女を通じて、たくさんの人達と、語り合った。

美味しいものをたくさん食べた。

遊園地に行った。

旅行に出掛けた。

友人も出来た。

仕事に対する僕の姿勢にも、変化があった。

喧騒と多忙の日々に中で、僕は、仕事に対する上達の実感を感じていた。

それは、僕の中に生まれた、数少ない自身への価値だった。

そうやって新たな経験を、体験をするうちに、自分に自信が付いた。

…その自信は、彼女が支えてくれたから、彼女がいたから生まれたものだという事を、その時の僕は認識していなかった。

それに気付かない僕の心に、醜い贅肉が付いた。僕は自分に贅沢になったのだ。


ある日、彼女が僕に言った。結婚しようよ、と。

彼女は、真剣な眼差しだった。

それは、彼女にとって、決断の時だった。

だが、僕はまだ若かった。いや。幼かった。

まだまだ遊びたかった。

束縛が嫌だった。自由でいたかった。

だから、僕は、『嫌だ』と返事をした。

数日後、彼女は、死んだ。事故だった。赤信号であるにも拘らず、ボンヤリと道を横断しようとして、トラックに轢かれたという。

頭部への外傷が酷く、即死だったそうだ。

彼女がその時、何を考えていたのかは、解らない。

彼女が死んだのは、きっと、僕のせいだなのだ。僕は、そう悟った。


罪悪感…。

それを感じる対象が死んでしまう。

それは『いつか償うことができるかもしれない』という希望を剥奪されることと同義。

殺人が最も忌まわしい罪なのは、償うことができないからだ。

『あなたを赦します』その言葉を、この先の未来永劫もう二度と、受け取ることができないからだ。

その瞬間、僕は、過去に、縛られた。


死んだ彼女は、病院と警察から心神喪失を疑われた。

彼女の家族は会社を訴えた。彼女と僕が働いていた会社をだ。

その会社は、彼女と僕に関係があったことを特定した。

そして、会社とは関係ない個人の付き合いが彼女を精神的に追い詰めたのだと、結論を出した。

会社は、僕が彼女を、精神を病む程に追い込んだのだと、答えを『造った』。

事実解明を理由に、僕と彼女の蜜月の日々と不幸な別れの出来事は、赤裸々にされた。

僕の言葉の何が彼女を追い詰めたのかを、繰り返し聞き出された。

何度も何度も、追求された。

会社内の誰もが、僕と彼女に起こった事態を知り、面白可笑しく寓話立てて無責任に噂した。

会社は僕の味方には、なってくれない。今まで会社にしてきた貢献は、無視された。

今までの身を削る努力は、無為で無駄な時間となった。


気持ちを切り替えるために、仕事に没頭しようとした。

だが、いとも簡単に水泡に帰すかもしれないあの忙しい日々を繰り返せる気力は、今の僕には無かった。

そうこうしているうちに、会社は、僕から仕事を奪った。

会社は、組織を守るために、僕を切り捨てた。

懲戒解雇である。退職手当も払わず、新就職先の斡旋もせず、僕を放り出した。


僕にはプログラマーの技能しかない。だから、同系の会社で再就職をするために、幾つかの会社で面談を受けた。だが、僕を雇ってくれる会社は無かった。

面接の度に、『解雇された理由』を追及され、僕は固まる。言葉が出なくなる。追求の日々と嘲笑の毎日を思い出し、心が凍りつく。

そして面接は破断する。その繰り返しだった。


仕事に逃げる事は、出来なくなった。

勇気を出して、他者との社交の場に顔を出したが、自分を責めるかのような他人の視線に耐えられず、孤立の気持ちを深めるだけだった。


僕は悟る。

世界に、僕の居場所は、もう存在しないのだと。



一年後。

少ない貯金を食い潰しながら、僕は無気力で虚しい日々を送っていた。

ボロアパートの小さな部屋で、万年床の寝床に力無く身体を預けながら、僕は考える。

あの、忙しくて慌ただしい日々には、もう戻れない。…戻りたくない。

僕に出来ることは、唯一つ。

彼女との過去を思い返すだけ。

そして、自責と後悔の思いを抱えながら、自らの身を削り、心を蝕まらせ、緩慢に死んでいくだけの毎日。

それだけだ。


罪悪感に囚われた日々の中で、何気無く触れる言葉が、僕を責め続ける。

手にした携帯電話の画面に表示されるインターネットの掲示板の中で…、

『セクハラ社長捕まるww』

『大手自動車メーカーの社長がセクハラで捕まったww』

『セクハラ男ザマァ』

『慰謝料××円だってさ(笑)』

『ww』


テレビの中のニュースで、経済学者が述べる。

『近年、働き盛りである若者の、生活保護の不正受給者が増加しています。何かと自分本位な理由を並べ立てる働かない若者が生活保障費を不当に搾取している現状を解決するために、厚労省は新法案である社会不適合者保護法を立案、先日の閣議決定を経て、国会に提出されることが決定されました…』

…社会不適合者か…。まるで僕の事だな…。ざまあねえな…。

些細な言葉が、情報が、僕の感情をささくれだたせ、自らを責める言葉へ勝手に脳内変換される。


過去が、僕を縛る。

寝ても覚めても、過去が、後悔が、僕の瞼に浮かぶ。

過去とは、僕が今までの生きてきた証。

忘れるわけがなく、消え去るわけもない。

その過去が、過去の記憶が、自責の念と後悔に変わる時、過去は僕の『根』に変わる。

どんなに前に進もうとしても、過去がまるで蔦のように僕に足に絡み付く。前に進む事を阻む。後悔が、罪悪感が、僕が未来に歩を進めることを、許さない。

その蔦は、次第に僕の腕にも絡み付く。僕の自由を、奪う。明日を求めて希望を探す術を奪う。

そして、その蔦は、僕の視界を覆う。未来を見つける事を、見つめることすらも、奪う。

仮に…。仮にだ。

例え、僕が僕を許そうとも、他人は、社会は、世界は、きっと僕を許さない。

今まで浴びせられてきた、他者の嘲笑が僕の視界に散らつき、耳元でざわつく。

後悔の傷を無理矢理に穿り返す社会のメスが、僕の身体を抉る。

これからも、僕が死ぬまで…、あるいは僕の過去を知る者が全て存在しなくなるまで、それは、終わらない。罪悪感は、終わらない。

寝ても覚めても。

目を開けていても瞑っていても。

彼女は、消えない。

後悔と自責の念で作られた過去と言う名の彼女の残像は、消えない。


本棚から、一通の封筒がハラリと落ちる。

埃の堆積する畳の上に舞い落ちた封筒。そこから一枚の写真が零れた。

…それは、彼女が写る、僕の手元に残された、たった一枚の写真だった。

他の写真は、全部燃やした。

過去よ消えろと願いを込めて、全部燃やした。

だが、この一枚だけは、燃やせなかった。

未練、ではないと思う。

言わばこの写真は、僕にとっての彼女の『遺影』だ。


ドンドン!!

ドアを叩く音が聞こえる。

「ちょっとー!」

中年の女性の声…。アパートの大家さんの声だった。

「家賃、もう三ヶ月も滞納してるんですよー! そろそろ払ってくれませんかねぇー! 居るんでしょーー!!」

僕は残高の殆どない預金通帳を手に取り、本棚に投げつける。

「うるさい…。」

万年床の寝床の上で、惨めに力無く身体を預けながら、僕は呟く。

「うるさい、うるさい、うるさい! みんな、うるさい!!!!」

そして最後に、

「一人に、なりたい」

そう呟いた。

誰にも聞こえる筈の無い、その小さな言葉は、僕の眼前を覆う薄汚れた天井に虚しく吸い込まれていった。


そして、僕の願いは…叶った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る