番外編2「皇帝陛下のヤキモチと初めての喧嘩」

 俺、ルシアンは皇妃になってから一つ困ったことがあった。

 それは夫である皇帝陛下アシュレイが、とんでもないヤキモチ妬きだということだ。

 皇太子時代もその片鱗はあったが、皇帝になってからはさらにひどくなった。


「ルシアン、先ほどの財務大臣。君の顔をじろじろと見ていただろう。不敬だ。左遷させよう」


「待て待て待て! あれは老眼で資料が見えにくかっただけだ!」


「ほう。ではあの近衛騎士団の第三部隊隊長はどうだ。君が廊下を歩いているだけで顔を赤らめていたぞ。けしからん。辺境の地に飛ばしてやる」


「やめろ! あれはただの新人で、俺の顔を見て緊張していただけだ!」


 毎日がこの調子だ。

 俺に少しでも好意的な視線を向ける男がいれば、即座に社会的に抹殺しようとする。

 俺はそれを止めるのに必死だった。


「いい加減にしろ、アシュレイ! 俺はお前だけのものだ! 少しは信用したらどうだ!」


「信用しているさ。君のことは誰よりも。だが周りの雄どもが信用ならん」


 彼は真顔でそう言うのだからタチが悪い。

 俺はもうほとほと呆れ果てていた。


 そんなある日、俺たちの間で初めての本格的な喧嘩が勃発した。

 原因はやはりアシュレイのヤキモチだった。


 その日、王宮では隣国から和平の使節団を迎えていた。

 その使節団の中に、学園時代の友人であるカインがいたのだ。

 彼は家の騎士爵を継ぎ、今では立派な外交官として活躍していた。


「久しぶりだな、ルシアン!」


「カイン! 元気だったか!」


 俺たちは再会を喜び、昔話に花を咲かせた。

 学園時代の思い出話。

 お互いの近況報告。

 ただそれだけの、健全な会話だった。


 だがそれを遠くから見ていたアシュレイの心中は、穏やかではなかったらしい。

 宴が終わった後、寝室に戻った俺を待っていたのは、絶対零度のオーラを放つ夫の姿だった。


「……ずいぶんと楽しそうだったな」


 またか。

 俺はうんざりしながらため息をついた。


「友人と久しぶりに会ったんだ。話が弾んで何が悪い」


「友人、だと? 私にはそうは見えなかったがな。あいつは昔から君に気がある。あんな無防備に笑いかけて……。君は少し警戒心がなさすぎるんじゃないか?」


 そのねちっこい言い方に、俺の堪忍袋の緒がぷつりと切れた。


「……もう、うんざりだ!」


 俺は声を荒らげた。


「お前のそのくだらないヤキモチには、もう付き合いきれない! 俺はお前の所有物じゃないんだぞ!」


「……何だと?」


 アシュレイの顔色が変わる。


「俺にだって友人くらいいる! 誰と話そうが俺の自由だろう! いちいちお前の許可を取らなきゃいけないのか!?」


「……ルシアン。言葉がすぎるぞ」


「うるさい! 今夜はお前の顔なんて見たくない! 別の部屋で寝る!」


 俺はそう吐き捨てると、寝室を飛び出した。

 後ろでアシュレイが何かを叫んでいたが、聞こえないふりをした。

 そのまま客間に駆け込み、内側から鍵をかける。

 一人になると急に涙が溢れてきた。

 なんであんな酷いことを言ってしまったんだろう。

 だが俺だって我慢の限界だったのだ。


 その夜、俺は一人で広いベッドで眠った。

 隣に彼の温もりがない夜は、ひどく寒く感じられた。


 翌朝、俺は重い体で目を覚ました。

 昨日の喧嘩のことが頭から離れない。

 謝らなければ。

 だが素直に謝るのも癪だった。

 そんな葛藤を抱えながら部屋を出ると、ドアの前でアシュレイが立っていた。

 彼はまるで一睡もしていないかのように、ひどい顔をしていた。


「……ルシアン」


「……なんだ」


 気まずい沈黙が流れる。

 先に口を開いたのはアシュレイだった。


「……昨日は、すまなかった」


 彼は深々と頭を下げた。


「君の言う通りだ。私のヤキモチは度を越していた。君を信じていなかったわけじゃない。ただ……」


 彼は言葉を詰まらせた。


「……ただ君を失うのが怖いんだ。百年彷徨った私にとって、君は唯一の光だ。その光を誰かに奪われるくらいなら……私はきっと、また壊れてしまう」


 その弱々しい告白に、俺の心は締め付けられた。

 そうだ。

 彼はただ俺を愛しているだけなのだ。

 その表現方法が少しだけ不器用で、歪んでいるだけで。


「……俺の方こそ、ごめん」


 俺も素直に頭を下げた。


「酷いこと言った。お前がどれだけ俺を大事に思ってくれてるか、わかってるのに」


「……ルシアン」


「……だからもう、あんな顔するなよ」


 俺は彼のやつれた頬を両手で包んだ。


「俺はどこにも行かない。ずっとお前のそばにいる。だから安心しろ」


 俺の言葉に、アシュレイは子供のようにこくこくと頷いた。

 そして彼は俺を壊れ物を扱うかのように、優しく抱きしめた。


「……もう二度と君を疑ったりしない。約束する」


「……ああ。俺ももう、お前を一人で悩ませたりしない」


 俺たちはそうやって仲直りをした。

 初めての本気の喧嘩。

 雨降って地固まる、というけれど。

 俺たちの絆は、この喧嘩を通してさらに強くなったような気がした。


 まあ彼のヤキモチが完全に治ったわけではないけれど。

 それは彼が俺を愛してくれている証拠。

 そう思えば、少しだけ可愛く見えなくも……ない、かもしれない。

 俺は彼の腕の中で、こっそりと微笑んだ。

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