転生したらサキュバスでインキュバスだった件

@bananataberungo

第1話 初めてのTS化

「ここは、森……? 僕は……」


 光がまぶたを焼く。まぶしさに耐えきれず目を開けると、そこは鬱蒼うっそうとした緑の世界だった。風がこずえでるたび、木漏れ日が銀色の魚のように揺らめいている。自分が死んだはずだという確信が、なぜかあった。なのに今、土の感触と草の匂いを感じている。


 体を起こした瞬間だった。背中に奇妙な違和感があった。硬くて柔らかいものがうごめく感触。恐る恐る後ろに手を回すと、そこには経験したことのない感触が存在していた。 


「……羽……?」


 肩甲骨けんこうこつの間から、ゆっくりと何かが広がっていくのが分かる。熱い鉄が冷えて凝固ぎょうこしていくような感覚。それがようやく停止した時、僕はおそるおそる自身の肩越しにそれを確認した。


 そこにあったのは、漆黒しっこくつばさだった。蝙蝠こうもりを思わせる形だが、決してみにくくはない。陽の光を受ける角度によって、羽毛の一枚一枚が紫水晶あめじすとのように輝きを変えた。翼膜ひまくには繊細な金糸きんしはしり、まるで夜空を切り取ってきたかのような荘厳そうごんさをたたえている。


 思わず息を飲んだ。けれど次の瞬間、あまりにも大きな衝撃が襲ってきた。


「っ……!? な、なんだこれ!?」


 体が軽すぎる。そしてあるべき場所にあるべきものが、一切ない。下腹部に手を伸ばすが、指は何の抵抗もなく滑っていく。

 そこには陰部という隆起りゅうきくぼみもなく、ただツルリとした、なだらかな平地が続いているだけだった。混乱のまま体の各所を探るが、どこもかしこも少年期以前の未成熟な輪郭りんかくをしている。


 「なんで……全裸ぜんら……!? しかもなんでこんな体に……!?」


 恥ずかしさと絶望で叫び声が出そうになるのをこらえていると、すぐそばで聞き覚えのある声が聞こえた。


「……落ち着いてくださいませ、私の主人」


 振り返れば、そこにいたのは黒髪の青年だった。彼の名はノクス。リリスと呼ばれる悪魔が僕の転生をつかさどる際に付けた補佐役だと、漠然ばくぜんと思い出した。


 しかし――その姿は記憶にあるものとは少し異なっていた。黒曜石こくようせきの短髪は背まで伸びていて、ひとみは深い海の底のように群青色ぐんじょういろを宿している。そして何より驚いたのは、彼の恰好かっこうだった。布切れ同然の黒いマントが腰のあたりを申し訳程度におおっているだけであり、豊かな胸筋から腹筋まで惜しげもなくさらされている。鍛えられていながらしなやかな体躯たいく彫刻ちょうこくのごとく均整きんせいが取れており、露出度の高いその装束しょうぞくは危険なほどなまめかしかった。僕と同じくほぼ全裸に等しい。とても


「補佐役」とは言い難い妖艶ようえんさに満ちていた。


「……あの……ノクスさん? その格好かっこうは一体……」

「申し訳ありません。服という概念が『非合理』と判定されたようで」

「非合理って……! 僕のこの状態も非合理判定ですか!? 体とか全部!?」

「はい。肉体の方は不必要なので新しく再構築されました」


 ノクスは悠然ゆうぜん微笑ほほえんだ。くちびるの端からわずかに牙がのぞいている。


「あなた様が得たのは、淫魔の素体です。ご安心ください。すぐに慣れましょう。快楽とともに」


 ノクスが僕の体を値踏みするように上から下まで眺めた。その視線に含まれるのは好奇心や研究熱心さのような純粋なものだけではない。獲物を品定しなさだめする捕食者の嗜虐心しぎゃくしんのようなものがチラチラと見え隠れしていた。


「まずご自分を知るべきでしょう」


 ノクスはひざまずき、うやうやしく僕の膝に触れた。彼のてのひらは冷たく濡れている。


「今のあなたの体は男でも女でもなく……言ってみれば最も原始的な型。最も無垢むくでありながら、同時に全ての可能性を秘めた形です。我々にとって最も美味なる魂の器」

「美味って……あのさ」

淫蕩いんとう使徒しとにして生命の萌芽ほうが。全てをきつけ、全てをはらむ。そういう存在なのですよ」

「……よく分かんないですけど」


 会話を続けているうちに、突然鋭い頭痛が走った。頭蓋ずがいの内側でガラスを叩くような鈍い音。視界の隅に極彩色ごくさいしきの火花が散り始める。

 その光の中に、断片的な映像が浮かび上がる。学校の教室。両親の笑顔。そして――最後に見た赤い閃光せんこう


「あ……ああ……!」


 記憶の扉が勢いよく開く。怒涛どとうごとく押し寄せる過去の出来事。


「俺の名前……御影 柊みかげ しゅう。そうだ。俺は……事故で……」


ノクスが頷きを深くした。


「そうです。ミカゲ様。魂の核が呼び覚まされましたね。あなたの命は現世において終わりを迎えましたが――ここに至る道程どうていは常人と異なります」

「どういうことだ?」

「あなたの中には、"もう一つの魂"が共生していました。双子の妹君の魂です。それがあなたを冥府めいふへ渡らせなかったのです」

「妹……の?」


「あなたが生まれる直前……あるいは産声をあげる寸前まで生きながらえなかった存在。その魂があなたと共に新しい生を得ようとしました」


 ノクスの口調が変わらないのが逆に怖かった。まるで昨日の天気予報を告げるような気軽さで告げられる残酷ざんこくな真実。


「結果としてあなたは……完全両性具有体質となったのです」

「なんだよそれ……」

「通常の雄雌ゆうし双方の特徴をね備えるのみならず、"意志"に応じて自在に変容可能な稀有けうな性質。リリス様が最も愛した特性でもあります」

「冗談じゃないぞ……! 変形ヒーローじゃないんだから!」

「お気に召しませぬか? 私は好みですが」


 ノクスがかすかに舌なめずりをする仕草しぐさを見せた。その視線は僕の平坦な下腹部に向けられている。

 恥ずかしさと恐怖で鳥肌が立った。


「……ところでノクス。君も……もしかしてそれ?」

「私ですか?」

「だって……その……変なところが膨らんでいるじゃないか!」

「失礼。私はインキュバスですので」


 ノクスは恥ずかしげもなく宣言して見せた。その股間部には明らかに熱を持った存在がそそり立っている。布切れの端からはみ出しかけており、それが脈打っているのが見て取れた。僕は思わず目をらした。


「……そういうことは人前で平気なんだな……」

「当然のことです。恥辱ちじょくなど無用の情動じょうどう。欲望と享楽きょうらくこそが我らの本質ですから」

「ああもう! 頭がおかしくなりそうだ! とにかく今はここを離れたい。こんな姿じゃ誰かに見つかったら……!」


 そう言いかけた時だった。突如として大地が揺れた。重く地響きを伴う咆哮ほうこう鼓膜こまくを激しく叩く。木々がざわめき、小動物たちが一斉に逃げ出し始めた。凄まじい威圧感が背中から突き刺さってくる。何か巨大なものがこちらへ一直線に向かってきているのだ。


「……まずいですね」

「来る……!」


「どうやらこの森の主のお出迎えのようです」


 ノクスの顔から余裕の笑みが消えたわけではないが、警戒の色が濃くなったのを感じた。僕たちは咄嗟とっさしげみに飛び込んだ。枝葉えだはが肌を引っくのも構わない。何が起きているのか分からないが、とにかくこの場から退避すること以外考えられない。


 その矢先だった。


 しげみの向こうから現れた巨漢きょかんの影。

 はがねのような体躯たいくを覆う濃密な体毛。

 犬科獣人いぬかじゅうじんの特徴を強く持ち合わせた男だった。


 身の丈は優に二メートルを超えている。頭部は狼とドーベルマンを掛け合わせたかのような凶暴な容貌ようぼうをしており、赤銅色しゃくどういろの眼光が爛々らんらんと燃え盛っている。両肩から伸びる豪腕ごうわんは丸太よりも太く、無数の傷跡が勲章くんしょうのように刻まれていた。

 何よりも異様なのは、その片手に握られた巨大な両剣だった。山刀とも斧ともつかないいびつな武器。それぞれが血塗られていないことが奇跡と思えるほどの重量感を放っている。


「何奴だ貴様らァ!」


 獰猛どうもううなり声が鼓膜こまくを貫いた。獣人は鼻腔びくうを広げ、嗅覚を研ぎ澄ましているようだった。僕たちの存在をしっかりと捕捉ほそくしている。その視線がこちらへと突き刺さった瞬間、全身の血が凍りつく思いがした。


「……サキュバス……? 否。インキュバスか?」


 獣人の目が僕とノクスを交互に捉える。特に僕の背中の黒翼こくよくと、ノクスの股間に釘付けになっているようだった。僕は反射的に両腕で胸と下腹部を隠すポーズを取ってしまった。この体でこの行為がどれほど滑稽こっけいか自覚しているものの、本能的に防御してしまう。

 一方ノクスは微塵みじんも動じていない。それどころか挑発的な笑みさえ浮かべていた。

 マントのすそをわずかにまくり上げるように立ち、己の肉体を惜しみなくさらす姿勢を取る始末だ。筋肉の隆起を意識的に見せつけ、獣人の視線を意図的に誘導している。僕からしたら完全に正気の沙汰さたではない。


「これはこれは獣人殿。我らのような矮小わいしょうなる魂にてお目汚し申し訳ございません」

「黙れ淫鬼いんき風情が! その下賤げせんなる欲望を振り撒きおって! 捕縛する!」

「ノクス! なんで挑発してるんだよ馬鹿か!?」


 獣人が咆哮ほうこうと共に跳躍ちょうやくした。

 爆風のような風圧。空間そのものを破砕はさいする速度で接近する。両剣が陽光を照り返し、一瞬の間に三日月を描いた。

 次の瞬間には僕たちの首をねているだろうとさとった。


――だが。


「主。ご覧あれ」


 ノクスの右手が静かにかざされる。

 指先から紫電しでんのような光の粒子がほとばしった。

 瞬く間に形成されていく紋様。円環えんかん幾何学模様きかがくもようが複雑に絡み合い空中に浮かび上がる。ノクスの瞳孔どうこうが縦に裂け、真紅しんくへと変色していた。


「《魅了の檻》」


 時間そのものが粘稠ねんちゅうな液体と化した。

 獣人の動きがピタリと停止する。まるで空間ごと凍結したかのような異様な光景だった。両足は空中で固定され、凶器の切っ先すら寸前で停止している。しかし当の本人は全く自由を奪われたことに気付いていない。それどころか恍惚こうこつとした表情すら浮かべていた。


「なんだ……この香りは……? む……うぅ……」

「お喜びいただき光栄です。獣人殿」


 ノクスが滑るように獣人に近づく。汗に濡れた相手の胸板に触れ、らすように爪先で乳首をもてあそんだ。獣人はビクンッと体をけ反らせる。


「ん……っ…く! おい! 貴様何を……やめろ!」


 制止の声は弱々しい。明らかな性感への戸惑とまどいとよろこびが入り混じっているのが見て取れた。

 獣人のひとみには情欲の炎がともっている。あらがう意思はあるが、それ以上にノクスから発せられる芳香ほうこうと触覚の刺激に酔わされていた。その様子を見てノクスは満足げに喉を鳴らす。


「さあ、主。この機をお見逃しなきよう」


 ノクスが僕を呼んだ。僕は恐怖にすくんでいたが、同時に得体の知れない昂揚感こうようかんが下腹部を中心に渦巻き始めていた。目の前の獣人が性的興奮をあらわにする様は異様極まりないはずなのに、どうしようもなく引き寄せられる。背中の羽がわずかに震えている。


「僕に何ができるっていうんだ……」

「簡単です。彼に接吻せっぷんすればよいのです。あなたの内在する"種"が反応いたします」


 ノクスの助言に戸惑とまどいつつも、足が自然と獣人に向かって進み出てしまう。まるで操られているかのように。僕自身の意思ではないと否定したいのに、体の芯が熱くうずいてしょうがない。呼吸が乱れてくる。目の前に立つ獣人の顔からは雄々おおしさは完全に失われていた。代わりにあるのは――期待と怯え。


「やめ……ろ…淫魔いんまが……!」

「……ごめん。本当にごめん」


 謝罪の言葉と共に僕は獣人に飛び付いた。驚愕きょうがくの表情が一瞬で歪む。


――唇に温もりと硬さと熱。互いの唾液だえきが混ざり合う音。

 思考はそこで途絶えた。

 熱が伝播でんぱする。口腔こうくうを通じて脳髄のうずいに流れ込む未知の快感。脊椎せきついを駆け抜け四肢末端ししまったんまで満遍まんべんなく行き渡る波動。全身の皮膚が粟立あわだしびれるような喜悦きえつが走った。獣人も同様の感覚に襲われているらしく、喉奥からうめきをらしながら全身を痙攣けいれんさせている。

 視界が急激に色彩を失いモノクロームへと反転し始める。背景の緑や褐色かっしょくがグレーへ変わりゆく中で唯一鮮烈な光を放つのは僕の背中の羽と獣人の眼光だった。


「これが……僕の能力……?」


 無意識のうちにそう呟いていた。

 肉体の境界線が曖昧あいまいになり融合ゆうごうしそうな錯覚にとらわれる。他人の"意志"と自分の"意志"が渾然一体こんぜんいったいとなる奇妙な感覚。まるで精神そのものが融解ゆうかいし一つになろうとしているかのようだ。


 刹那せつなの時だったかもしれない。永劫えいごうにも感じられたかもしれない。


「んぁあっ!?」


 絶叫と共に獣人の体が大きく跳ね上がった。肉塊が破裂する音に似た鈍い振動が大気を震わせる。

 同時に僕の体内から何かが噴出する感触があった。

 睾丸こうがんした器官の内部で大量の"ナニカ"が生成され射精に似た放出感が下腹部を支配する。しかし物理的には何も排出されていない。それでも確かなエクスタシーと虚脱感に包まれていた。


「……終わった……のか……?」


 くちびるを離すと銀の橋がかかり千切ちぎれる。獣人は両目を大きく見開いたまま硬直していた。唇は紅潮こうちょうよだれを垂らし続けており焦点の合わない視線を虚空こくうへ投げかけている。


「主。順調でした」


 いつの間にか背後にいたノクスが僕の耳元で囁いた。吐息がくすぐったい。


「いま、あなたはこの獣人の"精気"と"魂魄こんぱくの一部"を吸い取りました。同時に"自己"の因子を与えたわけです」

「与えた……って?」


 獣人の肉体が小刻みに痙攣けいれんし始めた。

 乳房ちぶさのような隆起が左右から現れ衣服を突き破って成長していく。その形状は徐々に丸みを帯び母性の象徴へと昇華しょうかされていった。

 胴体どうたいはしなやかにくびれを形成しウェストラインを強調する。臀部でんぶは骨盤を拡大させつつ柔軟な脂肪層をまとう。大腿四頭筋だいたいしとうきんが滑らかな曲線美を演出し始め美脚へと変貌へんぼうする。同時に肌の質感が一変した。剛毛ごうもうだった表面は細やかな産毛程度へと置換ちかんされ色素の濃淡が調整される。赤銅色しゃくどういろであった瞳はあわ琥珀色こはくいろへと変化していた。牙が縮小し唇からはわずかな可愛らしい犬歯が覗く。

 顔立ち自体は元のイケメン狼顔を残しているものの、容姿ようしは人へと変容し、明らかに雌の領域に入ってしまっていた。


「はあ……はあ……! な……なにが……起き……て…」


 ハスキーながらも明らかに女性的な声音だった。本人も混乱しているようで胸元に手を当てるとその質量に驚愕し悲鳴を上げていた。

 彼は――否、彼女は茫然自失ぼうぜんじしつといった風情ふぜいでその場に崩れ落ちる。


「主。あなたの中にある"妹君"の遺志が働いたのでしょう。"女"として再生する……あるいいは理想形へと変換する。非常に高度で珍しいタイプの転性共鳴です」

「うそ……だろ……こんなことして……僕…!」

「ですがお忘れなく。これは正当防衛ですし……成果は極上のめすでしたね?」


 ノクスの嘲笑ちょうしょう交じりの称賛しょうさんに悪寒が走った。

 獣人はうるんだ瞳で僕を見つめていた。その目に宿るのは恐れと敵意だけではない。別の感情もにじんでいるように見えた。同情かもしれない。それとも――好意?


 僕はたまれなくなって目をらした。

 その瞬間だった。下腹部に久しぶりの感覚がよみがえる。ドクン。脈動。血流の集中。今まで何の起伏もなかった部位が唐突に屹立きつりつを始めたのだ。熱く硬い肉棒が生誕の儀式を遂行していた。


「……っ! なんだ……これ……」


 驚愕きょうがく羞恥しゅうちが同時に押し寄せてくる。自身の陰茎いんけい勃起ぼっきする感覚は遠い昔の記憶でありながら懐かしくもあり憎たらしくもある。

 ノクスは興味深そうに僕の股間を凝視していた。指で輪を作ってサイズを計測するようなポーズを取りながら楽しげにくちびるの端をり上げる。


「素晴らしい。あなたの中で『雄』の本能が目覚めたのですね。さっきまで完全なるニュートラル体であったのに……対峙たいじした雄のエネルギーを吸収し反転させたことで男性原理が活性化したのでしょう」

「最低だ……最低すぎる……!」

「褒めているのですが……まあ良いでしょう」

「そんな問題じゃ――」


 ノクスは再び僕に密着してきた。腕を回し抱擁ほうようする。彼の体温が冷たくて気持ちいい。汗ばんだ肌が直に触れ合い摩擦まさつを生む。ノクスのくちびるが僕の耳朶みみたぶを柔らかく噛む。


「主。そのみなぎるる"おす"の活力……是非ぜひ味わっていただきたい。私で試されますか?」

「な……なにを馬鹿なことを……!」


「冗談ではございません。私が最も適任でございます。いかなる欲望にも応じられる自信があります。この身すべてを捧げるのが私の使命ゆえ……」


 ノクスの声色が一段階甘く柔らかくなった。誘惑の匂いが濃厚にただよう。僕の男性器は更に硬度を増していく。頭の中で警告音が鳴り響いているにも関わらず心拍数は加速度的に上昇していた。


「ふざけるな……まだ会ったばかりだぞ……! それにお前は男だ! 第一こんなの犯罪だ!」

「現世の法律など此処ここには通用しません。倫理観も常識も我らには無価値です」

「それでも嫌だ!」


 僕は全力でノクスを突き飛ばした。予想外に簡単に離れた彼の体は数歩後方に跳ねる。しかし怒るどころか嬉しそうに目を細めていた。まるで抵抗されるのを楽しんでいるかのようだ。


「なるほど。なかなか強靭きょうじんな自制心を持っていらっしゃる。結構です」


 獣人がようやく立ち上がる。胸部装甲が外れてしまい、たわわな乳房がほとんどあらわになっていた。彼女は恥ずかしそうに両腕で隠しながらもこちらをにらみつけている。そのひとみには未だ混乱の色が残っているものの敵意は薄くなっていた。代わりに不信感と若干じゃっかん畏怖いふが込められているように見える。


「お前ら……一体何者だ……?」

「……えっと……通りすがりの転生者です。本当に偶然で……!」

「この姿……どうしてくれるつもりだ……! 戻せ……!」

「ごめんなさい! 全部事故みたいなもので……!」


 獣人の顔が歪む。涙腺るいせんから大粒のしずくこぼれ落ちた。泣いている。嗚咽おえつらすことなく静かに泣いている。その涙は宝石のごとく純粋ではかない輝きを放っていた。


「ふざけるなよ……! 俺は……あたしは……ずっと守護者だったんだぞ……村の英雄だったんだぞ……! こんな……こんな姿になって……同族になんて言えばいいんだ……!」

「ごめんなさい……僕もどうすればいいか分からなくて……!」


「くそっ……!」

 

 こぶしを握り締め地面を殴りつける。岩盤がんばん粉砕ふんさいされ砂塵さじんが舞った。女になった今でも身体能力は衰えていないらしく膂力りょりょくは健在のようだ。

 ノクスが僕のそばに近づき小声で忠告する。


「主。申し開きもできませぬが……まずは謝罪を尽くしてください。その後の善後策は誠意を見せなければ始まりません」


 わかってるよ。

 僕は意を決して獣人に向き直った。真正面から見据みすえる勇気はない。目を伏せたまま深く頭を下げた。


「本当に申し訳ありませんでした。許されることじゃないと思います。でもつぐないはさせてほしい。あなたの村に行って事情を説明します。どんな罰でも受けます。だからお願いです。一緒に連れて行ってもらえませんか?」


「……」


 長い沈黙が訪れた。風が木々を揺らす音だけが響く。やがて彼女は溜息をつくと額に手を当てた。


「……馬鹿馬鹿しいくらいに真面目だなお前。詐欺師の割には下手すぎる」

「え?」

だまし討ちかと思ってた。けど本気で困ってるんだな。その表情から伝わる。演技だったら賞賛しょうさんものだよ」


「本当なんです! 心の底から反省してます!」


 彼女は苦笑いを浮かべると顔を上げた。涙の痕跡こんせきは乾いていたがまだひとみは赤い。


「……ついてこい。村に案内してやる。ここで喧嘩してもらちが明かない。詳しく話を聞く必要がある」


 意外な提案だった。僕は顔を上げ彼女の顔を見る。口調は厳しいが怒りや侮蔑ぶべつの感情は見受けられない。代わりに深い疲労と諦念ていねんのようなものが浮かんでいた。


「ありがとうございます……!」

「感謝するのは早い。村ではもっと大事になるかもしれんぞ。特に男衆おとこしゅうからの反感は必至ひっしだ」

「覚悟しています」

「ああそうか……ならいい」


 彼女はきびすを返し森の奥へと歩き出した。僕は慌てて追い掛ける。ノクスも文句一つ言わず後に続く。背中の羽を小さく折り畳みながら小走りで進む。未だ裸同然の格好であることに羞恥しゅうちを覚えつつもこの異世界の土を踏みしめる毎に体に馴染なじんでいく不思議な感覚があった。


 ノクスが僕の耳元でささやく。


「上手くいきましたね。初日としては上出来でしょう」


「何が上出来だよ……これから修羅場しゅらば確定だぞ……」

「まあまあ。不幸中の幸いではありませんか。あなたには他者をいつくしむ心があります。そして淫魔いんまとしての素養そようも抜群です。きっとこの世界で多くの愛をつむぐことができるはずですよ」

「……余計なお世話だ」


「それに……」


 ノクスの指が僕の腰をでる。そこには小さな硬いものが潜んでいた。振り返るとノクスの股間部分が再び隆起していた。


今宵こよい祝杯しゅくはいといきましょうか? 主の初めての狩猟成功をしゅくして……」


「バカ! どさくさに紛れて変なことたくらむな!」


 ノクスは愉快そうに喉を鳴らして笑った。彼の笑声が森に響き渡る。その声はどこか悪魔的で魅力的だった。


「主。先程吸収した精気のおかげであなたの体は男性機能が強く表出しております。もしうずきが治まらなければ私も協力できる準備ができております。遠慮なさらず何なりと申しつけてくださ……」


「言うなああああっ!!」


 僕の悲鳴は新緑しんりょく樹冠じゅかんを越えて雲の彼方かなたへと消えていった。

 こうして異世界での生活は幕を開けたのである。

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