第五章《くねくね様》

《くねくね様》①

 くねくねって知ってますか? あの有名なネット怪談のくねくねです。八尺様とか、姦姦蛇螺とか、コトリバコとかと同じ、有名なネット怪談のあれです。


 田んぼなどに生息する白くてくねくねした何かであり、それを見てしまった人間は精神異常をきたす……っていう2ちゃんねる発祥の怪談なんですけど。


 私と彼氏はマッチングアプリで知りあったんですが、付き合ったきっかけは、オカルト好き同士だったからなんです。それで、付き合ってしばらく経ってからでしょうか。彼氏がこんなことを言い出したんです。


 くねくねの目撃情報がある村があるんだけど、一緒に見に行かない? って。


 私はくねくねを純然たるフィクションだとは思っていたんですが、彼氏のこういう無鉄砲なところも好きだったので、この暑い中わざわざそこに向かったんです。二人とも大学生で夏休みで暇だったから、たまには良いだろって。


 私たちがついたのは、それこそ絵に描いたような田舎でした。田んぼと畑しかないみたいな、何キロも歩かないとコンビニがないみたいな、関東にこんな場所があったんだって感じの田舎でした。


 私たちは帽子を被って水筒と塩分タブレットを持って、熱中症対策も万全にくねくね探しを始めました。いつぞやくねくねの正体は熱中症みたいな安っぽい言説も流れていましたし、これだけ暑かったらそれも冗談じゃなくなってしまいますから。


 なんですけど、ちょっとした手違いで双眼鏡がひとつしか用意できなかったので、かわりばんこに見ていくことになりました。彼氏は真面目くさった顔で、これなら片方がおかしくなってもどうにかなるみたいなことを言ってましたけど。


 そういうわけで、私たちは元ネタの怪談どおりに田んぼを捜索し始めました。それらしいものを見かけたらとりあえず双眼鏡で見てみるみたいな感じで。まあ、ほとんど案山子や地元の人だったんですけどね。


 ……それで、あるとき、遠くに白い人影が見えたんです。そうです、白い人影です。その時は彼氏が双眼鏡を持ってたんで、私はあれくねくねかも! って指さしたんです。


 そしたら彼氏がすかさず双眼鏡でそれを見て、そっから黙ってしまったんです。いつもだったらわざとらしく実況してくれるんですけど、本当に一言も発しなくなってしまって。


 私がいくら話しかけてもピクリとも動かずに、その白い影をじっと見るだけで。


 最初は私を驚かそうとしてるだけだと思ってたんですけど、いくら何でも長過ぎるとそう思って彼の肩を揺すったんです。……そしたら彼は、白目をむいて泡を吹きながら痙攣して倒れてしまって。


 もう白い影なんて気にしてる場合じゃあありませんでした。私はすぐに救急車を呼んで、彼は病院へ搬送されました。


 ……そこから彼氏は今日に至るまでずっと意識不明で。医者はひどい熱中症にかかったからだって言うんですけど、そうとは思えなくて。さっきも言いましたが、熱中症対策は万全でした。何より、私たちは外で一時間も活動していませんし。


 だから私は思うんです。……彼氏は、本当にくねくねを見てしまったんじゃないかって。


 だけど、怖くて地元の人達にそれらしい伝承がないのか聞くことは出来ませんでした。そのままこうして地元に戻ってきて、偶然ここを、新島心霊事務所さんを見かけて、それで来たんです。……お願いします。あれはなんだったのか、彼氏はもとに戻れるのか、教えていただけないでしょうか。


 ※


 くねくねって本当にいるんだ――私、御原ユイナは、その話を聞いてまっさきにそう思った。くねくねの発祥は確か二〇〇三年の2ちゃんねるで、それらしい伝承を民俗学者などが調べたが出てこず、単なる創作だと結論付けられていたはずである。


「……あははは、信じられませんよね」


 依頼者は自嘲するように言った。


「これ、いくらなんでもまんますぎますもんね。私だって誰かに言われたら信じられないと思います」


 そう言う彼女の目には濃い隈があって頬もこけており、彼女の悩みが切実なことを伺わせた。


「そもそも、これが本当にくねくねかどうかは、誰にもわからないよね」


 所長――新島サキコが口を開いた。


「原理的にくねくねの本当の姿は誰にも確かめようがない。我々が何となくスナフキン的なものだと思ってるだけで、本当はぜんぜん違う姿なのかもしれないからね」


 いや、スナフキンて。


「……多分スナフキンじゃなくてニョロニョロって言いたかったんだと思うけど、言いたいことはだいたい分かったわ、サキコ。スナフキンは吟遊詩人の方だし」


 私はしれっと補足した。


「うるさいな、間違えたんだよ悪いか。……でも実際そうなんだよ。もしかしたらムーミンかもしれないし、バーバパパなのかもしれないんだ。その姿を見た人はもれなく発狂してるんだから、確かめようがないんだよ」


「さっきの間違いはだいぶダサかったですね、所長」


 同僚の旭カレンが、肩を震わせながら言う。


「黙れ、減給するぞ」


「……すいません、それだけはご勘弁を」


 そんな話をしていると、依頼者は露骨に困惑した様子を漂わせていた。


「……おっとごめん。こいつらはシリアスな空気に耐えられないパーなんだ。とにかく、ボクはキミの言うことを信じるよ。だからとりあえず、彼氏さんの状態を見せてくれないかな?」


 そういうわけで、私たちは依頼者の彼氏が入院している病院へ向かった。


 ※


「一応祓おうとしたけれど、駄目だったね、ユイナ」


 病室を訪れた帰り道、サキコが口を開いた。


「ええ。……あれには、何かが憑いていたわ。真っ黒い、かなり悪いものが」


「それで、どうする? 今回の案件、受けるかい?」


「何かが取り憑いてるってことは、祓えるってことなんでしょうけど。それこそ、本体を叩けばあの人だってもとに戻る可能性はある」


「ああ、可能性はあるね。……だが、聞いた限りじゃ、今回の相手、かなり厄介だよ」


 まったくもってその通りだった。


「私たちは連中を見ることで倒す。札を貼って強化して、斬り殺す。なのに相手は見ただけで発狂すると来た。はっきり言って無茶がすぎるわね」


「それじゃあ、どうする?」


「……そんなの、決まってるでしょう」


 ああ、最初から答えは決まっていた。


 お人好しと笑うなら笑えば良い。しかしそれでも、昏倒した彼氏を見つめる依頼者の横顔を見てしまえば、答えはひとつしかなくて。


「ぶっ倒す。そうに決まってるわ」


「ああ、ボクもそう思ってた。カレンくんもそうだろ?」


「わたしは鈍感ですから、全然やれますよ」


 そう言ってカレンも親指を立ててサムズアップした。

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