新島心霊事務所怪奇録~幽霊が見れたら良かったのに~
いかずちこのみ
第一章《人間ムカデもどき》
《人間ムカデもどき》①
幽霊が見れたら良かったのに。
私、御原アンナは、たしかにそう願っていた。
昔、小学校のクラスメイトに、幽霊が見れると言っている女の子がいた。私はそれを信じていなかったし、ただチヤホヤされるための方便だと思っていたけれど、それでも、本当にいるならば、私の前に出てきてほしかった。
一年前、私の一四歳の誕生日に、私の姉、御原ユイナは行方不明になった。
早くに両親が亡くなってから、他に頼る親戚もない私の面倒をずっと見てくれた、十歳年上の姉が、突然失踪したのである。
そうだ、失踪しただけで、生きているか死んでいるかなんてのは分からない。
だけど私は、姉がいなくなってから半年経ったとき、彼女は死んだんだと思うことにした。
近所の人が後継人になってくれたけれど、それでも私は姉さんや両親が残した家に住み続けて、姉を待ち続けていた。
生きていてほしいと、最初は願っていた。
たとえば記憶喪失で帰りたくても帰れない。そんな可能性もあるかもしれないと、当時の私は考えていた。だけどこれだけチラシをあちこちに貼ってネットに情報をアップしても連絡が来ないのだから、その可能性は低かった。
……彼女が生きていて、記憶もきちんとあって、なおかつ私のもとから失踪したと言うならば、それはつまり――
そんな"もしかしたら"に私は耐えられなくて、姉は、御原ユイナは死んだことにした。少なくとも、私の中では。
姉は不幸にも遺体の見つからないような死に方をしてしまった。そういうことにした。
そういうことにしたと言うより、きっとそうなんだと思う。
あの姉が、あの優しかった姉が、無責任に私を捨ててどこかに失踪するなんて、あり得ないんだから。
だけど、そうして姉の死を認めてしまえば、残るのは一人ぼっちの空っぽな家だけで。それ以外、私には、何もなくて。
……そこで私は、両親が事故で亡くなったときのことを思い出した。
当時の私は、両親と再び会うために、子どもなりに必死に降霊術や霊を見る方法を調べていた。いくらやっても両親と再会することは叶わなかったし、何より、その話をしたときの姉の悲しそうな顔がつらくて、結局すぐにやめてしまったが。
だけど、今の私はあの頃と比べたらずっと大人だし、悲しそうな顔をする相手だって、誰一人としていなかった。
だから私は、ネットから図書館まであらゆる媒体で降霊術や霊を見る方法を調べ、一つ一つ実践していったが、ついぞ姉の霊は現れなかった。
……そうして私は一人ぼっちで、一五歳の誕生日を迎えるはずだった。
はずだったのである。
姉が失踪してからちょうど一年後の九月一六日。一五歳の誕生日、私は幽霊を見た。
最初は目の錯覚かと思った。だが何度目を擦っても、その薄ぼんやりとした黒い人影は消えることはなく通学路に漂っていて、他の人にはそれが見えていないようだった。
その性別不詳の人影は本当にあちこちに点在していたけれど、私には、それに対処するような元気もなくて。
何より、放っておいても特段問題があるようには見えなかった。
そうして三日が経ったある日。時刻はすでに午後六時近く、荷物の詰まった買い物袋を片手に夕暮れの住宅街を歩く私の前に、それは現れた。
それは、今までの人畜無害な黒い影とは、何もかもが違った。
それは、一言で言えば、化け物だった。
本当にもう、化け物だ。ムカデという虫がいるが、あれを……、あれのパーツをすべて人間に置き換えたような化け物が、私の眼の前に現れたのだ。
一〇m近くはあろう、脂肪にまみれてぶよぶよとした長い長い胴に、ひょろ長い手足がいくつもいくつも生えていて、頭の部分には、目鼻が糸で縫合された長い黒髪の女の頭があった。その土気色の額から、ぎょろりと巨大な単眼が、黄金色の瞳が開眼して――
「……ひっ」
私を、見つめた。
ここでやっと私は、背を向けて走り出していた。
住宅街の一角に現れた心底おぞましいそれは、やはり私以外には見えていないようで、皆が皆、必死の形相で駆ける私を物珍しそうに見るだけだった。
「痛っ」
その中のひとり、サラリーマン風の男とぶつかってしまって。
「ちょっ、キミ――」
派手に荷物をぶちまけた私に、人がわらわらとやってくる。
ぐちゃりと潰れた卵に、角の潰れた牛乳パック、転がっていったトマト。
「あなた、大丈夫?」
そうして近づいてきたおばさんの胸をにゅっと貫いて、それは現れた。
「――ごめんなさいっ!」
キモいキモいキモいキモいキモいキモい殺される――荷物をかなぐり捨てて、私はひたすらに逃げる。
あれは私にしか見えない。
そしてあれもきっと、私のことを見ている。
私にしか興味がないのだ。
あの黄金の瞳は、私だけを射抜いている。
だけど、人間やおそらく建物を素通りできるあれに対して、自分はどうすればいいというのか。
わからない、わからないが、それでも私はひたすら夢中に駆けて。
ほとんど反射的に、自宅へ駆け込んでいた。
ごく普通の4LDK。ごく普通の玄関ドアの前で、私は覚束ない手つきで鍵をバッグから取り出そうとして――
「ない、ないっ」
そりゃそうだ。さっき転んだときにカバンも置いてきてしまったのだから。
後ろを振り返るのも恐ろしい。
何をやってるのだ、なんで私はこんなにバカなのだ、私は自分の愚かさ故に殺されるのか。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
「嫌だ、嫌だ、嫌だぁあああああ!」
私は庭の鉢植えを一つ持ち上げると、思い切りリビングに面する窓に向かって叩きつけていた。自分は何をやっているんだろう。窓が割れる。自分は何をやっているんだろう。そのままクレセント錠をおろして、窓を開ける。自分は何をやっているんだろう。そのまま土足でガラスと土まみれのリビングに入る。自分は何をやっているんだろう。
自分が何をやっているか分からないまま、私は靴を脱ぎ捨てると二階の階段を上り、姉の部屋に入っていった。
彼女がいなくなってから一切手を付けていない部屋は記憶のままで、私はそのまま彼女が使っていたベッドに飛び乗って、そのまま毛布を頭からかぶる。
「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん」
ガタガタと震えながら、姉の残り香を全身で感じる。
それだけで、安心できた。
……ほんとうに、自分は何をやっているんだろう。
あらゆる意味で突っ込みどころしかない行動だったが、それでもこうしていると安心できて。外にいる脅威から守られている気がして。
実際は、相手は物理的な実体を持たず、仮に持っていたとしても割れた窓から余裕で侵入できるというのに。
なのに、なぜか、安心できた。
ここにいる限り、きっと大丈夫だという、ほとんど確信に近い何かが胸に中にあった。
「……お姉ちゃん」
※
それから、どれだけの時間が経っただろうか。
外はすっかり暗くなっていて、だけど電気をつける余裕もなく、私はただ姉の毛布のなかで丸くなり続けていた。
静寂に支配されていた空間に、玄関チャイムの音が響いた。
何度も何度も、ピンポンと音が鳴る。
……警察か何かだろうか。
ありそうなことだ。窓が割れているんだ、近隣住民が通報してもおかしくない。
だけど、私が出るはずもなかった。
もしもアレだったら、それこそ終わりだろう。……アレが窓が割れた我が家に入らないのは、吸血鬼みたいに家主の許可がないと家に入れないからなのかもしれない。だから警察のモノマネをして開けようとさせているのだ。人の声真似をする怪異なんて、それこそあるあるだろう。
そんなことを、ひどく落ち着いた気分で考える。
考えて、すぐにどうでも良くなってくる。
だって私には、お姉ちゃんの毛布が――
「そんなところで引きこもっててもどうにもなんないよ?」
ガチャリと、この部屋のドアが開く音がして。
「――え」
毛布を引き剥がされた。
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