死後のお仕事〜安らぎはどこ?任務が待ってます〜

カタラーナ

忘却

突然の呼び声

「きろ……」


 

 うぅ……。

 え、もう朝?

 昨日課題が終わってベッドに倒れ込んだのが多分二時ごろだから……もう四時間経ったってこと?

 おかしい、時間の流れに作為があるとしか思えない。

 中学の頃は部活、勉強、家事をこなしても全然余裕があった。授業中寝たことがないのが、地味だけど唯一と言って良い自慢だったのに、今では立派に授業中睡眠軍団の仲間入りを果たしてしまった。

 特にコミュ英の教師は非常に厳しい。居眠りがバレると人格否定レベルの説教をかます。だから我が校の在校生にとって、睡眠の量と質は死活問題なのだ。

 ……まあニ時就寝の時点で量は絶望的なんですけれども。

 お肌のゴールデンタイムを完全に無視しているため、明日、いや今日の顔のコンディションも心配だ。鏡を見るのが怖い。


 

「おい……」


 

 というわけでごめんなさい、あと五分だけでも寝かせてほしい。

 呼びかけを意図的にスルーして、怠惰にも布団を頭まで引っ張り惰眠を貪る……はずだった。

 お気に入りのガーゼケットを口元に寄せて――


 あれ?


 手が空を切った。いつもそこにあるはずの、柔らかい感触が、ない。


 ガーゼケット。

 幼い頃からの相棒。

 何度も何度も洗って、白く薄くなった布。光の角度によって、うっすら紫や橙に見えることがある。


 端っこがちぎれてビリビリ、ところどころ穴も空いている。物に消費期限なんてものがあるとしたら、優に二倍は超えていそうな風格。

 「みっともないから捨てなさい」と何度も言われた気がする。だけど、誰になんと言われようとも、これだけは絶対に手放せなかった。


 触ると懐かしさを覚えて安心する。

 ひんやりとして、でもあたたかい。

 わたしという存在を丸ごと包みこんでくれるような柔らかさ。


 その感触が、今、ない。


「...?」


 寝てる間に背中に敷いてしまったかもしれないと思って、後ろ手に手を伸ばすが、いつもの柔らかな感触は返ってこない。


 わたしが求めた薄布でも、マットレスでもない。


 代わりに触れたのは、硬くて、すべすべして、妙に冷たい何か。石の床みたいな感触。


 ……知らない天井ならぬ、知らない床だ。

 

 

「起きろっつってんだろ!!」

「ほへぁっ?!」


 

 呼びかけに対し、往生際悪くうだうだしていたらいきなり怒鳴られた。

 思わず反射的に上体を起こす。

 

 さっきから全く持って意味不明だ。

 脳裏で疑問符を浮かべながら、声の主を探す。

 自分を起こす人なんていないはずだし、こんな声のアラームを登録した覚えもない。それに、この感触は何?ベッドじゃない。布団もない。

 昔から寝起きは良かったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 とりあえず、目をこすりながら見上げると――


 

「えっ、誰……」


 本当に知らない男性が、目の前で仁王立ちしていた。


 疲れて幻聴が聞こえるとか、寝ぼけて夢を見ているとか、そういうレベルじゃない。


 現実だ。

 目の前に、知らない男性がいる。


 ワックスで尖らせた白髪。赤いメッシュが鮮やかに光っている。


 緩い和服――着物とも法衣とも判別がつかない装束。袖口からは、神具めいた紐飾りがちらりと覗いている。


 路上で出会ったら絶対に目を逸らすタイプの強面だ。薄い色のサングラス越しに、鋭い視線が突き刺さる。


 ――でも。


 どこか品がある、ような気もする。

 いや、そんなことを考えている場合じゃない。


「あの...」


 声が、震える。


 この人は、誰?

 ここは、どこ?

 わたしは、何をしているの?


「あぁん?!」

「その……どなたですか……」


 小心者のわたしは、大声に押されて喉が震える。

 けれど、理解できない状況下では質問を飲み込まないほうがいい。

 疑問を疑問のまま放置していればどんどん状況に取り残されて、気が付いたら取り返しがつかないことになる――と言うのが、わたしの経験則だ。

 しかし、勇気を出して訊いたのに、わたしの小さくて大きな一歩は一蹴されてしまった。



「んなこたどーでもいいんだよ!既に後ろがつっかえてるんだからさっさと移動するぞ」


 ……後ろ?何が?

 床の奥から、ごくわずかに低く響くような音を感じた気がした。鼓動にも似た、遠い振動。錯覚かもしれないし、気のせいかもしれない。

 

「ちょっと、待って……ここ、どこですか?わたし、どうして……」


 声が震えている。自分でもわかるくらいに。

 パニックが込み上げてくる。状況が理解できない。さっきまで自分の部屋にいたはずなのに。課題を終えてベッドに倒れ込んで、それで――

 それで、次に気が付いたらここにいた。


「知るかよ。俺はただの案内係だ。とにかく、さっさと歩け」

 

 ぶっきらぼうに告げ、こちらを振り返ることなく歩みはじめる男性。

 わたしは震える足で立ち上がった。

 状況が理解できないまま、目の前の強面の男に導かれるように、薄暗い通路を歩み出す。

 足音が石畳に反響する。

 心臓が早鐘を打っている。


 「ったく、ここまで来て休めると思うなよ。……死んでも働け、ってな」

 

 皮肉まじりの呟きは、鼓動のような雑音にかき消され、わたしには届かなかった。

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