《赤い赤ん坊》③
林に入って少ししたところに、その穴はあった。
大人の肩ほどの高さの中空に浮いた、穴。真っ黒な虚。
大人一人が頭から入れそうな、大きな暗黒。
「アンナちゃんも見えるんだ。……そりゃそうか、ボクより霊感あるもんね。ちなみにカレンくんは?」
「全く見えません!」
「だろうね。……それより、この穴」
「……はい、聞こえますね」
その穴からは、かすかに声が漏れ出ていた。
「助けて、助けてって、言ってますね。男の人の声です。……多分ですけど、榊原キョウジの声っぽいです」
「えー、怖」
「問題は、これが本物かってことだけど」
「人間の声を真似して人を誘ってるだけかもしれないってことですか」
「ありうるね」
言いながら所長はこぶし大の石を拾い上げて、思い切り穴に向かって投擲した。
すると、穴から『痛あっ』という、かなり痛そうな声が聞こえてきた。
「これ、本物っぽいですね」
「……だとして、どうする?」
「札貼ってみたらどうなるんでしょうか」
「中にいる榊原が無事である保証はないけど」
「……ですよね。ちなみに旭さんにはさっきの投擲、どう見えてました」
「石が虚空に消えて、合成か手品みたいだったね」
「さっきボクがやったみたいに石投げてみて」
旭さんは言われたとおりにしてみるが、石は穴を普通に突っ切って地面に落ちた。
「じゃあ走ってみて」
予想通り、普通に突っ切って終わった。
「それでどうします? なんか血が出てるとか言ってますけど」
「あー。ヤバ」
「ヤバじゃないですよ。何であんな大きい石をわざわざ選んだんですか」
「小石じゃリアクションとってくれるか分かんないし」
「そりゃそうですけど。……何でカバンから紐を出してるんですか」
所長は無言で近くの林に、綱と言っていいくらいの太さの紐をくくりつけていた。
「言うてまあ助けに行くしかないでしょ」
「誰が行くんですか」
「霊感が一番強い人だよ」
「……嫌ですよ、絶対嫌ですからね。そもそも怪我させたの所長じゃないですか」
「所詮霊感凡人であるボクが行っても何とかならないかもだろ。それに大した距離じゃないから大丈夫だよ。石が届くってことは狭い空間なわけだし。何のために高い時給でキミを雇ってると思うんだ」
「嫌です」
「嫌じゃないんだよ。ボクは雇用主だよ。ほらめっちゃ呻いてるし早くしなきゃ」
「安心してアンナちゃん、わたし力だけは自慢だから、絶対引っ張り上げるから!」
所長の言葉に旭さんまで加勢してくる。
「……分かりました、分かりましたよ。じゃあ特別ボーナスください。危険手当です」
そんなわけで、私が引っ張り上げることになってしまった。
……考えてみれば当たり前だ。女子中学生をこんな夜中に働かせたり、悪霊退治に動員したりする連中がまともなわけ無かった。
そういうわけで、私は今腰に綱を巻いて、中空に浮かぶ、真っ黒な虚を前にしていた。
嫌な汗が額から止まらない。動悸が止まらない。本当に大丈夫だろうか。石が入ったってことは綱が切れる可能性は低いだろうが、万が一ということもありうる。
(……落ち着け、私)
そうだ、この中に入っているだろう榊原キョウジさんには心配してくれる友達もいれば家族もいる。一方の私にはなにもない。後ろに控えてるボンクラ共は一週間くらいは引きずってくれるかもしれないが、まあしょうがないよねくらいで済ませそうだ。
大体、悪霊を強制的に強化して対峙するなんていう危険な仕事に勤しんでいる時点で、こんなものに文句を言うのも変だろう。危険性という意味では、大した変わりはないはずだ。いいや、少なくとも内部で人間が生存してるだけ、こちらのほうがマシかも知れない。
(……しょうがない、やるか)
覚悟を決めた私は、腰紐の固さを確認してから、駆け出した。
「うおおおおおおっ!」
穴に向かって、手を伸ばす。
高所から水に飛び込むような抵抗を感じたあとに、私の上半身は穴に飲み込まれて。
そこには、たしかに榊原キョウジがいた。
真っ黒な果てのない空間に、榊原キョウジが浮いている。
頭から血を流して、こちらを見ながら目を剥いている彼に向かって手を伸ばす。
「掴んでくださいっ」
彼はその手を握り、
「今ですっ!」
私の叫びに呼応して、綱が思い切り引っ張られた。
※
「良かったああああ、無事でぇええええええ!」
何とか外に出てきた私が最初に受けた洗礼は、旭さんの抱擁だった。
「本当はね、めっちゃ心配してたんだよ!? でも所長はてこでも動かないだろうから黙ってたの! ごめんねえ、ごめんねえ!」
なんでこの人は泣いてるんだろう。
私とこの人なんて、ちょっと一緒に仕事をしたくらいの仲でしかないのに。
「アンナちゃんもユイナみたいになっちゃったらどうしようって思ってた! 心配してたとか言ってもやってることはこれだもんね、ひどいよね! でも、でもね!」
「……すいません、あの」
「すいませんはわたしのセリフだよぉ!」
「……いやそうじゃなくて旭さん」
「カレンって呼んでよお!」
「……痛いです、カレンさん」
一八〇㎝以上タッパがあって戦闘能力にも自信のある成人女性に抱きしめられたら、そりゃキツいだろう。
「あ、ごめんね!」
やっと彼女は私を離してくれて、やっと人心地ついた。
「……それで、榊原さんはどうなったんですか」
「気絶してるね。でも生きてるよ」
所長がそういう傍らには、頭から血を流した彼が倒れていて。
「……とりあえず、これで一件落着ですか」
すでに空は薄明くなっていて、鳥が鳴き始めていた。
「もう、朝?」
「……わたし達、三時間くらい待ってたんだよ」
「マジですか」
どうやら、外と中では時間の流れが違ったらしい。道理でめちゃくちゃ心配されたわけだ。
「いやでも、だったら何で声はリアルタイムで聞こえたんでしょうか」
「こいつらの仕組みなんて真面目に考えるだけ損だよ、アンナくん」
何にせよ、私が榊原さんを助けたのは事実のようだった。
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