《中村ショウタロウ》⑤
私たちがカレンさんと合流すべく山道を低速で走っているとき、道を塞ぐようにそれは現れた。
「……あれは?」
それは、季節外れのコートに身を包んだ、背の高い女性だった。腰元まで伸ばした長い髪に、何よりも特徴的なのは、口を大きく覆う白いマスクだった。
その白いマスクは、今よく見かける使い捨ての不織布ではなく、古くさい、野暮ったい布製のガーゼマスクで。
「ああ、あれだね、あれ」
それは止まったこちらの車にそのまま近づいてきて、運転席側の窓をノックしてきた。
所長は窓を開けると、それと視線を合わせた。
「ワタシ、綺麗?」
女が問うと、所長は心底ダルそうに答えた。
「綺麗ですよ」
「これでも?」
そう言うと、女はマスクを取り外して、それを見せた。
耳元まで大きく裂けた痛々しい傷口が、外気に晒される。
「はいはい、綺麗だよっと」
所長がべっこう飴を山林の向こうに思い切り投げ飛ばすと、それは四足歩行で、まるでボールを投げられた犬みたいに飴を追いかけていった。
「口裂け女、初めて見ました」
「このへんでは結構出るんだよ。ジビエ猟だってシカとイノシシと口裂け女が主な対象さ」
「マジですか。……どんな味するんですか、あれ」
「見た目はクセがあるけど、クセのない豚肉みたいな味だったよ」
「……食べたことあるんですか。うげえ」
「なかなか美味しかったね」
「ゲテモノじゃないですか」
「そんなことないよ。一部では口裂け女の家畜化なんて研究も進んでるくらいなんだ。確かに返答に失敗すると怖いけど、結局はそれだけの生き物だからね」
「そもそもあれってなんなんですか。類人猿なんですかね」
「詳しいことはわかってないけど、サルの一種らしいよ。人間の言葉を喋るのは、文鳥が人の言葉を模倣するのと同じなんだってさ。脳はチンパンジーの半分の大きさもないし、言語を操れるわけがないんだ」
「なるほどなあ」
「なのに容姿についての言葉にだけは反応するんだから不思議なものさ。あのマスクもコートも全部皮膚なんだから、生き物の神秘っていうのはすごいよね。正直、怪異なんかよりこいつのほうがよっぽど興味深いくらいさ」
そんなことを話しながら、私たちは山を下っていった。
すると、何かに乗り上げたようなゴン、という音がして。
「ああ、やっちゃったなあ」
車を降りると、そこには口裂け女の死体があった。
タイヤの跡をつけた、血まみれで土まみれの胴体が、転がっている。
「轢かれるなりなんなりして死んでたのが放置されてたんだね。話に夢中で気づかなかった。……本当は通報しなくちゃなんだけど、急いでるし横に退けとこうか」
私たちは軍手をはめると、いっせーのせで口裂け女の死体を道の端に退ける。体の割に、とても軽かった。まるでゴムで出来てるかのように、体もぶよぶよしていた。
「軍手は捨てておこう。なんの病気を持ってるか分かったもんじゃないからね」
そのまま私たちはアルコールで手を丹念に拭くと、下山を再開する。
「でさあ、本当に口裂け女ってけっこう美味しくてさあ」
「この流れでその話また出来るんですか」
「ジビエの美味しいお店があるから今度三人でいこうよ」
「カレンさんも巻き込まないでくださいって」
「大体、何がそんなに嫌なんだい? シカとかイノシシの肉なら食べられるだろ?」
「それはそうですけど、やっぱり見た目が人に近いわけですし。チンパンジーの肉とかも嫌ですよ、私」
「でもチンパンジーよりよっぽど知能は低いし、さっきも触ったから分かるだろう? ぶよぶよしたあの感触はボクたちの仲間じゃないって」
しばらく考えた末に、私は返答していた。
「……まあ、それもそうですね」
食べられるなら、そこまで拒否することもないだろう。
「よし来た。じゃあ三人で食べに行こう」
「そういえばずっと気になってたんですけど、あのマスクもコートも全部皮膚ってことは、人類が衣類を発明する前から口裂け女はあの格好だったってことですよね?」
「そう、そうなんだよ。すごいよね、口裂け女って。まるで人が想像した、都市伝説みたいな動物なんだよ」
「都市伝説て。……テケテケとか八尺様と同じジャンルだっていうんですか」
流石にそれは言いすぎだろう。動物園に行けば普通に見られる生き物を化物扱いは変だ。
「でもほら、海底にもすごい生き物がたくさんいるだろう? 他にも、大昔に生息していた恐竜みたいな感じで、生き物っていうのはロマンがあるんだよ」
「そんなもんですかね?」
「そんなもんだよ」
文系高卒のくせに万年白衣の所長と私は、そんなふうに愚にもつかない会話を続けながら、山を下っていった。
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