第22話 薄情な人

愛ちゃんの頭と腕が、力を失ってだらんと垂れる。


それを確認した私──高野美月は、首に巻き付けた紐をゆっくり緩める。


愛ちゃんの身体は糸が切れたようにふわりと崩れ落ちる。


ゆっくり抱き上げると、もう息はなく、身体は次第に冷たくなっていった。


まるで氷のようで、人の身体はこんなにも冷たくなるんだと驚かされる。


──死んじゃった、愛ちゃん


それだけが分かった。それだけが感じられた。


不思議と悲しくはなかった。涙もでなかった。


今の愛ちゃんはもう私の抵抗なんかしない。すべてが私の思い通り。


そう考えると、胸の奥のざわつきが急速に消え去っていく。何だかほっとする。静かな満足で身体が満たされた。


倒れている愛ちゃんをあおむけにし、膝枕の体勢にする。


「……やっと、だね」


囁くように呟きながら、私は愛ちゃんの身体を抱き起こす。

軽い。こんなに軽かったっけ、と不思議に思う。


膝に頭を乗せてあげる。愛ちゃん、膝枕好きだったもんね。


愛ちゃんが初めて私を好きと言ってくれたのは、体育を抜け出して、ベンチで膝枕したあの時だった。


そのまま、さらりと髪を撫でる。髪は指に絡まることなく、手から通りすぎていった。


愛ちゃん、ずっとヘアケア続けてくれてたんだ。


私が教えたやり方。それが何だか嬉しい。


愛ちゃんも私のこと思ってたって伝わってきて、無性に胸が満たされる。


私はふっと微笑むと、愛ちゃんの頬に触れる。


触れる指先がひんやりと冷やされる。だけど、その冷たさすら愛おしい。


愛ちゃんの顔に唇を近づけて、ゆっくりとキスした。


唇はまだほんのり体温が残っていた。口づけを返してくれることはないけど。


力なく開いた口元を、指で上に押し上げて形を作る。

少し歪んだ笑顔ができた。


私は床に落ちていた自身のスマホをとるとカメラを開いて、高く掲げる。


「はいチーズ」


パシャ。


私は膝枕したままの愛ちゃんと、ツーショットを撮った。


一枚じゃ足りなくて、角度を変える。

愛ちゃんの頬に自分の頬を寄せる。

頭を撫でながら撮る。


何十枚も撮った上で、バッチリな1枚を選び抜く。


モデルのインスカに写真を投稿すると、すぐに反応がきた。


──相変わらずきれいすぎる!


──リップ何使ってますか?


──美月に注目いってるけど、隣の子も大分可愛い


なんてコメントと共にハートがつく。


──てか、隣の子生きてる?


けど、そのコメントが投稿された途端、流れは一気に変わった。


──確かにもう一人肌白すぎるな

──さすがにそんなわけないだろw

──首よく見ろよ

──なんか首絞めた後あるの闇深い

──は?これガチなら警察案件だろ

──演出やて。サクラ乙

──そもそも膝枕されてる子誰だよ

──調べても出てこないな

──やばいやばいやばいやばい

──拡散しろ!


ピロンピロンピロンピロン。


スマホから通知音が鳴りやまない。


けど、私にとってそんな有象無象の言葉はどうでも良かった。


燃え盛るコメント欄を見たところで、怒りも恐怖も焦りも感じなかった。


ああ、こんなに多くの人が私たちを見てくれてる。という幸福感。


それだけを強く感じる。


ネットの世界でどれだけ罵倒されても構わない。


いや、むしろ存分に騒ぐ立ててほしい。


これで、この世界には私と愛ちゃんの存在が、永久に残り続ける。


これが私の生きたシルシであり、愛ちゃんの生きたシルシだ。


現実の音が全部、遠くなる。


返事はない。

けれど、私は構わず話し続けた。


画面の中の私たちはこれから永遠を生きる。誰の記憶から消えてもデータだけが足跡を残し続けるから。


そう思うと、心が安らいでいく。


ゆっくりと視線を膝の上に落とす。


「……ねぇ愛ちゃん」


ほんの一瞬、自分の膝の上にいるのが誰なのか分からなくなった。


柔らかい髪、白い肌。でも名前が出てこない。


誰……だっけ?


喉がひくりと震える。

指先が冷たくなり、心臓の音だけが大きく響いた。


「……愛ちゃん、だよね?」


確認するみたいに頬を触る。

冷たい。硬い。


「うん、愛ちゃんだ。私の……大好きな、愛ちゃん」


もう、悲しみはどこにもなかった。

それどころか、悲しもうとする回路すら消えてしまったようだった。


世界は静かだ。


私と愛ちゃんの幸せと祝福に包まれた世界だけがここにある。


「愛ちゃん、大好きだよ」


私はそう呟く。愛ちゃんからの返事は返ってこなかった。


「これで、もう2度と離れない」


私は愛ちゃんをぎゅっと抱きしめる。

腕の中の身体はもう温もりを持たないけれど、それすらも心地よかった。


時間だけが流れていく。


やがて日が暮れ、外の世界は暗闇に包まれていく。


カチカチ、と動き回る時計の秒針が妙に速く感じる。


そのまま何周も何周も長針が周る。


愛ちゃんと過ごす刹那すべてが愛おしくてたまらなかった。


愛ちゃんに何時間と触れられる日を夢見ていた。


けれどそれが叶うわけはなくて、だから寝る前はいつも愛ちゃんを求めていた。


それが今日叶ったのだ。


ずっと膝枕を続けていても脚のしびれなんてない。


だって愛ちゃんは、もう私なんだから。


ああ、これが好きって気持ちなんだね。愛ちゃん。


────────


そして──高野美月という少女のインスタは瞬く間に拡散された。


しかし、ネットが騒ぎ立てるばかりで、捜査は進展が全くなかった。


数週間もたてば、次第に人々の記憶から薄れ、消えていった。


あの写真を最後に、少女のインスカが更新されることはなかった。


写真の2人の少女の行方は、もう誰も知らない。



****


次回──最終話 天国と地獄

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