《人間ムカデもどき》②
「だだだだ、誰ですかっ」
そこには、女が立っていた。
背の高い、スーツ姿の女。金髪をポニーテイルにまとめた、サングラスの女である。サングラス越しにもわかる、細められた目。整った鼻梁。だけど綺麗以上に、胡散臭いが先にやってくる。
「さあ、誰でしょう?」
ハチャメチャに胡散臭い女は問いを無視して、そのまま私の手を引いてベッドから立ち上がらせた。
「思うに、今アンナちゃんは困ってると思うんだけど」
「不審者の登場に困ってます」
こうして立ってみると、本当に背が高いことがわかった。一八〇㎝後半はあるんじゃないだろうか。女性としてでなくても、かなりの長身だ。
「そんなことよりもっと危ない目に合ってるくせに」
言いながら彼女はカーテンを開き、窓の外を指さした。
「――ひっ」
そこにはやはり、アレが、闇の中でも浮かび上がる、人間ムカデもどきの黄金の瞳があって。
「ああ、やっぱり、なんかいるんだ」
「……見えてないんですか」
「うん、なーんにも。だってわたし、アンナちゃんたちと違って霊感ないし」
言いながら彼女は、胸ポットから名刺を取り出した。
そこには、新島心霊事務所 除霊師 旭カレンと書いてあった。
「……見えないのに、名乗っていいんですか」
「見えなくても霊を除ければ除霊師でしょ」
「てことは」
私は期待に目を輝かせながら、彼女を見つめた。
「いいや、わたしはどちらかと言うと除霊師見習いと言うか、除霊師手伝いというか。……とりあえず、今の状況を教えてくれるかな?」
「……はあ」
私は仕方なしに、いきなり現れた非常に胡散臭い自称除霊師にここに至るまでの経緯を説明した。
「……なるほどなあ、魅入られちゃったんだ、アンナちゃん」
「さっきから思ってたんですけど、名前で呼ばないでくれませんか。ていうか名乗ってませんよね」
私の言葉を無視して彼女は続ける。
「これは除霊しなきゃまずいね。この家は結界が張ってあるから大丈夫だけど、外に出たらすぐにあいつに餌食だよ。アンナちゃんは霊感が目覚めたばかりだからちょうど狙われたのかな?」
「その、結界って」
「アンナちゃんのお姉ちゃんが、ユイナが張ったやつだよ。お姉ちゃんに感謝しなきゃだね」
「……あの、姉は、一体何者だったんですか」
「それはまあ、あとでにしよっか。今はこいつを退治しよ?」
「ちょっ、旭さんっ」
彼女はにこりと笑いながら、窓を開け放った。
「そんなことしたら、化け物がっ」
「言ったじゃん、結界が張られてるって。そんなことより、ほら」
彼女はそういいながら、私にそれを手渡した。
「……御札?」
そうだ、それは御札だった。何やら呪文が墨で描かれている、いかにも心霊アイテムと言った風情のそれを私は受け取る。
「これを外の人間ムカデに貼ったら、それで除霊できるよ」
「いやいやいや、何で私がやるんですかっ! 除霊師なんでしょ!?」
絶対嫌だった。化け物は今もこちらを黄金の瞳で睨めつけているのだ。いかにここに結界が張られていようとも、この札を貼るには手を外に出さねばならないではないか。
「見えないわたしがやってもすり抜けて下に落ちて終わりなんだよ。さっき追いかけられたときも普通の人たちを素通りしてたでしょ? あれと同じことが起きるだけ」
「じゃあなんで除霊師なんですか!?」
「……とにかく、これは霊感のあるアンナちゃんが貼らなきゃ駄目なの。このまま一生家のなかで引きこもり続けるのがお望みなら別にいいけど」
彼女の真剣な声のトーンに、私も落ち着きを取り戻す。
「本当にこれ貼ったら、それで退治できるんですよね? 絶対ですよね?」
「うん、絶対大丈夫」
「本当に絶対ですよね?」
「うんうん、絶対」
「ああもう、わかりました、絶対ですからねっ!」
私は覚悟を決めて、札を手に窓から手を出して。
ぺたりと、その黄金の瞳に、札を貼った。
いいや、貼ったと言うより、吸い込まれていったと言ったほうが正しいだろうか。
そして、次の瞬間には札は燃え尽きて、炭と消えていて。
《―――――――――ッ!》
そうして、人間ムカデが、はじめて絶叫した。
額に黄金の瞳をいただく人間ムカデ、その縫い合わされていたはずの目口が、拘束を破ったのだ。
耳を聾する絶叫。
耳だけじゃない、心までも侵食するような、呪音。
裂けるまで開かれた大口から見える歯は、あちこちに真っ黒な虫歯の生えた、腐臭を放つ涎まみれの乱杭歯で。
開かれた目には、どうしようもなく真っ暗な、果てのない闇がたたえられていて。
黄金の瞳は、先程よりもなお見開かれ、まばゆいほどに煌々と輝き、こちらを強く強く睨めつけていて。
なに、これ。……どう考えても、さっきよりヤバ――
「――アンナちゃんっ」
気がつけば、襟首を掴まれて、私は部屋の外まで投げ飛ばされていた。
かくして、自称除霊師と、黄金瞳の化け物が対峙する。
対峙? ……そうだ、対峙だ。
先程までは一歩も入ることが出来ていなかったはずの姉の部屋に、それは確かに侵入していた。
「……やっと見えた。噂通り、いいや、それ以上の化け物だね」
「なんでっ、なんで入ってきてるんですか!」
「そりゃ、結界を破ったからに決まってるよ」
いいながら彼女は、懐からそれを取り出した。
それは、短刀だった。
白木のシンプルな拵えの、ドスとも呼ばれるようなタイプの刀。
通常のそれと違うのは、鞘にいくつもの札が貼られているところで。
「こいつらは自分を見ることが出来る相手にしか干渉できない。言い換えれば、見ることが出来れば、こちらも干渉できる」
《―――――――――ッ!》
化け物が、人間ムカデが、ぶよぶよとした胴体を踊らせ、ひょろ長い大量の手足で四つん這いに駆けながら、呪音を迸らせ、黄金の瞳を輝かせながら、襲いかかる。
「だから、アンナちゃんにはこいつを強くしてもらったんだ」
鞘から短刀が放たれ、化け物の首は、あっけなく撥ねられた。
「わたしみたいな霊感オンチでも干渉できるくらいにね」
※
首をはねられた化け物は、あっさりと塵と消えた。
「……さっきの、なんだったんですか」
私は腰を抜かしたまま、旭さんに問う。
「さあ、なんだろうね。わたしはこういう方面にはめっぽう疎いし。まあ悪霊の類なのは間違いないだろうけれど」
「そうじゃなくて、その刀です」
すでに鞘に納められた、化け物を一刀両断した短刀を指さして言った。
今はすっかり感じられないが、抜刀の瞬間、さっきの化け物を凌ぐような嫌な感じがしたのである。私が腰を抜かしたのは、どっちが原因なのか分かったものではない。
「いわゆる妖刀ってやつだよ」
「……妖刀ですか」
「自殺者が多発した駅のレールを鋳溶かして作ったとか聞いてる」
「嫌な逸話ですね。……何で平気で使えるんですか」
「鈍感だからじゃないの? わたし、霊感ほぼゼロだし。このサングラスをかけてギリギリ見えてるみたいな感じなの」
「霊感がないから、あの強化された化け物と平気で戦えるんですか」
「まあ、そんなところかな。わたしとユイナは、だいたいこんな感じで除霊をしてきたんだ。ユイナが札を貼って霊を強化して、やっと見えるようになったそれをわたしが斬り殺す。そうやって今までやってきたの」
旭さんの声は、ひどく寂しそうで。
「……姉さんは、もしかして」
「ああ、仕事の途中で、行方不明になった。……ごめん、言い出せなくて」
言えるはず、ないだろう。
悪霊との戦いに末に行方不明になったなんて。
「旭さんは、悪くないです。……でも、遺体は見つかってないんですよね?」
「うん。ユイナの遺体は、見つかってないよ」
「じゃあ、生きてるかもしれないんですよね?」
私は目を輝かせて、問うた。
「……それは、わからない」
「ええ、わかってます。姉さんは悪霊に敗れて死んだのかもしれない。でも、ただの行方不明よりもずっとマシです。何より、こうして幽霊がいるってわかったんだから」
私はやっと立ち上がって、続ける。
「私は、もう一度、姉さんに会える」
それだけで、十分だった。
「なるほどなるほど、キミはお姉さんに会いたいのか」
「……は?」
そんなふうにいった私の前に、それは現れた。
階段を上り、廊下に立つ私の前に、現れた。
白衣姿の、女。
背は少し高いくらいで、すごく猫背で、黒髪を肩まで伸ばしたショートカットで、肌は幽霊みたいに白く、けれども目の下の隈はすごく濃い、年齢不詳の女性。
不審者その二が、家に上がり込んでいた。
「……新島所長、来てたんですか」
新島――聞き覚えのある名前だった。
「この人は、わたしが勤めてる事務所、新島心霊事務所の所長の――」
「新島サキコだ、よろしく」
彼女はそう言うと、懐からメガネを取り出して、私にかけた。
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