第2話 天使との邂逅

 天使を連れ添うこととなったアベルは、まずは衣服を着替えるように彼女に命じた。背丈が同じくらいである同僚の替えのスーツを一時的に借り、こちらの世界で暮らすための服を見繕うべきだ、と提案。当初、ルカはその提案に対し渋る姿を見せたが天使の法服ではあまりにも目立ちすぎるというアベルの一声によって決定された。

「アベルくんの好みが知りたいなぁ。私、これでも乙女な心を持ち合わせてる天使だから」

 ルカの言葉をアベルは静かに無視した。ルカはそれにもめげずにニコニコと笑っており、代わりにとばかりにラザロが口を挟む。

「うちは私服かスーツかを自由に選べるけど、ルカさんは私服を着た方が良いと思う」

「おや、どうして?」

「カッチリした服があなたには似合わない」

「……なるほど、それは大切だ」

 どうやら、天使にも美的感覚というものはあるらしい。天使のそれが人間のそれと同じかどうかは保証できないが。アベルは「黙ってついてこい。服屋に入るなら金も必要だし、お前に今の人間社会のことを教える必要も有る」と告げる。ルカは大人しくついていく。

「大体は知っているつもりだけどね」

「つもりと実感は違う。舐めたことを言うな」

 飄々と、本気にしていないようなルカの態度にアベルはより鋭くその神経を尖らせて言葉を発した。

「……俺ついて行った方が良い?」

 二人の様子を見かねたユディトが怖ず怖ずと挙手をしながら問うと、アベルは「……そうだな、天使が降りてきたとき厄介だ。いざという時のためにも来て欲しい」と、非常に素直な返答をした。この言葉には提案をしたほうであるユディトも驚いたようで、目を丸くしてから「いざというときは俺も戦うからね」と屈託のない笑顔を浮かべる。

 ルカと出会う前は苦手だったそれが、今のアベルには本来の意味合いでの天使の笑みのように見えた。


 町に出るとガヤガヤと騒がしくて、昼間の渋谷の賑やかさがそこにそのまま存在していた。

「ルカ、再三言うが、羽と輪は絶対に出すなよ」

「わかっているさ。人間に擬態するのは得意だからね、任せてくれたまえよ」

「不安しかねぇよ……」

 天使の裁きを恐れる人間は多いが、天使が天界から降りてくる時間は決まっていない。ここ日本国内では、天使の襲撃は自然災害に近い扱いだった。それゆえ、いつ来るか分からない襲撃を恐れながら仕事や学園生活を送っているものがほとんどだ。

「天使が裁きを下すようになったのは西暦二〇〇〇年に入ってから。ルカ、お前……神が死んだといったが、それはいつの話だ? 俺達の歴史じゃ二〇〇〇年前とされているが」

「さあ、いつだと思う?」

 はぐらかすような答えをしたルカに、アベルは「聞くだけ無駄だったか」とかぶりを振ってうつむいた。

「それより、ユディトくんは? ついてくるとは言ってた割に姿が見えないけど」

「あいつは悪魔と契約しているから、完全な猫の姿になることもできる。野良猫たちと話をすることもできるから、猫の姿で俺達の後をこっそりついているはずだ」

「へぇ。じゃあパイモンは相当彼のことを気に入っているのだね」

 ルカは興味深そうに呟く。そうしてすぐに、次のこと……もとい、服屋での買い物へと興味が移ったのか、にこやかに微笑みながら歩く。アベルはその横顔をちらりと覗き込んでは腹を探ろうとする。

天使と悪魔は、一般的には敵対する別個の存在とされているがその実態は少し違う。悪魔というのは神に反旗を翻して堕天使となったものが多くを占めていて、代表的な堕天使と言えばルシファーだが、それ以外にも堕天使は多くいる。数多くいる悪魔は悪魔という種族として成り立っていることは少ない。結局は、盛大な内輪もめが人間という種族を巻き込んでいる形だ。

元々は仲間だった関係性は、人間をめぐって変わっているというのが通説だ。

「通説通りってことか」

「ん? ……ああ、悪魔と天使の関係性ね。今の人間界ではその認識なのか」

「まあ、小学校の教育で教わることではあるな」

 現在は二五〇〇年。一九〇〇年代の人間同士の世界大戦が終わりを迎えてから一息というところで天使の裁きが始まって、世界は大いに混乱に陥ったという。人に近い形をした下級天使、物語の中でしかありえなかった異形のモンスターのような天使たちの顕現。世界は一致団結し、天使の討伐や対策の会議を『戦争を終わらせるよりも早く始めた』という。

「人類は愚かだが、だからと言って何もしていない人間まで裁く必要はない」

「…………ふむ」

 ルカはいつの間にか足を止めていた。追い越す形となった立ち位置でアベルは、振り返る。アベルの無表情を眺めながらルカはにんまりと笑い、実に愉快そうに口を開いた。

「うん、やっぱりきみは面白いな」

「……はあ」

 アベルは大きくため息をついて、ルカの腕を掴んだ。

「積極的だね?」

「早く終わらせたいだけだ」

 人込みの中で話をしすぎだ、とアベルは告げる。

「ああ、先ほどから通る人たちが不快そうに私たちを見るのはそういう理由か」

 この街は忙しい人が多い。それゆえ、道の途中で立ち止まって話す二人はさぞかし邪魔であっただろう。

 相変わらずペースを乱される。別のことに興味を移される前にさっさと目的を果たしてしまおう。そう考えたアベルは、足早に目的の建物へと急いだ。


 建物の中ではさすがに猫の姿では入れない。いつの間にか人の姿に戻っていたユディトが二人の後ろに立つと、「二人ってさぁ、どういう経緯でそうなったわけ?」と声をかけてきた。

「血を使わなかったって言ってたじゃん。殺そうとしたんでしょ?」

ユディトの素朴な疑問にアベルは眉を顰め、思考し、小さくぼやくような声で返事をする。

「……言いたくない」

「じゃあ私が代わりに言おうか?」

「やめろ。脚色されるくらいなら自分で話す」

「信用ないなぁ」

 あまりにも息がぴったり合ったようなコミカルなやり取りは、ユディトの目には不思議に映った。こんなにも気が合っていそうに見えるのに、種族の差だけが二人を隔てているような気さえした。つい先ほど、残酷な運命の操られ方をしたのにも関わらず。

 ただひとまず、彼女の目的や実態をつかむのが先決だと思った。ユディトはルカに「好きなものを見繕いなよ。ルカちゃんのセンスで選んでみて、それで買えそうな分だけ買って行こう」と声をかけた。ルカは実に素直に「本当に? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」と店の奥へと入っていく。

「あ、おい……っ」

 ルカを体よく追っ払ったユディトは半ば無理やりにアベルと肩を組んだ。

「俺ら仲間じゃん。一緒に仕事すんだからさ、特に天使のことについての隠し事は無しでいこうぜ?」

 言外の「だから話せよ」という圧に、アベルは静かに息を吐く。

「……分かったよ。話す。だからあまりくっつくな」

 肩の腕を払いのけて、アベルは頷いた。そうして、ルカとの出会いを語り始めた。


* * *


 路地裏にたたずむ浮いた姿は天使であった。光の輪を持ち、真白い翼を広げたその姿は間違えようもない天使。アベルは緊急要請に応じ、現場に急いでいた。アベルが着いたころにはそこに人間はおらず、死体となり果てた人型がいくつか重なっているだけだった。

 遅かったか……とアベルが息を切らしていると、天使は静かに振り返った。

「おや……人の子が裁きを見に来るとは。信奉者かな?」

天使は長い髪をたなびかせ、アベルに問うた。人の返り血で穢れているのにも関わらず平然としていた天使にアベルはごくりと生唾を飲み込みながら、話しかける。そこにあった意志は、せめて一騎くらいは天使を殺して帰る必要がある、というものだけだった。冷静に考えれば返り血を浴びているのに平然としている時点で下級の天使なわけがなかったのに、アベルは多くの天使を殺した自分の罪の重さが見えないような言動をした天使の言葉をそのまま信じてしまったのだ。

「はい。……天使様を一目、お目にかかりたくて」

「熱心だね」

 天使は微笑んだ。やわらかな笑みは、どこまでも慈愛に満ちたように見えるが、その実態は残虐なものであることをアベルは知っている。

「こんなにお美しい姿をしているなんて思ってもおりませんでした。信者の中には天使様に邪な感情を向ける者もいると存じていますが……肉欲など持ちようもありません」

「へぇ、珍しい。人のオスは肉欲が強くて堕落しやすいのにね」

「全く情けない話です」

 会話ができる。時間稼ぎをしながら、アベルは作戦を考えていた。人型の天使を殺すには、人体と同じように急所がいくつかある。一つは輪。輪は天使のエネルギーの供給減であり、輪を破壊すれば天使は堕落する。しかしそんな致命的な弱点を持つ輪は当然非常に頑丈だ。重機で押しつぶしたとて壊れないし、人間の力で破壊することは不可能だ。次に、単純に傷をつける。これは先の輪からのエネルギー供給を早くさせることによって天使のエネルギー切れからの不死性の剥奪を狙う戦法。アベルがよく行う戦い方だが、時間がかかってしまう上に普通の攻撃はあまり通用しないのがネックだ。最後に、胴体の切断。先ほどの傷をつける話と似た理論だが、首を切り落とす、腕を切り離す、胴体を切り裂くなどの完全な分断を行うと天使の輪のエネルギーがより多く消耗されることが確認されている。今回アベルが狙ったのは、首だ。

 短時間で仕事を済ませたいアベルにとっては、急所を狙った攻撃は最も有効だった。下級の天使なら急所を攻撃すればすぐにエネルギーが尽きて死ぬ。

「おこがましいことかとは思うのですが、天使様。どうかひとつ、私の願いをかなえてはくださいませんか?」

「願い? 聞くだけ聞こうか」

「抱擁をして欲しいのです。天使様の抱擁でその慈悲の心を己の身に刻み付け、神の長い眠りを己の死まで悔やみ続けたく思っております」

「……殊勝な考えだ。いいよ。おいで」

 天使は腕を広げた。武器もしまわれて、無防備な状態になった。

──チャンスだ、と思った。

「ああ、ありがたき幸せです……」

 後ろ手のハーネスに手を伸ばしナイフを抜き取る。ゆっくりと歩み寄りながらそれを抜いて、完全に臨戦態勢は整った。そうして、アベルは一気に駆け出した。瞬きの隙もないくらい一瞬で天使の背後に回り、顎を持ち上げ、首を切断した。天使の肉体は人間のそれとは違う。まるで植物の茎を詰め込んだような少し硬質な質感をしているが、人間よりは柔らかいそこをナイフで切り裂く。血液はない。紙きれのように、張り付けられたテクスチャがはらはらと落ちる。これを花びらのようだと形容する人間も存在する。主に、天使の教えを真とする信者たちだが。

 長い髪ごと首を切って生首にしてやると、天使の輪は消えて胴体がぐしゃりと倒れこむ。下級の天使ならこれで討伐は完了。人間の遺体と天使の死骸を処理すればそれで終わりだ。

 アベルは息を呑んだ。信者の演技をするのはひどい疲労感を伴う。本当の自分の心とは真逆の行いをしなければならないことは、アベルにとっては強いストレスだった。八つ当たりのように天使の胴体を踏みつけにして、掴んでいた頭を地面に落とした。

 終わりはいつもあっけない。本当に終わったのかと思えるのか不安になるほどに。

 そう思っていると、天使の切り離した頭の上に光の輪が現れた。

「お兄さんかっこいいねぇ」

「ッ!」

 足元からの声は間違いなく先ほどの天使のものだ。

「結婚しない?」

 生首のまま、天使はそう言った。

 ……中級以上の天使だったか。しくった、と考えながら、会話を続ける。

「しない」

「そっか。残念」

 天使はアベルの体重をものともせず足を振り払って胴体を起こすと、その手で自身の頭を手に取る。アベルはその力の強さにも驚いたが、天使が冷静な会話と求婚してきたことに戸惑っていた。そのせいでこの天使を殺さなければならないことがうっかり抜けてしまっていた。

「いやー、しかし。天使の首を切り落とすなんて。きみはよほど天使に恨みでもあるのかな?」

「天使とおしゃべりする気はない」

「そうは言ってもきみ、話しかけられたら耳を傾ける性分の人物だろう? きみのような人物は私のような……」

 天使は自らの首をくっつけながら会話を続ける。その言葉が完全になる直前に、天使の首は完全にくっついてしまった。

「嘘つきの言葉ってのによく惑わされる」

 核心を突いた言葉だった。事実、アベルは天使を殺すことよりも、天使の話を聞くことに耳を傾けてしまっていた。

「このままだときみは神の所有物への暴行罪で裁かれるけど、私と契約して逃れたいっておもわないの?」

「思わない」

「なぜ?」

 矢継ぎ早に問われ、アベルは真摯に答える。

「お前たち天使は、人間と契約をしても残された神の権能で契約内容を書き換えることができる。だから俺を殺さないと契約をしたとして、お前たち天使は契約を書き換えて裁判にかけることも、できる」

「うんうん」

「人間は罪の重さによってスコアが決まっている。そうやって人間と契約した天使は、その契約を書き換えて自らの都合がいいように人間の魂を裁き、神への献上物にする。……つまり、契約をしようがしまいが、助からないから」

 むしろ、天使と契約を交わせば契約によって自らの罪から逃れようとしたとしてより重い罪になる。天使を騙そうとした愚か者として重く裁かれる。

「素晴らしい。知性のある人間は好きだ」

「お前、俺を殺さなくていいのか」

「殺さない」

「なぜ」

 先ほどの問答に近いものが、今度はアベルの口から発せられた。天使は立ち上がり、振り返り、アベルの顔を見た。

「顔が好みだから」

 顔のそばに手を持ってきて、愛らしいとされる仕草で天使は笑った。

 アベルは呆気にとられ、「…………そりゃどうも」と、返すしかなくなった。

「きみ、名前は?」

 アベルは黙り込む。この天使の異様さにうっすらと気が付いていながら、どうすればいいのか戸惑っている。普段からは考えられないような今の異様な状況は、どうするのが最適解なのかアベルにはわからなかった。

「答えないと裁判にかけるぞー」

「アベル」

 天使の声でアベルは反射的に名乗ってしまった。本当の名前ではなかったことが幸いだった。

「……本当の名前は、とっくの昔に捨てた」

 会話をしたせいか、情が沸いてしまった。アベルは相手の天使が敵意のない事を悟るとその場を立ち去ろうと歩みだす。上司には逃げられてしまったと報告しよう、と考えていた。しかしそうはいかなかった。

「そりゃまた随分と皮肉な名前だね。よし決めた」

天使は翼を広げ、アベルの背後に寄り添った。大型の鳥が羽ばたいたときのように、背後からの風がアベルをとりまいた。

「きみという個人の生に興味が出た。きみがイヤと言おうともきみについて行こう。必要なら祝福も授ける」

 天使はにこりと微笑みを浮かべ、アベルの顔をのぞきこんだ。アベルは明らかな嫌悪感をあらわにした。

「そうして日々を過ごし、私の力が必要だと思ったら。私と結婚してくれ」

アベルは天使を睨む。もう、殺すことはできないだろう。この天使も守りを固めているはずだ。どこまでの階級の天使かは知らないが、少なくともこの天使の言葉が真実なら人間にさほど強い執着があるわけでもない様子。

それに、天使は飽きっぽい。殺されることを恐れて天使を殺すハンターのそばからはすぐに離れるに決まっている。帰る途中で怖気づいてどこかに逃げるだろうと高をくくっていた。

「しない」

 アベルは、拒否の言葉を告げてオフィスへと戻ることにした。



* * *


「……つまり、絆されたってこと!? あのアベくんが!?」

「馬鹿! 声がでかい!」

 ユディトの驚きに満ちた声にアベルは咄嗟に頭を叩いて反撃をする。「いたーい!」と半泣きに言うユディトに、アベルは「わ、悪い……」と謝りながら、たじろぐ。

「しかしあのアベくんがねぇ……実はアベくんもルカちゃんに惚れちゃったり?」

「してねぇよ。誰があんな異常者に。つかそもそも種族が違うだろ」

 アベルの反論にユディトは耳を寝かせながら「そっかぁ」と息をつく。ルカとユディトは似た性格をしているが、ユディトのほうがずっと物分かりがいい。前々からユディトの性格は苦手だったが、ルカと比べるとやはりユディトの方がましな性格だと思える。

「ルカちゃん、どんな服を選ぶかな?」

「さあな。どうでもいい。よほどおかしくなければ」

「よほどおかしかったら?」

「シバく」

 アベルの端的な言葉にユディトは「あはははっ!」と声を上げて笑う。そうして談笑しながら待っていると、ルカが店内から「おーい、アベルくーん」とアベルを呼びつけた。ユディトと共にアベルが店内に入ると、ルカはショートボブになった緑髪を揺らしながらくるくると鏡の前を回っていた。

「見てごらんよ! 店員さんのおすすめコーデを試着してみたんだ。どう? 愛らしいだろう?」

 ニコニコと楽しそうに笑う姿はうら若き乙女のような純情な仕草で、彼女の正体が天使で無ければいくらでも愛らしい、可愛いと褒めることができただろう。彼女のそばに立つ店員は「いかがですか? お客様とやり取りさせていただいて感じたイメージをコーディネートさせていただきました」と、そのお客様が今の世間に緊張感を走らせている天使であることなど全く認知できていない様子で営業スマイルを浮かべている。

ころころと楽しげに笑っていたルカだが、不意にその表情を固める。

「……ふむ」

 アベルは嫌な予感が奔った。そして、それはすぐに正解だったと思い知る。

「店員さん、きみ、全部を買わせようと必死だね?」

 瞬間、店員の顔が凍り付いた。ユディトがあちゃあと顔をゆがめ、アベルが「なっ!」と声を発する。しかしそんな三人の人間の反応を気にすることもなく、淡々とものを語りだす。

「アパレルのお店ってよく出来高でボーナスとか変わるものね。私たちに大量の品を買わせようと、必死で積極的な買い物をさせているように見えるよ。きみ、“同僚を出し抜けてラッキー”とすら思っているだろ」

「ルカ。それ以上喋るな」

「おや……事実を述べたつもりだけど」

「言っていいことと悪いことがあるんだよ、この馬鹿!」

アベルの必死の様相はルカには理解できなかった。小首をかしげてアベルを見ると、彼は今にも怒りでどうにかなってしまいそうだった。彼に付き従うと決めた以上は彼の言葉や態度に従うのが道理というものだろう。ルカはやれやれと息を吐くと、そのまま押し黙り、アベルに目配せをする。アベルは舌打ちを返した。

店員は凍り付いた笑顔のまま、なんとか接客を続けようと口を開く。実に、不憫だ。同僚が同じように店内にいるのに唐突に暴かれた裏事情。このあとの彼女の立ち位置は実にやりづらいものになるだろう。それを憂いて、ユディトは「あらら」とだけこぼす。

「おっ、お客様のグリーンの髪色にあわせ、アースカラーを中心に差し色に白をあしらった透けるタイプのニットをご用意いたしました! 濃いめのブラウンのロングスカートがニットの花柄をより強調し、印象的な仕上がりになったかと存じます!」

 全身コーデを頼んだせいだろう、店員はすべてを買わせようと積極的にアピールを行っている。どうやら先ほどのルカの言葉は真実で、引くに引けなくなった様子だった。少しの見苦しさを孕んだその行為もルカにとっては何ら関係がないらしく、彼女は平常通りの様子で開口する。

「ほらほら、店員さんもこう言ってくれている。これでどうだい?」

「……そうだな。それより、そのアクセサリーは?」

「かわいいだろう。私の私物さ」

金色をした、細身のチェーンに天秤をあしらったようなネックレス。今の世の中では上級天使の使う天秤をモチーフにしたものは少しロックな趣味をしていると捉えられるだろう。

「……まあいい。欲しいのはそれだけか?」

「ほかにも色々着せてもらったよ。ほら、見て見て!」

 店員からショッピングバッグを受け取ると、その口を開ける。中にはどっさりと服が入っていて、少なくともしばらくの生活には困らなさそうな量の服が入っていた。アベルはその中身の量だけを確認し、すぐに「よし、会計するぞ」とルカに告げた。

「確認しなくていいの?」

 ユディトの助言に、アベルは端的に答える。

「あれだけ量があれば変な着まわし方をしなければなんとかなるだろ」

「ありがとうございます! お会計はこちらにどうぞ!」

 店員はそそくさと、満面の笑みでレジカウンターへとアベルを案内する。その後ろで、ユディトはルカに話しかけた。

「ねぇねぇルカちゃん。さっきの運命の操作ってさ、明日きみが一緒にいてくれたらより軽度なものにできるよね? アベくんは感情的になってキレてたけど、実はもっとうまくやれば怪我の運命も回避できるっしょ?」

 ひそひそと内緒話をするように問われた言葉に、ルカはきょと、と驚いた顔をしてからやわらかに微笑む。

「その通り。きみも随分と賢い人間だね」

「あれ、プロポーズはしないの?」

「あ、聞いた? ふふ、天使は一途な生き物なのだよ」

 ルカはアベルとの出会いの話をユディトが耳にしたであろうことを察すると即座に自分たちは一途な生き物だ、と提示した。あまりにも食い気味な返答はユディトに、「アベルへのプロポーズがいかに本気のものだったか」を思い知らせた。厄介なものに憑りつかれたものだ、とユディトが考えていると、会計を終えたらしいアベルが二人のもとに戻ってくる。

「なんだ、まだ着替えてなかったのか」

「買ってくれると思ってたからね。タグは切ってもらっていたのさ」

「……そうかよ」

 先読みされていた悔しさのようなものはあるが、これ以上面倒ごとになる方が厄介だ。アベルはルカの言葉に素直に頷いて応じると、ユディトの方に向き直った。

「領収書。経費で落とせるんだよな?」

「上はうまく言いくるめるけど……すごい金額だね。ここってそんなハイブランドだったっけ?」

 ユーモラスな言葉を放ったユディトにアベルはため息を返した。やっぱり、ユディトとルカは性格自体はよく似ている。まともに付き合うのが疲れる相手が二人。アベルは思わず空を仰ぐような姿勢になって疲弊をあらわにした。

──全く、本当に疲れる二人組だ。

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