番外編1「百回目の絶望と一筋の光」

(アシュレイ視点)


 また、この朝だ。

 見慣れた自室の天蓋。小鳥のさえずり。窓から差し込む柔らかな朝日。

 そして鏡に映る、幼い自分の姿。

 ああ、また始まった。

 終わりのない地獄が。


 俺、アシュレイ・エル・クレスメントは、この世界をもう九十九回繰り返している。

 最初は驚き戸惑い、そして喜んだ。

 前世でただの平凡な男だった俺が、大好きなBLゲームのメイン攻略対象に転生したのだ。

 物語の主人公として生きられるのだ、と。


 一周目はシナリオ通りに生きた。

 ヒロインのリリアナと恋に落ち、仲間たちと魔王を倒した。

 その過程で悪役令息のルシアン・フォン・ヴァイスハイトを断罪した。

 完璧なハッピーエンド。

 のはずだった。

 だが俺の心にはなぜか虚しさだけが残った。

 ルシアンがすべてを失い、絶望の表情で俺を睨みつけていたあの瞳が忘れられなかった。


 そして俺は死んだ。

 次に目覚めた時、俺はまた幼いアシュレイになっていた。

 二周目、三周目……。

 俺はあらゆる選択肢を試した。

 別の攻略対象とヒロインを結ばせたりもした。

 だがどんなルートを辿っても、結末はいつも同じだった。

 ルシアンは必ず破滅する。

 それがこの世界の「ルール」だったからだ。


 やがて俺はヒロインを愛せなくなった。

 彼女の存在そのものが、ルシアンを不幸にする呪いのように思えた。

 俺はルシアンを救おうとした。

 だが「シナリオの強制力」はあまりにも強大だった。

 俺のささやかな抵抗はことごとく打ち砕かれた。

 目の前で何度も何度も彼が破滅するのを見せつけられた。

 そのたびに俺の心は少しずつ壊れていった。


 五十周目を超えたあたりから、俺はもう何も感じなくなった。

 喜びも悲しみも愛も。

 ただ機械的に日々を繰り返すだけ。

 生きる屍。

 それが俺だった。


 そして九十九周目。

 俺はすべてを終わらせることにした。

 魔王との最終決戦。

 俺はわざと剣を取り落とした。

 これで終わる。

 世界が滅びれば、もうルシアンが不幸になることもない。

 俺もこの永遠の地獄から解放される。

 魔王の刃が俺の胸を貫く。

 薄れゆく意識の中で、俺はなぜかルシアンの顔を思い出していた。

 初めて会った時の、あの傲慢で、しかし誰よりも気高い紫の瞳を。


 だが神は俺に、安らかな死さえも許してはくれなかった。

 次に目覚めた時、俺はやはり幼いアシュレイだった。

 百回目の朝。


 絶望。

 その一言しかなかった。

 もう嫌だ。

 もう誰も愛したくない。

 もう誰の不幸も見たくない。


 俺は心を完全に閉ざした。

 誰とも関わらず、ただ時が過ぎるのを待つ。

 そんな日々を送っていた。


 そして運命の日がやってきた。

 聖アストライア魔導学園の入学式。

 俺はもううんざりしていた。

 またここでヒロインと出会い、退屈な物語が始まるのだ。


 だがその日、俺の運命は変わった。

 講堂の最前列。

 俺の隣の席に座っていた、銀色の髪の少年。

 ルシアン・フォン・ヴァイスハイト。

 彼はいつも通り、美しい顔を不機嫌そうに歪めていた。


 だが何かが違った。

 俺が彼に視線を向けた、その瞬間。

 彼の紫の瞳が、俺を捉えた。

 その瞳に宿っていたのは、いつもの傲慢さや敵意ではなかった。

 それは明らかな「困惑」と「焦り」。

 そしてほんの少しの「恐怖」。

 まるで未来を知っているかのような、そんな色をしていた。


 その瞬間、俺の止まっていた心臓が再び大きく脈打った。

 まさか。

 そんなはずはない。

 だが、もし。

 もし彼も、俺と同じだったら?


 その日から俺はルシアンを観察し始めた。

 彼の行動は俺の知る九十九回のどのルシアンとも違っていた。

 彼は俺を必死に避けようとした。

 ヒロインのリリアナにも一切関わろうとしない。

 その必死な姿が、なぜか俺の目にはひどく愛らしく映った。


 そして俺は確信した。

 彼は違う。

 彼もまたこの繰り返される物語の囚人なのだ、と。

 その瞬間、俺のモノクロだった世界に色が戻った。


 百回目の人生。

 もう絶望しかないと思っていた。

 だが違った。

 神は俺に最後のチャンスを与えてくれたのだ。

 一筋の光を。


 ルシアン。

 俺の、ルシアン。

 今度こそ俺が君を救い出してやる。

 たとえこの世界のすべてを敵に回しても。

 君だけは絶対に手に入れてみせる。


 俺の百年に渡る孤独な戦いは終わった。

 そして君を手に入れるための新しい戦いが始まる。

 俺は隣でそわそわしている愛しい悪役令息の横顔を見つめながら、静かに、そして固く誓った。

 もう決して君を離しはしない、と。

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