第28話 『禁書』①ー狙われた神器ー

「――どうして、こんなところにいるんですか?」


「どうしてって?気分だよ」

 そんなウィルさんらしい答えに、胸を撫で下ろした。


「良かったぁ。ウィルさんで」


 ウィルさんは台座の上にランプを置くと、近くにあった椅子に腰を下ろした。


 この作戦の協力者のウィルさんだったことが判明して、さっきまで張り詰めていた空気が少し緩んだ。


「ピート君、僕にも『禁書』を読ませてよ。気になっていたんだ」


「もちろんです!マリーダ、『禁書』貸して」

 ウィルさんはバッヂも鍵もくれた協力者だし、拒否する理由なんてない。

 ウィルさんなしではここまで来れなかった。


「ちょっと待ってよ!訳が分からないわ」

 マリーダは『禁書』を腕に抱えると、ウィルさんから距離を取った。

 その目はウィルさんに敵意を向けている。


「あなた、外に騎士団がいたはずよね」

 マリーダは声を強める。


「いたよ。でもすんなり通してくれたさ」

 ウィルさんは流すように平然と答えた。


 突然始まった問答に俺は二人の顔を交互に見た。


 ウィルさんはいつもの様に澄ました顔で質問に答え続ける。


「どうして?」


「貴族だからさ」


「でも貴方、バッヂがないわよね」

 マリーダのそんな一言に俺は引っかかった。


 確かに……そうだ。

 貴族のバッヂを俺に貸しているはずだから、今は持っていない。それだと、外にいる騎士団に止められてもおかしくはないな。

 あれ?どうやって入ったんだ?


「そんなにそこが気になる?」

 ウィルさんは微笑んではぐらかす。

 質問には答えなかった。


 マリーダはウィルさんからゆっくりと距離をとりながら、俺たちに目配せする。

 レイブンはそれを見て腰に差した剣に指をかけた。


 マリーダが感じたであろう違和感を俺も感じていた。

 確か、この図書館に入る時、警備の騎士団は貴族の顔を覚えていない、バッヂで判断していると言っていたな。


「皆んな、そんな目を向けてどうしたの?」


 部屋の空気が変わった気がする。

 ほんの一歩踏み出すだけで、何か良くないことが起きそうな感じがした。


「ほら、その『禁書』を読ましてよ」


 ウィルさんはゆっくりとマリーダとの距離を詰める。


「……二人とも準備して」

 マリーダの声が低く響く。


「逃げなくていいのに……」


 踏み出そうとした瞬間、突然、衝撃が全身を襲った。


「うわぁ!」

 俺はウィルさんに蹴られて壁に体を打ちつけた。


「っぐ……!」


 そして――次の瞬間。

 ウィルさんの背中から黒い翼が、口からは牙が生え、目は鋭く真っ赤に光り、身長が異様に大きく変化した――その姿は完全な化け物だった。


 ウィルさん?


「逃げていいって言ったっけ」

 化け物に首を掴まれ、体が宙に浮く。

 何て力だ……。


「【剣技】スラッシュ!」


「なっ!?」

 

 反応が遅れた化け物はその斬撃を体に受け、部屋の壁に体がめり込む。

 化け物の手から離れた俺は、地面に落ちた。


「逃げるぞ!ピート!マリーダ!」


 俺たちは階段を駆け上がる。

 息が乱れ、心臓の音が鼓膜の内側で響いているみたいだ。

 何が何だか分からない。


 とりあえずここから出て、騎士団に知らせないと。

 扉を蹴り飛ばし、図書館の入り口に向かって走る。


「っ……!」


 入り口では二人の騎士が倒れていた。

 床一面に広がる血は、すでに黒く乾き始めている。


 斬られたとか、刺されたとか、そういう次元じゃない。

 肉が裂けている。骨ごと抉られた跡。


 俺は思わず息を飲んだ。


「そんな……」


 マリーダの声が震える。レイブンも足を止めた。


「騎士団の詰め所に向かうぞ!助けを――」


 俺が言い切る前に、目の前の床がメリメリと軋む。

 図書館の床が、まるで紙のように裂けていく。

 ――さっきの化け物が血に濡れた爪を引きずりながら、ゆっくりと姿を現した。


「大人しく『禁書』を渡してくれたら――そこの騎士団のみたいにはしないよ」


 その声は優しい。

 優しいのに、言葉の端から血の匂いがする。

 化け物の目が俺たちを舐めるように動く。


「魔人族が何の用よ。人族との停戦協定はどうしたわけ」


 化け物は目を細めた。


「へぇ、知ってるんだ。僕が魔人族だって」


 指を鳴らすような音と共に突然、魔人の手から火球が弾丸のような速度で放たれた。


「――ッ!?」


 火球はマリーダがもつ『禁書』に向かって真っ直ぐ飛んでいく。

 まさか……『禁書』を燃やす気か!?

 だけどマリーダは即座にそれに反応すると、水球で打ち消した。


 熱風が頬を打つ。


「これが答えってわけね」


 どうやら逃がしてくれなさそうにないだ……戦うしかないな。


「ピート、剣なくて大丈夫?」

 マリーダが守るように俺の前に立つ。


 マリーダが振り返るより先に、俺は一歩前に出た。


「大丈夫。実は俺、剣より――魔法のほうが得意だから」


 レイブンが剣を構え、マリーダは息を整える。

 俺は“黒い本”を片手で抱えたまま、手のひらを魔人に向けた。

 そして三人が横に並ぶ。

 魔人は愉快そうに口角を吊り上げた。


「いいねぇ、殺し甲斐がある。でも、君たちの攻撃は僕には届かないよ」


 魔人が走り出す。

 骨が軋み、爪が異様な長さに変形していく。

 

「レイブン!」


 爪が振り下ろされる瞬間、レイブンが剣で爪を弾く。

 火花が散り、金属と爪がぶつかった衝撃で空気が震える。


「今だ、ピート!」


「わかってる!」


 地面に片手を叩きつける。


「こんな魔法知らないだろ?」


 地面からぬるりと現れた粘土が魔人の足元を絡め取る。


「なっ……!?」


 魔人の動きが止まる。

 足元の粘土が絡みつき、まるで生きているように体を締め付ける。


「マリーダ、今だ!」


「言われなくても!」


 マリーダの詠唱が終わる。

 掌に宿った火球は、先ほど魔人が撃ったものとは比べ物にならないほど巨大。


「――【メガフレア】」


 図書館の空気が焼け焦げる。

 積まれた書物が熱波だけで黒く炭化する。

 火球は一直線に魔人へ飛んでいく。

 轟音。閃光。爆炎。


 視界が白く染まり、一拍遅れて熱風が襲う。


 だけど――

「さっさと『禁書』を渡してくれないか」


 魔人は足元の粘土を払いながら、煙の中からゆっくりと出てきた。


 あれをくらっても無傷か……。


「【メガフレア】!」


 マリーダの二発目のメガフレアが飛んでいくが、魔人は軽々とその火球を爪で真っ二つに割った。


「……マジかよ」

 俺が呆然と呟いた瞬間、魔人が掌を向ける。


「【ロックショット】」


 岩の塊が銃弾のような速度で射出された。


「【ストーンウォール】!」


 マリーダが即座に石壁を展開する。同時に俺は粘土でその壁を補強した。


 ズガァン!

 

 石壁と岩の衝突、空気を伝って衝撃波が伝わってくる。

 ただ、俺の魔法が岩の威力を抑えたみたい。

 石壁は壊れなかった。


「ピート、何この粘土みたいな魔法……!」


「俺特製のネバネバ粘土魔法だ」


 壁越しに聞こえる魔人の声。


「ピート君は器用なことができるんだね」


 俺は魔人の言葉に反応しない。


「なぁレイブン、今思いついた魔法を試していいか?」


「いいぞ」


 魔人は石壁を壊そうと巨大な爪を振り上げる。


「長引くだけだし出てきなよ」


 ズガン!


 石壁が壊されると同時にレイブンが飛び出す。


「その剣は何だ?」


 レイブンが手に握るのは炎を纏わせた剣。


「カッコいいだろ!?」


 ヴォン!


 魔人の胸に炎の斬撃の線が走り、赤黒い鮮血が一筋、床に滴った。


「なるほど――面白い剣だね」


 魔人は楽しそうに笑う。

 致命傷にはほど遠いが、確かに傷はついた。

 やれる。


「ただ、一回きりみたいだね?」


 魔人の視線がレイブンの剣に落ちる。

 剣を纏う炎はすでに消えていた。


「残念だけど何回でもやれるよ」


 俺はレイブンの剣に炎を纏わせる。

 その刃に――再び火が灯る。


 レイブンがニヤリと笑う。


「マリーダ、援護を頼んだ」


「えぇ任されたわ」


「やれやれ、めんどく――」

 既に魔人の目の前には小さな火球が迫っていた。


 魔人は咄嗟にその火球を手で払おうとする。

 だけどそれは、火球の見た目をした――泥玉だった。


「小癪な!」

 魔人は顔についた泥を払う。


 畳み掛けるように、マリーダの【メガフレア】が直撃した。煙で魔人の姿が見えなくなる。


「【剣技】スラッシュ!」


 炎の刃が魔人に直撃し、本棚を薙ぎ倒しながら魔人が飛んでいく。


 ズガガガガガガガァン


「ざまぁみやがれ!魔人族!」

 レイブンが魔人が飛んでいった方向に向かって叫ぶ。


「ナイスだ、レイブン!」


「……あいつまだ生きてそうよ」


 マリーダが指差す先、煙の中で魔人が立ち上がり、こっちに向かって歩いてくるのが見えた。


 頑丈すぎるだろ。


「これは流石に痛かったよ。でも……ここまでだ」

 魔人の冷たい声が夜の図書館に響く。


 突然、魔人の体から湧き出た、どす黒いオーラがじわぁと床一面に広がる。そして、その歪な色のオーラは再び魔人の体に吸い込まれていった。

 何かが来る。


「ッ、下がれ!」

 嫌な予感がした俺はなんとか二人に伝えるけど、間に合わなかった。

 

「――ヴォォォォォ!!!」と魔人は咆哮する。


 ドスの効いた低い唸り声。その唸り声から発せられた衝撃波に、俺たち三人の体は吹き飛ばされた。


 どこまで吹っ飛ばされたんだろうか……。

 本棚に打ちつけられた背中が熱い。

 ……血。

 俺は額から垂れている血を拭う。


「……二人とも大丈夫か?」


「……何とか、ね……本がクッションになってくれたみたい……」

 マリーダは本棚に寄りかかりながら、呼吸を整えていた。


 レイブンはどこだ?

 煙と粉塵で靄がかかっていて、視界が悪い。

 煙を払いながら探していると――床で倒れているレイブンを見つけた。


「レイブン!」

 レイブンの頬を叩くが、レイブンは唸るだけで目を覚まさない。一先ず、大きな怪我はしていなさそうだけど、戦うことは無理そうだった。


 近くにレイブンの剣が落ちている。俺はその剣を拾うと、それを構えて息を整えた。

 俺たち二人でやるしかない。

 額から垂れる血の匂いで鼻が上手く効かないし、視界も悪い。

 それでも血を拭いながら、目を凝らした。


 奥から魔人がゆっくりと歩いてくる。

 まるで、今までがただの遊びだったかのように――余裕を感じる足並みで……。

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 



 

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