14.
「君が、“マイ”か?」
唐突に、何者かからそう声を掛けられたのは、休息日であった日のこと。
次に向かうモンスター討伐に向けての買い出しをエルレ村内でしている最中、後ろから掛けられた声にマイが振り返れば、そこには一人の男が立っていた。
ハンターというよりも、国を守る騎士団に所属しているかのような、オーソドックスな鎧装備を纏っているその人物。黒髪で、普通の髪型に、普通な面持ちに、特筆して目立つような風貌ではなく、身長も高めではあるけれど図体のでかいノアールと比べればそれよりは低く、自分と同じくらいの年齢だろう本当に普通な男。
唯一気になったのは、黒い瞳のその目が死んだ魚のような、光が全くない、どこを見ているのか分からないような目をしていることくらいである。
声をかけてきた人物のことをそこまで認識してから、マイは「ええっと……?」と首を傾げた。
「すまないが、どなただろうか……? 初めましてかと思うが……」
そう言って、マイは恐る恐る相手の顔色を窺った。首を傾げるのも無理はない、マイがこの村で過ごして早一年近くが経とうとしているが、その間、マイはアルガたち以外の人とは狩りに行ったことがなかった。そのため、マイがちゃんと顔と名前を認識しているのはパーティメンバーである彼らと、村長ら、バリーらくらいなものだった。
人が入り乱れるギルドで色々な人とすれ違うことは当然あり、ギルド内で「よく見かけるな」と思う顔はいくつかあるが、そのどれとも該当しないうえ、該当したとしても名前まで分かる人物はマイの中に一人も居ないため、マイにはそう言うしかなかった。
男は、そんなマイの言葉に対して何の表情も浮かべることなく、ただじっとマイのことを見つめてくる。その視線にマイは若干たじろぎ、更に男の視線から何故か品定めでもされているような気配を感じたため、「え……」と思わず声を漏らした時だった。
「――あっ! マイちゃんだ〜っ! こんなところで何してるの~!?」
元気のいい声と共に自分に駆け寄って来る足音が聞こえ、マイははっとしてそちらに顔を向ける。
「ロクっ」
「マイちゃんもお買い物? あたしも一緒に――……」
にこにこと笑いながら近づいてきた私服姿のロクに、マイが少しだけほっと息を吐くと、ロクはふと自分に声をかけてきた男を目に入れて、何故かその目を大きく見開いた。ロクの反応に「どういう反応なんだ? それ」と思っていれば、ロクは男を指差したのである。
「――ベンお兄ちゃんっ!?」
「えっ? お兄ちゃん……?」
「………………」
ロクの口から飛び出た「お兄ちゃん」という単語に、またも思わずロクと声を掛けてきた男を交互に見てしまい、マイは再び「えっ?」と疑問の声を上げた。
「えと、その人、ロクの兄妹なのか?」
「えっ? ううん」
「いや、兄妹ではない」
自分に声をかけて来て以降、男が初めて声を発したかと思えば自分の質問に対する「否定」であり、マイは更に「えっ?」と声を上げる。
「んっ? でも今“ベンお兄ちゃん”って……」
「うん、あたしがそう呼んでるの~」
「ああ。血は繋がっていない」
「えと、知り合い……なんだよな? どういう関係……」
「うん! 変な人じゃないよっ。ベンお兄ちゃんは~うーん、あたしのお兄ちゃん的な存在の人だよ!」
満面の笑みでそう言われたロクの言葉は、「いや、まあ、お兄ちゃんって呼んでるんだからそうだろな……?」とは思うものの、それ以上何も分からない言葉でもあり、マイは頷きづらくも「そ、そうか……」とぼんやりとした言葉を返すことしかできなかった。
すると、「男」改めロク曰く「ベンお兄ちゃん」はマイに向かって一歩踏み出し、軽く頭を下げてきた。
「突然声を掛けてすまない。俺の名前はベンという。気軽にベンと呼んでくれ」
「は、はあ……わたしはマイだ。こちらも呼び捨てで構わないよ」
無表情のまま握手を求められ、マイがベンから差し出されていた手を取り、握手をすればその手を離さないうちにマイの横にいたロクはマイの腕を引っ張り、ぎゅっとマイの腕に抱き着く。そして、何故かギッと強い視線でベンのことを不満気に睨んだ。
「ところで、な〜あんでベンお兄ちゃんがここに居るのっ! あたしに断りもなく勝手にマイちゃんに声掛けて!」
ロクの言葉に「何がそんなに不満だったんだろう」とマイが静かに思っていれば、ベンはやはり表情を変えることなくやれやれと息を吐く。
「お前から彼女の話を聞いていただろう。お前の言う人物像と合致した人が居たから声を掛けてみただけだ。そもそも、俺の行動を全てお前に報告する必要はない」
「それは、そーだけど」
「一応お前の兄のような存在であるからな、お前とパーティを組んだのがどんな人物か気にしたっていいだろう」
訥々とベンから言われるそれに大した反論はできないらしく、ロクはただ「う゛~~……」と唸った。ただ、そんな言葉に自分に対して品定めをするような目を向けられたことに、マイは一人納得した。
「――それから、俺がここにいるのは調査が済んだからだ。その報告に戻っている」
ベンの口から出たそれに対して、ロクの動きが一瞬止まったように感じ、マイはつい横から「調査……?」とベンの言葉を繰り返した。するとベンはマイに目を向け、「ああ」と頷く。
「俺もお前たちと同じく一応ハンターをやっている。ただ、お前たちとは違い、俺はソロでしか活動していないがな」
「ああ、じゃあ調査っていうのはギルドの? 任務帰りだったのか……お疲れ様だ」
苦笑しつつ労いの言葉をマイが掛ければ、何故かベンは一瞬眉を顰めてからロクに目を向けた。
「――ロク、俺は訓練所で太刀の練習をしてくる。後で話があるから、家にいるんだぞ」
「え〜……」
「お前の両親に話を通しても俺は構わないが」
「はーいはい、分かったよっ。居ればいーんでしょ! 居ればっ」
べっ、と舌を出して威嚇をするロクに特に構わず、ベンはマイと目を合わせ、また軽く頭を下げてくる。
「突然呼び止めてしまい、すまなかった。また会うこともあるだろう……では、これで」
「あ、ああ……」
マイの返事を聴くと、ベンはくるりと踵を返してそのまま訓練所の方向へと歩いて行ってしまった。それをある程度視線で見送ってから、マイは自分の腕にしがみついたままのロクに目を落とす。
そうして、目に入れたロクの様子にマイはぎくりとした。天真爛漫で、ころころと表情を変えるロクが、一瞬氷のように冷たくまるで無機物のような表情をしていたように見えたから。
「ロ、ロク……?」
恐る恐る声を掛ければ、ロクは自分を見上げ、にこっと笑い「なあに? マイちゃんっ」と言ってきた。いつも通りの元気いっぱいのロクの笑顔に、マイは先ほどのは見間違いかなと思い、息を吐く。
「えーっと、一緒に買い物するか? さっきそう言いかけただろう」
「うんっ! ……て、言いたいところだったけど、ベンお兄ちゃんのせいであたし別の用事思い出しちゃったから行けないや~」
「ああ、そうなのか」
「うん〜……また今度一緒にお買い物しよーねっ! じゃ、マイちゃんまたね~!」
言うとロクは元気よく手を振り、ベンが消えて行った方向とは別の方向へと駆けて行った。そんなロクのことを見えなくなるまで視線で送ってから、マイは踵を返して自分の買い物に戻ったのだった。
*
マイから自分が見えなくなるだろう場所で、ロクがとある建物の角を曲がればそこには待ち構えるようにベンの姿があった。そして、そこにベンが居るだろうことが分かっていたらしいロクは、別の方向へと歩いて行ったはずのベンの姿がそこにあったことに特に驚く様子もなく、代わりに不機嫌そうにベンのことを睨みつける。
「――どうしてあたしの許可なしに、勝手にマイちゃんに接触したの」
「……それは言われなくとも、お前が一番分かっているだろう。俺はお前の話だけを鵜呑みにして、判断はできない――これでも、お前の護衛だからな」
「調査の結果……悪かったんでしょう。マイちゃんが、あたしの仲間には相応しくないって」
「ああ、そうだ。結果だけを言えば、お前の言う通り彼女は――調べた限りでは危険な存在だった。俺としては、彼女をお前の仲間とすることは認められない」
言われたそれに一度ぎゅうっと顔を顰めると、ロクはベンの横を通り過ぎてふと笑った。
「それでも――ベンお兄ちゃんは、あたしに命令されたら頷くしかないもんね?」
「………………」
「あたしは、あたしが自分の目で見たマイちゃんのことを信じるって決めたの」
「……だが、それは」
「報告は聞くよ、あたしの義務だから。場所を変えよう」
自分の言葉を遮ってそう言ったロクが歩き出したのに、ベンは同じく歩き出しついて行く。
「アルガは、」
「必要ない。マイちゃんについては、あたしだけが聞くからベンお兄ちゃんは他の誰にもそれを言っちゃダメだよ」
「……それは、命令か?」
「そう、命令。だから、絶対に言っちゃダメだからね」
言われたそれにベンは淡々と「了解した」と頷いたのだった。
*
「あら、マイちゃんじゃない」
また掛けられた声に、マイが顔を上げればそこにはアルガの姿があった。姿を見つけてマイが「アルガ」と声に出せば、アルガはマイの近くまで歩み寄りにこりと笑う。
「うん、休息日にお買い物してるなら感心だわ。勝手に狩りに行ってないなら良しとしましょう」
「あ、あはは……」
「マイちゃんも明日からの狩りに向けてのアイテム調達?」
「ああ、そうだ。にしても、今日はよく人に会う日だなあ」
アルガの言葉に苦笑しつつマイがそう言うと、アルガはふと首を傾げた。
「よくって、私以外に誰かの会ったの?」
「ん、ああ、少し前にロクに会って……そうそう、ロクの兄みたいな存在だっていう、ベンという男に声を掛けられたよ」
聞かれたことにマイがさらりと答えれば、何故かアルガは「えっ」と目を大きく見開いたのだった。それに首を傾げていれば、見開かれた目はすうっと細くなり、アルガは怪訝な表情を浮かべる。
「ベンに……会ったの?」
「え? ああ、うん」
「ベンは、ロクちゃんと一緒に居たの?」
「いや、わたしがベンから声を掛けられて……そこにたまたまロクが来たんだ」
「ベンから声を掛けられたの?」
一体何を確認されているのだろうと思いつつ、マイが「ああ」と頷けばアルガは何かを考えるように唇に手を当てて、しばらく黙り込んだ。そんな反応をされる理由が分からず、マイが首を傾げていればアルガはふと息を吐いてから、静かに「そう」とだけ呟く。
「……? あ、そういえばアルガもベンと知り合いなんだな」
「ええ。知り合いというか、ベンはロクの保護者だから。わたしがパーティ組んだのロクとが一番早いんだけど、たまたま出会ったとかじゃなくて、ベンから頼まれたのよ、ロクとパーティを組んでくれって」
「ふうん……ベンとはパーティ組まなかったんだな」
「あいつはソロ主義者だから。パーティ狩り嫌いな性質ね。たまに居るのよ、そういう人も」
「へえ~……」
答えれば、アルガはにこりとマイに笑いかけて、「うふふっ」と笑った。
「――そういえば、買い物は順調? 今度行く沼地はマイちゃんまだ行った回数少ないでしょう。何が必要か分かってないんじゃないかしら」
「あ~……まあ、そう、だな……お陰でもうお昼になってしまいそうだし」
「じゃ、一緒にお昼食べて買い物も一緒にしてあげましょう。狩りに行くモンスターの特徴とかもついでに教えてあげるわ」
「本当か? それは助かる」
実際、困っていたマイはアルガからの申し出にほっと息を吐き、「行きましょ」と踵を返したアルガについて行くのだった。
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