第17話 行動哲学の違い

 リヒトとノイが久方の休日、喫茶店で待ち合わせたのは“そういうこと”、即ちデートだった。


「浮橋さんからお誘いが来るなんてね」

「むしろ影縞くんがちゃんと受けてくれて、ほっとしたよ。

 今日はその……お仕事の話はあんまりしたくないんだ、ただ……天知先輩は、派遣部隊を辞めるつもりだそうじゃない」

「そうだったな。まぁあのひと、アドバイザー殿の敵はやりたくなかろうし、仕方ないんじゃないか?」

「うん。みんな、アドバイザーのことでショックを受けてる。

 あのひとが私たちを騙してた、隠してたことが悲しいのは最初は確かだったけど、池緒くんがおかしくなって、そのたびアドバイザーを一方的に責める気が失せちゃってさ……それでもあのひとのしたことは、非道いことなんだと想う」

「僕も最初はわりと許せなかったんだ、アドバイザーのこと、想ってたより情が移ってて、だから裏切られて腹が立って――ただ。

 あのひとを隊長が、いざや人でなしだのと罵りだしたとき、これまでの僕たちって、はたして幻獣や落とし仔って存在を、正しく見ようとしたことがあったのか。それがうっすら見え透けてきたようで、自分の浅はかさっていうか、ちょっと嫌になった。

 それはそれとして、アドバイザーがエルフたちにしたこと、認める気にはならないんだけど」


 目の前で大勢が死んだ、数字ではなくそれが景色として瞼の裏に焼き付いているから、雫の冷酷な行いを、納得するわけにいかないのだ。


「そういえば、荏原くんはそれからどうしてる?」

「私はさ、荏原くんがアドバイザーじゃなく、池緒くんを怒っているのに、結構びっくりしてるんだ」

「というと。

 そういやきみたち三人とアドバイザーは、新人研修時からの面子だったな」


 ノイは頷いた。


「あの頃は私を含めたみんな、アドバイザーのことをむしろ胡散臭がってたくらいだから。派遣部隊へ再編されたときも、研修のときの鬼指導忘れてなかったから、三人でびくついてたんだけど――あのひと、ひとりでなんでもできちゃう人だから。要求することのレベルがいちいち高い、無茶こそさせても無謀はさせない、ってのは適評だったかもしれない。

 根が怠惰な私らに、必要なことを叩きこんでくれたことも、今となってはわかる」

「というか、そうならざるをえなかった側だよな、きっと。

 教官や他の隊員は拳銃を携行できていたけれど、あのひとは個人で持ってなかったろう?

 持たないんじゃなく、持たせられないのが『アドバイザー』って宙ぶらりんなポストだったとすれば、納得いってしまうんだよ。

 人形の武装はシステム規格でロックできるのもあろうけど、市はきっと、あのひとに反抗させないために、そういう回りくどいことをしていたんだな」


 まるでその生い立ちの答え合わせを、させられている気分だ。


「先輩は今日、池緒くんのところへ顔を出すらしいよ。

 辞める前に、挨拶くらいしていこうってことなんだろうね。

 でも……なんか不安なんだよね、いまの隊長」

「妹さんと暮らしているんだろう?

 また一週間ちょいぶりの我が家なんだし、あれから多少はマシになっててくれるといいんだが」



「ワタリですか?

 いまは外出してます、友達と買い物に行くって――部隊を、やめる気ですか」


 玄関先で、金華は頷いた。


「現場に行くには、シズくんに情が移りすぎちゃったのかもね。

 ……私はもう、彼を撃てない」

「そう、ですか」


 コウはここで、自分が失恋したことを悟る。

 云うて天知先輩のことを、ものすごく好きだったとかいうではなく、きっと――雫のやつが、自分からなにもかも奪っていくことを、稚拙なプライドが我慢ならなかったという、それだけだ。


「今日は挨拶をしに来ただけじゃないの」

「なんです?」

「シズくんは、自分を裏切ったあなたを許さないと言っていた」

「でしょうね。人でなしのくせをして、昔のことをねちねちと蒸し返して」

「過去から逃げ続けているのはコウくん、きみなんじゃないの」

「――」


 すんでのところで怒鳴りつけそうになって、コウは言葉を呑み込んだ。

 まだ金華の言葉が残っていたからだ。


「シズくんは、額縁市のインフラを破壊すると言っている」

「そんなの、テロリストそのものじゃないですか」

「まだ、わからないんだね」

「は?」

「ことそれが医療設備や人材に牙を剝いたとき、あなたの妹さんがどうなるか。

 シズくんは、あなたがもっとも喪いたくないモノを知っているでしょう」

「あいつ――!」

「それを知ってどうするかは、あなたに委ねるけれど、私個人からの忠告を添えておくね。きみがシズくんを裏切った過去と向き合わない限り、シズくんは自分が死んじゃっても、必ずそれを成し遂げてしまうよ。シズくんを殺して終わるんなら、あなた個人は楽かもしれないけれど」

「あなただって、いまも市の監視下に置かれているはずだ!」

「えぇ、この会話だって傍受されているでしょうね。

 市もいずれは対策へ乗り出すでしょう」

「あなたはどちらの味方なんです!?」

「わたしはシズくんに、これ以上手を汚して欲しくない。

 ほんとうは彼に、自ら止まって欲しい。だけどもう、誰の味方でもないから」

「中立ってんです、虫のいい話ですね?」

「高額だったはずの妹さんの治療費やこの住宅、どれをとっても真っ当な稼ぎでなんとかなったものじゃない。彼は知っているから、あなたの生活を形作るもの、世界の全てを壊そうなんて思い切った。

 落とし仔としての彼を売った情報で、あなたは常人じゃ手に入らない多くの幸福を買ったわけだけど――かたやシズくんが、落とし仔としてどういう目に遭ったか」

「あいつは人間じゃないんだ。それまでだって、僕たちを騙していた。

 ワタリを――人間のふりをして」

「そう……こっからは行動哲学の違いになるのかな。

 池緒隊長。短い間だったけど、お世話になりました」


 金華は一礼し、その場を立ち去る。

 アパートの階段側へ去った彼女、かたや反対側のエレベーター通路から、買い物袋が落ちる音がして、コウは振り向いた。


「ワタリ……どこまで聞いて?」

「おにぃ、どういうこと。

 雫さんを、裏切ったって――」

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