怒りについて

島尾

本当に些細なことは明日も本当に些細だろう。

 セネカの文章を聞いて、なるほどと思った。本が苦手なのでYouTubeの紹介動画で聞いたのだが、だいぶ落ち着くことができる。


 怒りに身を任せることは不幸であり、疲労する。それでも未来において怒りが消えることはないだろう。そこに一種の私の小ささを見たが、私だけに限ったことではないはずだろう。


 最近、本当に些細なことで怒りまわっている。理性は退き、野蛮な感情のみが先行している。このことをセネカが指摘したような気がする。私がこれまでに見てきた自然、解いてきた方程式、鑑賞した美術、など。それらの偉大さを簡単に忘れさせるのが怒りだ。確かに怒っているとき、それらを思い出すわけもない、怒りを撒き散らすことに全神経を使っているのだから。


 怒ることは他人を貶めて自分が喜ぶことだという言葉は、私に怒る意味を失わせた。なんと醜いことか、私はそんなことをするためにこの世に生まれたのではない。


 どうせ私も相手もいつか死ぬから怒っても仕方ない、という言葉はあまり響かなかった。いつ死ぬのかが分かっていたら別だが、私はそれを知らない。よって少し見方を変えた。私が相手に怒りを露わにしたあと、その相手が今日じゅうに絶対死ぬということを想定した。それは私が相手を殺害したようなものだ。些細なことで人を殺害するために私はこの世に生まれたのではない。


 しかし怒りの感情が湧く反応は、この私の中にもとから備わっているものなので、あまりにも我慢しすぎると身体に毒だろう。私は自分の身体を壊すためにこの世に生まれてきたわけではないのだ。

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怒りについて 島尾 @shimaoshimao

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