43.
気が付けば、わたしはいつものように自室へと戻っていた。
返り血もどこで流してきたのか、記憶がなかったけれど、自分から漂う血の匂いと手の中にあったマルクのイヤーカフが、自分がマルクのことを殺してきた何よりもの証拠だった。血の匂いが嫌になり、装備を脱ぎ捨てて、下着姿で手の中のイヤーカフに目を落とし、わたしは今更ぞっとした。
マルクは死んだ。わたしが殺した。
あの酒場で、彼のことを待っていても、もう二度と現れることはない。
愛しかったあの時間を、わたしが自分で永遠に壊してしまった。
「あっ……、ああ、ぅあっ、~~~~っ!!」
部屋の中心で、身体を折りたたんでマルクのイヤーカフを抱きしめるようにして泣いた。
わたしはその時、やっと自分の行いの酷さを自覚した。
今まで自分がどれだけの人を先生の指示通りに“狩り”をしてきたのか、わたしは覚えてすらいなかった。それくらい無感動に、無感情にわたしは任務を遂行していた。だって、そうしなさいと言われていたから。
けれど、あの人も、その人も、彼の人も、どの人にも――帰りを待っている人が少なからず居たのではないか。悪いことをして、その制裁を受けていたのだとしても、それは殺されるほどのことだったのだろうか。
理由はあったにしろ、わたしは何も思うことなく彼らの日常を削り取ってしまっていた。
それは、何て憎まれるべきで、恨まれるべき行為なのだろう。
(ああ、だから先生はわたしに感情を持つなと言ったんですね)
気付いてしまえば、容易にそれをすることなどできるわけないのだから。
その行為をするのに、どんな感情も邪魔にしかならないから、先生はわたしを人形に仕立て上げた。そしてわたしは先生の望み通りの物に出来上がってしまっていた。
やっぱり、死ぬべきはわたしの方だった。マルクに殺されたかった。
なのにどうして、わたしがマルクのことを殺して、わたしが今生きているのだろう。
どう考えたって悪いのは、何も知らなくて、何も知ろうとしなかった――わたしという存在だ。
(……死にたい)
思って、わたしは自室にあった短剣を手に取った。
(わたしなんか、生きていちゃダメだ)
首に突き立ててしまえば、苦しいかもしれないけれど、このまま生きていくよりはずっとマシだと思えた。けれど。
――『生きて』――
耳に残っているマルクの言葉に、わたしの手は震えて上手く力が入らなくなった。涙は溢れるばかりで、わたしは小さく「どうして」と呟いた。
「――――どうして、わたしに“生きて”と言ったんですか……マルク……っ!」
その答えを知れる日は、もう永遠に来やしない。
こんなことなら、マルクに出会わなければ良かった。話しかけられたあの日、無視をしたらよかった。
出会うこともなく、関わることもなく、マルクの存在を知らなければよかった。
でも、わたしにとってマルクに出会えたことが、わたしの人生の中で最大の幸福だったのだ。
+
それから暫く泣いて、やっと涙が出なくなった頃、わたしはマルクが最後に言っていたことを、泣きすぎて痛む頭でぼんやりと思い返した。
(……“自由”に、生きて……)
考えても見れば、わたしは先生に自由を与えられていたのに、全然自由じゃなかった。
衣食住に困らないくらいの給料も支払われているというのに、どこかへ行こうとする頭など全くなくて、ずっとここへ帰ってきていた。
だって、先生が「帰ってくるんだよ」と言ったから。そうしないとダメだと、わたしは勝手に思い込んでいたのだ。
何もかも、先生に与えられたものしかわたしにはなかった。
住んでいる場所だって、着ているものだって、使っている武器だって。
わたしが敬語を使うことも、先生がそうしなさいと言ったから。
わたしの髪が長いのだって、先生がその方がいいと言ったから。
わたしが思っている自由だって、先生から与えられた範囲のものだ。「任務外の時はこの村の中なら自由に動いていい」と、わたしは一体何のために律儀にずうっとそれを守っていたのだろう。
「……わたしには、マルクだけだったんですね」
わたしが自分の意志で、自分で選んだものは、マルクだけだった。それなのに、わたしは自分で台無しにした。
何故、逃げてと言ってあげられなかったのだろう。
何故、逃げようと言うことができなかったのだろう。
何を思っても、全て今更だ。
気付いたそれらにわたしは小さく笑ってから、鏡の前に立ち、手にしたままだった短剣で、腰ほどまであった長い自分の髪を乱雑に首元の辺りで切り落とした。自分の髪を床に投げ捨て、すっきりとした首元に呼吸が少しだけ軽くなったように感じた。
(重かったんだなあ……髪……)
ぼんやりそう思い、笑いが込み上げた。先生の言いつけを破ることが、こんなにも簡単なことだったのかと。
短剣も床に捨て、部屋に置いてある本棚からこの地域の地図を取り出し、わたしは地図に目を落とした。
(北の村……遠いし小さいって言っていたから、この村かな……)
地図に書かれていた地名は「エルレ村」。それを確認してからわたしはその地図も床に投げ捨てた。
そうして再び鏡の前に立ち、自分の左耳にマルクのイヤーカフを着けると、わたしは下着の上に外套を羽織って、最低限の初期装備が買えるだろう少しのお金だけ握りしめて部屋を後にした。
(マルク……あなたが言っていたものをせめて一つだけでも見に行きます……きっと、死ぬのはそれからでも遅くない)
そうしてわたしは、あのギルドから――先生の元から逃げ出したのだ。
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