15.
ドアを開け、入った室内に連れていた人物も招き入れ、ロクは戸を閉めた。ガチャリとドアにカギを掛ければ、奥からトットッという軽やかな足音が近づいてくる。姿を見せたのはピンク色の毛並みに、紫色の瞳の猫の獣人族だ。
「にゃあん、ご主人さま! お帰りですにゃあ? ずいぶんとお早い――……」
言いながらロクに近づいてきた猫の獣人族は、その隣に立っていた人物を目に入れて、「にゃにゃっ」と大げさに目を見開く。
「ベン様っ! 戻られたんですにゃ! ということは――……」
「うん。パチェ、お茶を用意して。定期報告の時間だから」
「畏まりましたにゃ。すぐに」
猫の獣人族、改めパチェはロクの指示を聞くとすぐに元いた部屋の奥へと消えて行った。ロクが部屋の中を歩き出せば、その三歩後ろをベンがついて行く。入った部屋の中にあった四人掛けのダイニングテーブルにロクが腰掛け、向かい側の席を示しながら「座って」と言うと、ベンはロクに向かって一度頭を下げてから示された席に着いた。
そうしていれば、ティーカップをお盆に乗せて頭の上に掲げながらパチェがそれを運んで来て、ロクとベンの前のテーブルにそれぞれ置き、それも終わるとぺこりと二人に向かって頭を下げる。
「では、パチェは奥に下がりますにゃ。用があればお呼び下さいにゃん」
パチェに対し、「ありがとう」とロクが微笑めばパチェはすぐに部屋の奥へと消えて行った。テーブルを挟んで相対し、パチェに淹れてもらったお茶を一口嚥下してから、ロクはベンに目を向ける。
「じゃあ……報告を聞くよ。話して」
ロクの指示にベンは動き、懐から大き目の紙封筒を取り出し、紐で封されていたそれを解き、中からいくつかの書類を取り出した。それに目を落としつつ、ベンは訥々と紙に書かれていることを口にしたのだった。
*
「――――……以上が、彼女に関して調査をした結果だ」
聞き終えて、その内容にロクはただ暗い表情を浮かべて目を伏せていた。手にしていた書類を揃えてからテーブル上に置くと、ベンはロクに目を向ける。
「ロク、俺はあの家に雇われている身だ。そして、お前があの家の人間である以上、彼女を――……マイを、お前の仲間としては認められない」
「……分かってる」
「分かっていない。彼女は、そばに置く人物としてはあまりにも危険すぎると言っているんだ。さっきの様子から、記憶を失っているというのは本当なのだろう。その間はいいのかもしれない。だが、記憶が戻ったその時、彼女がどんな行動を取るかなど――……」
「~~~~分かってないのは、ベンお兄ちゃんも同じじゃんっ!!」
淡々とした口調で言われるベンの言葉に、ロクは強く反抗を示した。
「あたしはあの日、もう決めたの! この子なら大丈夫だって、そう思った!!」
「ロク、」
「マイちゃんは、仲間が危なかったら自分のことなんて顧みないで助けようとする人で、それから、仲間がバカなことしたらちゃんと一緒に笑ってくれる優しい子なんだって……! あたしはあの日、マイちゃんが大好きになったの! あたしは、あたしの目で見たマイちゃんのことを信じる、から」
「……だが、今話した彼女の過去は事実だ」
「それだって! マイちゃんが望んでやってたことじゃないかもしれないじゃん!! ベンお兄ちゃんだって見たでしょう!? マイちゃんのこと!!」
言われたことに目を伏せて、ベンは今日、ほんの少しだけ言葉を交わしたマイのことを思い返す。
「……ああ、人の好さそうな奴だった」
「だったら!」
「記憶を失うと性格が変わると……そんな話を聞いたことがある。だから俺は、お前の言うことだけを見ることはできない」
「うううううっ、分からず屋!!」
唸り声を上げてそう言ったロクに対し、ベンはふと息を吐いてからテーブルの上に置いた書類に、改めて目を通した。そこに書かれている文章と、自分の目で見たマイのことを頭の中で比べてみて、すっ……とその目を閉じる。
「……俺の意見を覆したいのなら、お前は俺に命令をしたらいい」
「………………」
「ロク」
改めて名前を呼ばれ、ロクは一度ぐっと拳を握りしめると、その顔から表情を消してベンに目を向けた。そんなロクと、ベンはやはり無表情のまま目を合わせる。
「――ベン、彼女のことについて口出しは無用です。他言してもなりません。彼女はいい人で、彼女の過去については何も分からなかったと、そうしなさい」
言われたことに、ベンはテーブルの上に置いてあった紙束に手にすると、テーブル上のアルコールランプから火をもらい、その紙束に火を点けた。そうして、そのままそれを火のついていない暖炉の方まで運び、燃えカスの中に放り入れると、ベンはロクの近くで膝をつき、頭を下げる。
「了解した。だが、暫くは近くで様子を見ることを許してほしい」
「……分かりました。出過ぎないようにしなさい」
「了解」
返答すると、ベンは立ち上がりくるりと踵を返してロクの家から出て行った。戸が閉じる音を聞いてから、さっきベンが燃やした紙束の燃えカスに目を向けて、ロクはぎゅうっと顔を顰める。泣くのを我慢しているような表情を浮かべた後、テーブルに突っ伏し小さく「マイちゃん……っ」と零した。
*
「ベン、やっと見つけたわ」
「アルガか。どうした」
エルレ村のギルド内にて、クエストの募集を掛けられている掲示板の前に佇んでいたベンに、アルガは声をかけた。
「どうしたっていうか……定期報告じゃなかったの? 私は呼ばれなかったけど」
言われたことにベンが「ああ……」と目を伏せたのに、全く何の表情も浮かべないため「相変わらず読みにくい奴」とアルガは思う。
「違う。休憩がてらこの村に寄ったから、ロクの顔を見に来ただけだ」
「……ふうん、そう」
「ああ」
「――――けど、マイちゃんがあんたに声を掛けられたって言ってたのは?」
アルガがわざとらしく問いかけてみたが、ベンはやはり特に何の反応も見せることなく、「そうだな」と言った。
「たまたま見かけたから声を掛けただけだ。彼女の特徴はお前から報告を受けていただろう。それに、顔を知られたところで問題はないからな」
ベンの答えたそれにアルガは「そう」と頷いてから、息を吐く。
「ロクに口止めされてるのねえ。私は聞かない方がいいかしら」
「………………」
「あんたも大変ね、あのお転婆娘の護衛騎士をやるのは」
「……大変ではない。俺が望んでやっていることだ」
ベンの返答は想像通りのものであり、アルガはふと鼻で笑った。
ロク――マイのパーティメンバーの一人であるロクの本当の名は、「ローザノイン・シェーンブルク=ヴィドゲンシュタイン」と言う。その名は、聞けば多くの人が驚くことになる名前であった。何故なら、「ヴィドゲンシュタイン」というのは貴族のお家の名前であり、また、その貴族たちの中でもかなり高位にある名だから。
そして、ロクは正にその貴族である「ヴィドゲンシュタイン家」の一人娘だった。
何故貴族の一人娘であるロクが、ハンターをしているのかは割愛するが、とにかくロクはいわば「貴族のお嬢様」なのだ。また、ベンはそんなヴィドゲンシュタイン家に騎士として仕えている人物であり、ロクの専属護衛騎士だった。この事実を知っているのは、周辺の人間ではアルガのみである。
ロクがハンターをやると決めたその時、ロクから一緒にパーティを組むことを許されなかったベンは、せめて信頼のおける人物をとロクにアルガとパーティを組むように言った。その時、ベンはアルガに事情を説明してロクのことを頼んだのだ。
マイが所属したアルガたちパーティは、そんな始まりであった。
また、ベンはロクにハンター活動をするにあたって幾つか条件を出していた。その中の一つに、パーティを組むメンバーについては身辺調査を行い、ベンが危険か危険じゃないかを判断し、ロクに何らかの危害を加える可能性がある者であった場合、パーティを組むことは認められないというものがある。
ただ、立場としてベンにとってロクの言うことが絶対であるため、ロクにああ言われてしまった以上、今のベンには近くで見守ることしかできなかった。
ちなみに、ノアールも知らないところで同じように身辺調査をされており、ベンの目から見てノアールは全くの無害であり、純粋に人の好い人間だった。そして、ノアールはそういったロクやアルガの事情は全く知らないでいる。それを伝えられていないのは、ロクの意向だ。
「……あんたが太刀を背負ってるの、珍しいわね」
ふと、アルガはベンが装備していた武器を見てそう言った。ベンは普段、モンスターの討伐に使用する武器はランスであるため、それを知っているアルガは、ベンが太刀を背負っていたことを指摘すると「ああ」と頷いてみせる。
「別に、これで狩りに行くわけではない。今たまたま背負っているだけだ」
「………………」
「俺は暫くこの村で過ごすことにしたから、また会うこともあるだろう。引き続き、ロクのことを頼んだ」
「……分かったわ」
アルガの返事を聞くと、ベンは踵を返してギルドを後にした。その場に残されたアルガは、腕を組み唇に手を当てて考える。
(……あいつが意味もなくこんな目立つ場所に突っ立ってるわけがないんだから、きっと私に見つけてもらいたかったんでしょうね)
思って、今日マイから聞いた「ベンに声を掛けられた」ということと、たった今ベンが背負っていた不自然な太刀について考え、アルガの口からはため息が出た。
(太刀……断ち切る……きっと、マイちゃんに対してなんでしょう。でも、それを言わなかったってことは、ベンはロクにそう命令された……)
マイのことを、ある意味初めて拾い上げたのは間違いなくアルガだった。雪が降りしきっていたあの日、たまたま崖下で意識を失っているマイのことを発見し、この村まで運んだのはアルガである。
その時からの縁であり――、今まで見てきた「マイ」の姿は仲間思いで、思慮深く、遠慮しがちで、責任感が酷く強い、そんな、己が損をするタイプの馬鹿みたいに良い人だ。
(マイちゃんが記憶を失っているというのに嘘を感じたことはないから……きっと、ベンが危惧しているのは記憶を失う前のマイちゃんでしょうね……)
ベンからロクのことを頼まれているため、マイの調査をベンに依頼したのはアルガである。ノアールの時もそうであり、仲間に成りえそうな人物と出会ったとき、必ずベンの調査を受けると、そうなっていた。勿論アルガ自身が、そう判断した人物はそれこそ今までノアールと、マイしかいなかったくらいにはアルガ自身の目も厳しく、そんなアルガの目から見て「マイ」は善良な人だった。
だからベンに調査をさせたところで、ノアールと同様に何も問題はないと思っていたのだ。
(その結果を聞けなかったということは、きっと、良い結果じゃなくて……でも、ロクは――……)
――「あたしは、マイちゃんがいいなあ」――
(……それでもマイちゃんがいいって、そう言ったんでしょう)
記憶を失う前のマイが、一体どこで何をしていたのか――少なくとも、善良な普通の人ではなかったのだろう。そうであれば、わざわざベンがこうして忠告してくることもないのだから。
(失った記憶を取り戻してしまったとき、マイちゃんがどうなるか……でも、今私たちの目の前に居るマイちゃんは、とてもいい子で、もう大切な仲間だって……私もそう思ってる)
もしマイが記憶を取り戻したその時、何がどうなるか分からないけれど、マイがマイであるのならばロクがそう決めたように、私も仲間で居ようと、アルガはそう思うのだった。
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