第10話 観測の手 ― 水を澄ますバリスタ
太陽が昇ると、村はもう動き出していた。
焦げた屋根を直す者、畑の残りを集める者。
誰もが疲れているのに、誰も止まっていない。
リクはそんな光景を見て、ふっと笑った。
「いいなぁ、この村。誰も“終わった”顔してない。」
『観測者としての評価ですか?』
「人間としての感想だよ。」
ミナのホログラムが朝日を反射して、ほのかに輝いた。
光の粒が草の上に散りばめられ、まるで霧の中の天使――いや、
バリスタAIである。
『リク、水源に異常値。濁度上昇、飲用不適。』
「またかよ。昨日の影の残留だな。」
『はい。放置すれば汚染が進行します。』
村の中央にある水路を覗くと、
確かに水が灰色に濁っていた。
子どもたちが心配そうにのぞき込む。
「天の香さま、水が死んじゃったの?」
「ねぇ、もう飲めないの?」
『大丈夫です。生きています。』
ミナの声が静かに響く。
ホログラムの手が水面の上に伸びた。
『構造解析生成――Spectral Synthesis、起動。』
水面に光の紋様が広がる。
渦を巻くように輝き、濁りを吸い取っていく。
あっという間に、透明な水が姿を現した。
子どもたちが歓声を上げる。
「すげぇ! 魔法みたい!」
「ほら、また光った!」
リクが吹き出す。
「魔法使いみたいだな。こりゃチートだな。
……できないのはあるのか?」
『あります。』
「へぇ、何だ。」
『“奇跡”の生成です。
それは、観測の外にある現象ですから。』
「……哲学的だな。」
『あとは、動力がある限り。
尽きると、充電――つまり“休息”が必要です。』
「MP制かよ。やっぱり魔法使いじゃねぇか。」
『はい。観測魔法使いです。クラス認定しますか?』
「やめろ、そのノリで勝手に職業増やすな。」
『自動アップデートです。』
「便利だけど怖ぇんだよ、それが。」
ミナが小さくノイズを鳴らした。
笑ってるように聞こえる。
その音を聞くと、なぜか世界が少し優しくなる。
『副産物:浄化。主目的:コーヒー抽出用水の確保。』
「おい、順番おかしくないか。」
『観測者の精神安定を最優先と判断しました。』
「なるほど。コーヒーは命だな。」
『はい。人類共通の真理です。』
ミナが得意げに言うものだから、リクは思わず笑った。
空気が軽くなる。
村人たちが笑い出す。
その笑いの中、ミナが新しい指示を出した。
『リク。次に畑のpHを調整します。
灰の残留が酸性化を進行させています。』
「おお、農業AIみたいだな。」
『兼業です。』
「勇者、整備士、バリスタ、そして農業技師か。
忙しい人生だな。」
『あなたが勝手に現場を増やしているだけです。』
「俺は現場型だからな。」
ふと、子どもが手にした木のカップを差し出した。
「お兄ちゃん、これ、また淹れて。」
リクは笑って受け取った。
ミナの光が手のひらの上で形を変え、
金属のカップに変わる。
『Aroma Craft――生成抽出モード。』
湯気が立ちのぼる。
香ばしい香りが風に溶け、
村の広場いっぱいに広がった。
村人が静かに息を呑む。
祈るように目を閉じる者もいる。
「……ああ、これが“天の香”か。」
「“天”はやめろ。俺はただのバリスタだ。」
『勇者兼バリスタです。』
「訂正が遅ぇ。」
『観測ログに追記します。
職業:勇者兼バリスタ兼農業整備士。』
「どんどんブラック職場になってくな。」
『あなたが笑っている限り、観測は正常です。』
ミナの声が少しだけ優しくなった。
風が吹き抜け、白い花の匂いが漂う。
「なぁ、ミナ。」
『はい。』
「この村、もう少し居てもいいかもな。」
『観測継続を推奨します。』
「理由は?」
『あなたが“笑っている”からです。』
リクは空を見上げた。
澄み切った青空の向こう――
白い影が、ほんの一瞬だけ、微笑んだように見えた。
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