30.
「やほやほアルガちゃん! お待たせ~」
軽薄な声にアルガは不機嫌そうに眉を潜め、声の主を睨みつけると一言「遅い」と言った。
「私を待たせるだなんていい度胸ね? ヴェリス」
「わぉ、怖いっ。俺はこれでも最速で来たんだけどなあ~多忙なんだから許してよね」
「依頼を受けた以上あんたの事情なんか知ったこっちゃないわよ。ほら、情報集めといたから読みなさい。移動するわよ」
アルガとヴェリスが居たのは、火山地帯のとあるハンター用のキャンプ地。そして、更に言えばここは「高難易度」のクエストへ赴くことを許可されたハンターのみが足を踏み入れてもよいとされている場所だ。
そんな場所を颯爽とした足取りで歩くアルガについて行きながら、ヴェリスは先ほどアルガから投げ渡された紙束に目を通す。討伐対象とするモンスターの詳細から、戦うことになるだろう地形の詳細図が書かれているそれらに、ヴェリスは小さく「さっすが」と笑った。
この度二人が討伐に赴いているのは、ハンターたちの間で『炎帝』という通り名がある、炎属性古龍種。モンスターのヒエラルキー頂点に属する古龍種であるそいつは、天災級の危険度を誇っている。彼の者が存在するだけで辺りの気温は大きく上がり、火山は活性化し、その者が存在する中心部は焦土と化すと言われている。
普段は人里離れた火山の奥地に生息しているというが、稀にその姿を人の目の届く場所に現すことがあり、そうなった場合は即時に討伐、もしくは撃退させなければならないのだ。
「“炎帝”か〜……ま、古龍の中じゃ楽な方よね。動きが読みやすいから。しっかし珍しいねえ、アルガちゃんから手伝ってくれ〜なんて。こいつ相手なら、アルガちゃん一人でも別に狩れるだろ?」
「まあね。急ぎの用事ができちゃったから? 丁度行く先にあんたが暇そうに居たことだし」
「暇ではないんだけどねえ……ところで、その後様子どう?」
「何の?」
「マイちゃん。記憶思い出したとか」
「ないわねえ。変わらずよ」
アルガの答えにヴェリスが小さく「ふぅん」と鼻を鳴らしたことに、アルガはヴェリスを観察するように目を向けた。
「……あんたのお節介は今に始まったことじゃないけど」
「ん?」
「前は話が聞けなかったから……あんたの目から見て、マイちゃんには何かあるのかしら?」
アルガの問いかけにヴェリスは小さく「あ〜……」と声を漏らして、アルガから受け取った資料を読み終えたのだろう、丸めてポーチに突っ込むとアルガにふと笑みを向ける。
「アルガちゃんはさあ、記憶喪失の主な原因である三つのパターンは分かるかい?」
「原因……そうねえ、外的要因、内的要因、あとはまあ、病気ってところかしら」
「そう。流石っ。で、アルガちゃんはマイちゃんの記憶喪失の原因、どれだと思ってる?」
「えっ? それは……崖から落ちて記憶を失ってるんだから、外的要因でしょう。あの時マイちゃんの頭からは血が流れてたし、頭はぶつけてるはずだから」
「ああ、マイちゃんのこと拾ったのアルガちゃんなのねえ。んー……で、アルガちゃんはその時の話、マイちゃんからどう聞いた?」
「どうって……大型飛竜種に襲われて、逃げた先の足元が瓦解して崖から落ちたって……」
「――それさ、おかしいって思わなかったか?」
自分の答えにそう指摘され、アルガが怪訝な表情を浮かべていれば、ヴェリスはアルガの目を覗き込んだ。
「頭ぶつけてここはどこ〜私は誰〜ってなるのは外的要因でよくあるケースだが、マイちゃんのそれはそうだとしたら可笑しい。頭をぶつけて記憶を失ったにしては、そうなる直前のことを覚え過ぎだ」
「え……」
「大体、記憶を失うほどの衝撃を頭に受けたにしては回復が早すぎる。ナビーさんに話を聞いたが、マイちゃんは村に運び込まれて一週間後には普通に動いていたらしいしな。それから……村長に詳しく聞いたが、あの時マイちゃんの頭に打撲はあったがそれは落ちた拍子にできたものじゃなく、おそらく大型飛竜に襲われた時にできたものだろうって話だ。その飛竜に平手なり、尻尾攻撃なりを受けた、な」
「……じゃあ、マイちゃんは、」
「ああ。俺の見立てじゃ、おそらく内的要因だろう。明らかに病気ではないし……そうなると、マイちゃんは何かがあって、崖から落ちたことをきっかけにして、自ら過去の記憶に蓋をしたんじゃないかと俺は思う――それに伴って、マイちゃんを発見したアルガちゃんに聞きたいことがある」
「何?」
「雪山の崖下で倒れていたマイちゃんの格好だが、どんな格好をしてた? 思い出せる範囲でいい、ハンターしか入れない危険区域で倒れてたんだろ? だとしたら装備は、持ち物は、彼女はその時どんな格好だった?」
聞かれて思い返す、マイを拾った時のこと。崖下に倒れているその姿に、最初は死体が転がっているのだと思った。けれど、上下する胸元が見えて生きていることが分かって――……
「……薄着、だったわね」
――そうだ、少し遠巻きから見ても呼吸によって胸が上下するのが分かるくらいには、薄着だった。
「ギリギリ、最低限雪山を超えられるだろう服装だったわ。装備は何もしてなかった……だから私はマイちゃんが生きてるってことが分かった……片手剣の盾を使った痣が腕にあったから、落ちた拍子に吹っ飛んだだけかもしれないけど」
「ポーチは?」
「……持ってなかったと思うわ」
「ふうん。武器はそうだとしてもハンター用のポーチを持ってたとしたら、崖から落ちた程度で吹っ飛ぶわけがないからなあ、その辺は元々持ってなかったんだろう。さて、最後に一個……これは覚えてなくても仕方ないが、覚えてたら大分俺の予想が確定される――その時のマイちゃんは、どんな髪型をしてた?」
「髪型……? 今と対して変わりなかったと思うけど……肩より上のショートヘアで――」
「髪、整ってたか? 自分で適当に切り落としたような、乱雑な切り方だったりしなかったか?」
聞かれたそれに、「そんなこと覚えてるわけないじゃない」と思いつつも、アルガはふとマイを肩に担いだ時のことを思い出した。傷だらけで、ボロボロだった彼女を背に担いだその時、垂れ下がった髪の一束が不自然に飛び出していた。それを見て、何でここだけ飛び出してるんだろうと思ったことを思い出したのだった。
「整っては、なかった、わね……」
静かに呟くように言ったアルガのそんな答えに、ヴェリスは静かに「そうか」と答えた後、目を伏せる。
「――ならマイちゃんは多分、どこかから逃げてきたんだろう」
「え……?」
「持ち物はほとんど持っていなくて、髪型を自分で変えていたのだとしたら、そう考えるのが自然だ。まあ、逃げて来たっていうんならまだいい。彼女は何かあって死のうとしていた身なのかもしれん。それこそ投身自殺だったとか――それを君が助けた」
「そんなの、でも、マイちゃんはそんな風には……」
「記憶を失っているからな。俺が彼女を気にしている理由は、彼女がそうあることでギリギリ保っているようにしか見えなかったからだよ――まあ、これらはあくまで推測の域を出ないことだ。杞憂であればそれでいい。ただ、俺の目から見て彼女が記憶を取り戻した時、姿を消す可能性の方が高いと俺は思う」
「じゃあ、どうしてマイちゃんは自分の記憶を取り戻そうとするのよ」
「さあな。そりゃ、記憶を失くして大変だねなんて言われりゃ、それを取り戻さないとって普通は思うだろうし……マイちゃんが失くしたそれは、失くしたとしても本能とかで失くしてはならないものだって思っているものなのかもしれんしなあ」
ヴェリスの言っているそれらに、頷きたくないとアルガは思った。
けれど、納得をしてしまうことが多く、考えれば考えるほど「そう」であるようにしか思えない。
彼女は、いつだってそこに居るのにいつでも居なくなるような雰囲気がずっとあるのだ。最低限の物しかない部屋だってそう、私物らしい私物などあの部屋には増えなくて、彼女が姿を消そうと思えば身支度など数十秒で終わるだろう。だから、「彼女に一人きりでクエストに行かせないこと」とは、ロクとノアール、それからラピスにも、彼女には秘密にして言ってあることだ。
そして、それをロクに言った時、ロクは「うん」と頷きながら笑って小さく「ありがとう」と言った。
現状、マイの過去を知っているだろう人はロクだけであり、マイの過去が判明してからだろう、ベンのロクへの監視が厳しくなったことからも、マイの過去が何かしらよくないものであることは明白であった。
「そういや、アルガちゃん急ぎの用って何? ナビーさんに他にも何か頼まれてたり?」
「え? 違うわよ。ああ、そうだ、一応あんたには言っておこうかしら。私たち、拠点を変えることになったから」
聞かれて思い出したように言われたそれに、ヴェリスは「あ、そうなの?」と目を丸くする。
「俺は拠点持たずに転々としてる身だから、ハンターやってりゃどっかでまた会うことになるだろうけど、どこに行くんだい?」
「アマリ村よ」
「え? アマリ村……? アマリ村っていうと、この辺りから西の?」
「ええ、そうだけど」
すると、何故かヴェリスが口元を手で覆い、「よりにもよってそこか」というような表情を浮かべたため、アルガは思わず「はあ?」と声を上げた。
「どういう反応なのよ、それは」
「いやあ……それこそ杞憂だったらホントにいいんだけど……」
「何が」
「……マイちゃんがしてるイヤーカフあるだろ」
「ええ。マイちゃんの名前の由来になってるアレね」
「そう――アレのデザインは、西の方でよく売られてるものだから」
「……え?」
「物理的にマイちゃんの記憶に近づく可能性があるなあ、なんて……俺は思ったわけで~……」
苦笑交じりに言われたそれに、アルガは何も言うことはできず、ただ「嘘でしょ」と思う。
「……彼女のことは個人的に気になってるし、この任務終えたらちょっと空き時間あるから調べようと思ってるけど、何か分かったら連絡するかい?」
「……いえ、いいわ。私は私の前に居るマイちゃんが好きだから、過去のことなんてどうでもいいもの」
「ま、アルガちゃんはそうよね。でも一応今以上に目を離さない方がいいんじゃないかなってことは言っておくよ」
「それは、そうね……」
はあ、とため息を吐いてからアルガは頭を切り替え、今向かっているクエストに視線を向けるのだった。
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