第18話「初めての公務と小さな成功」

 王宮での生活にも少しずつ慣れてきた頃、俺に初めての「公務」が与えられた。

 それは王都の郊外にある孤児院を視察するというものだった。本来であれば皇太子であるアシュレイが行うべき公務だが、彼は「君に妃としての経験を積んでほしい」と言って俺にその役目を任せたのだ。


「大丈夫だ。私も少し離れた場所から見守っている。何かあればすぐに駆けつける」


 出発の朝、アシュレイは心配そうにそう言ったが、俺は首を横に振った。


「いいや、来ないでくれ」


「……ルシアン?」


「これは俺の初めての仕事だ。俺一人の力でやり遂げたい。お前に頼ってばかりじゃ、いつまで経っても半人前のままだ」


 俺の真剣な言葉に、アシュレイは一瞬寂しそうな顔をしたが、やがて誇らしげな笑みを浮かべた。


「……わかった。君を信じよう」


 彼は俺の手を取り、その甲に力強いキスを落とした。


「だが無理はするな。君の帰りをここで待っている」


「ああ。行ってくる」


 アシュレイに見送られ、俺は数人の護衛だけを連れて馬車に乗り込んだ。

 心臓が少しだけ早鐘を打っている。

 初めてアシュレイの庇護なしで公の場に立つ。

 不安がないと言えば嘘になる。

 だがそれ以上に、自分の力を試したいという強い気持ちがあった。


 孤児院は王都の喧騒から離れた、静かな森の中にあった。

 古いけれど清潔に保たれた建物。庭では子供たちが元気に走り回っている。

 俺が馬車から降りると、院長である初老の女性が深々と頭を下げて出迎えてくれた。


「ようこそおいでくださいました、ルシアン様。このような辺鄙な場所にまで足をお運びいただき、光栄の至りにございます」


「顔を上げてください、院長。今日は堅苦しい挨拶は抜きにしましょう」


 俺はできるだけ穏やかな笑みを浮かべて言った。

 高圧的な態度を取れば相手を萎縮させてしまうだけだ。それでは本当の現状を知ることはできない。


 院長に案内され、俺は孤児院の中を見て回った。

 建物は老朽化が進んでいるが、隅々まで掃除が行き届いている。

 子供たちの寝室も食堂も質素だが、温かみのある空間だった。

 子供たちは最初こそ俺の姿を見て遠巻きにしていたが、俺が一人一人の目を見て名前を尋ね、優しく話しかけると少しずつ心を開いてくれるようになった。


「お兄ちゃん、髪の色、綺麗だね!」


 一人の小さな女の子が、俺の銀髪に興味津々な様子で触れてきた。


「ありがとう。君の髪も太陽みたいで素敵だよ」


 俺がそう言って彼女の栗色の髪を撫でてやると、彼女は嬉しそうにきゃっきゃと笑った。

 その屈託のない笑顔に、俺の心も自然と和んでいく。


 俺は子供たちと一緒におやつを食べ、絵本を読み聞かせ、庭で鬼ごっこをした。

 護衛たちは最初ハラハラした顔で見ていたが、俺が本気で子供たちと楽しんでいるのを見て、やがて微笑ましいものを見るような温かい視線を向けるようになった。


 一通り視察を終えた後、俺は院長室で院長と二人きりで話をした。


「素晴らしい孤児院ですね。子供たちの顔が皆、生き生きとしている」


「もったいないお言葉です。ですが……」


 院長は少しだけ表情を曇らせた。


「正直に申し上げますと、経営は常に火の車でございます。国からの助成金だけではとても足りず……。建物の修繕もままならないのが現状です」


 彼女はそう言って深々と頭を下げた。


「どうか子供たちのために、お力添えを……」


 俺は黙って彼女の話を聞いていた。

 そして懐から一枚の羊皮紙を取り出した。


「院長。これは王家からの寄付金です。まずはこれで屋根の修繕をしてください」


「こ、これは……! こんなに多額の……!」


 院長は金額を見て、目を見開いた。


「それからもう一つ。ヴァイスハイト公爵家からも、個人的に毎年寄付をさせていただきたいと思います。それと私の知り合いの商家にも声をかけてみましょう。きっと食料や衣類などを支援してくれるはずです」


 これは俺がここに来る前から考えていたことだった。

 ただお金を渡すだけでは根本的な解決にはならない。

 継続的な支援の仕組みを作ることが何よりも重要なのだ。


 俺の言葉に院長は涙を浮かべて、何度も何度も頭を下げた。


「ありがとうございます……! ありがとうございます、ルシアン様……!」


「礼には及びません。これは未来の皇太子妃としての、私の仕事ですから」


 俺はきっぱりとそう言った。

 その時、俺は初めて自分の立場に誇りを持つことができたような気がした。


 視察を終え、王宮への帰路につく。

 馬車の窓から遠ざかっていく孤児院を見つめる。庭では子供たちがいつまでも俺に向かって手を振ってくれていた。

 胸が温かいもので満たされていく。

 誰かのために何かをする。

 それがこんなにも満ち足りた気持ちになることだとは、知らなかった。


 王宮に戻ると、アシュレイが門の前で今か今かと俺の帰りを待っていた。

 俺の姿を見るなり彼は駆け寄ってきて、俺を力強く抱きしめた。


「……おかえり、ルシアン」


 その声は安堵で少しだけ震えていた。

 こいつ、本当にずっと心配して待っていたんだな。


「ただいま、アシュレイ」


 俺も彼の背中に腕を回した。


「……どうだった?」


「ああ。上手くいったよ」


 俺は彼に今日の出来事をすべて話した。

 俺の話をアシュレイは黙って聞いていた。

 そしてすべてを聞き終えると、彼は俺の頬にそっと触れた。


「……本当に、立派になったな、私のルシアンは」


 その声は誇らしさと、そして少しの寂しさが混じっているように聞こえた。

 まるで雛鳥の巣立ちを見守る親鳥のようだ。


「俺は、お前の番だからな。これくらい当然だ」


 俺が少し照れながらそう言うと、彼は愛おしそうに目を細めた。


「ああ、そうだな。君は私の自慢の番だ」


 彼は俺の唇に優しいキスを落とした。

 それは俺の初めての公務の成功を祝ってくれるような、甘くて温かいキスだった。

 俺はもう彼に守られるだけの、か弱い存在じゃない。

 彼と肩を並べて、共に未来を歩んでいける。

 その自信が確かなものとして胸に宿った、一日だった。

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