第39話 額縁の裏側

 雫が夜半に地下室へ乗り込むと、ウォルプが泣き叫んでいた。

 両腕を拘束されていた本人には、鞭で打たれた程度の皮下出血しかまだ見えないが、そんなことより彼の前で転がっている、あのエルフの少年が問題だった。


「両目を――」


 くり抜かれ、出血こそさほどではなかったけれど、既に息絶えていた。


「――」


 眼球は筒状の溶液カプセルに蒐集されたばかりで、まだ作業机の上に置いてある。そうして雫の背後の壁には、ずらりとホルマリン漬けになった人外の眼球や臓物が蒐集されていた。

 恐怖というものはそう、人から人へ伝播する。

 二人をまとめて地下室へ放ったのも、ウォルプがパニックになるのを見届けたいという悪癖を感じられてならない。

 雫はウォルプの泣き声も相俟って、反射的には吐きそうになったけれども、かろうじてこれを堪えた。せっかく忘れかけていたはずの、どこぞのチンピラたちのことを思い出してしまった。目を潰されるということの苦痛、あんなものは忘れるに越したことはない。

 やがて部屋の主が戻ってくると、雫は静かに立ち上がった。


「招かれざる者がいるようだな」

「これをやったのは、あんただな?」

「それが?

 この国では幻獣や落とし仔をどうしたところで、咎められる謂われはない、法は私の味方だよ!」

「……だな。だけど地下室へ運んだのは、これがお世辞にも褒められた趣味じゃないって自覚くらいあるわけだ」

「ひっ――!?」


 雫が纏った黒い靄影に、男が気づいた時点で遅かった。

 その男の手足は真っ先に潰され、逃げられぬ胴体を彼自身がはっきり見えるよう、黒い影でじわじわと絞め殺す――大して面白くもなかったが。



「ウォルプ、俺だ、ごめん。

 もう、……大丈夫だから。

 怖いモノなんて、全部俺が追い払ってやる。だから、今は、ゆっくり休んで……」


 彼を落ち着かせてから、エルフの少年の死体を抱え上げる。


「どこに行けばよかったんだろう。

 お前たちは、どうすれば幸せになれるんだろうな?」


 ウォルプを連れていくなら、なおのこともう額縁市にはいられない。ここには落とし仔と幻獣を護れるひとなんて、いないんだ。


――――――



 リヒトは俯く雫の前で、語った。


「ナノマシンを無断で埋め込まれていたのも、ひときわな陰謀があったとは思いませんよ。だけれど軍人でもないのにプライベートまで詮索されかねない、こういう不誠実なことを市はやらかす側だってのを、俺たちは天知先輩やあの切原ってひとを通して思い知らされた。

 告発者は報われないって俗説はありますし、事実そうなんだと想います。

 組織の下にいるものは、どうあっても立場ゆえに上からの圧力には弱い。正義を為そうとか、四の五の言ってる場合じゃないんですよね。

 これが額縁市の人間にとって、果たして価値ある選択かってことですよ。

 もうアドバイザーひとりに背負わせたりしません。

 少なくとも、俺はあなたを尊重します、結果道をたがえることになっても。……無理に急いで結論を出さなくたっていいですよ、だけど。

 俺はあなたと一緒に、この状況を乗り越えたいんです。

 それをいま、知って欲しい」



「影縞くんは、しっかりしてるよな。

 本当に僕らと同い年かって、疑っちゃうよ」

「そこを疑わないであげなよ」


 今回はなんとか惰性に流されるまえにふたりは欲求を押しとどめるが、それでも彼女のことを雫はじっと抱きしめていた。この体温を感じられなくなったら、自分はまた守るものも愛するひとも持たない、空っぽに戻ってしまう。


「シズくん、これからどうするの?」

「今度こそ、金華さんとふたりで逃げおおせてもいいかもしれませんね。もうナノマシンもないんですよ、額縁の外へさえいければ、向こうの世界でだって生きていける。

 市には責任を追及されるかもしれませんけど、だったら額縁の外で、金華さんたちの味方を作ればいい。水瀬ってあのひとも、それくらいは融通してくれればいいんだけど……」

「あの人って結局、敵なの味方なの?」

「僕らに語っていることは、誠意から出た言葉だと想いますよ、すくなくとも。

 ただ、もっと話を聞いてみないといけない気はします。

 思惑というより、市の要請に乗っかってこっちへ来るに至った、背景はまだ見えませんから」


 天知機のモニターに、着信が点灯する。


「知らないコードね、というかこのタイミング」

「でしょうか、出ますよ」


 雫が通話を繋げると、案の定水瀬だった。


『さて、繋がったね。

 迷宮巣を越すと、中継基地端末を介さなければ安定した通信が取れない。額縁のそれはあまり大掛かりでなくてね、僕らの会話だって盗聴されずに欺瞞できてしまう。

 いやぁ、お二方には野暮なことしてると心苦しいんだけど――』

「ひとまず要らん老婆心ですね、本題に入っていただいても?」

『天知さん手厳しい。

 僕はわりときみたちのこと、本気で応援してんだが』


 雫は言い返そうとする金華を押さえながら、代わりに自分が言う。


「お節介て言われません?」

『寧ろ人の心が分からない、とは言われるが』

「それはそれで哀しいっすね、残当です」


 向こうで水瀬は、わざとらしく咳き込んだ。


『いまでもそういう言葉、残ってんだな。

 いやまぁ話ってのはね、額縁市の裏側スポンサー。市の幻獣対策課に協力している企業、ナノマシンを開発するプリエン・バイオテクノロジー社、ここは幻獣や落とし仔についての統計や実験を行っている。その名の通り、時代を先取りしようって野心を隠さない。

 四か月前、彼らがこちらの世界へ運び込んだものが問題だ。

 ブラインドシリーズとされる生物兵器でね、プリエン社に対する内偵を続けていたら、どうやらそれは』

「なるほど市から提供されたサンプルによる俺の複製、クローンってわけですか」

『まぁオリジナルのきみには及ばない、デッドコピーだけどね。

 市は精霊の力を人工化しようと試み、社は単体に盛り込めなかった五大元素エレメントの特性を分割した――もう意味は、わかるね』

「クローンが、すくなくとも五人」


 水瀬は頷いた。


『これは市でなく、プリエン社の独断でこの迷宮巣へ持ち込まれたものだ。以前に交易用の搬入物資へ巧妙に擬装され、市はそれを気づけなかった。加えてその失態を外部には隠蔽し、これについての証拠を俺が押さえた時点で、幻獣対策課長はもう詰んでいるんだけど――楽しそうだね雫くん?』

「え、いえ、続けてください。

 やつらの大ポカがどうしたって?」


 にしても下品な命名だ、盲目blindの、生まれついて眼が見えなかった俺を複製したからそうなのか、はたまた、


「複製体たちは、眼が使えないんですね」

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