虹子は魔女になる
日曜日の朝である。
洗濯もそうじもすませた。
昼ごはんは、野菜たっぷりラーメンにしよう。
冷蔵庫には、2日前から「札幌の名店の味」と書かれた
昨日の夜、100円ショップで買った
ひとり暮らしには大きすぎるようなシチュー鍋も買ってきた。
「魔女の
と言いながら、
ヘアバンドをして、前髪を落とさないようにする。
ミッフィーの青い
あったかいし、袖までガードしてくれて、べんり。
音楽サブスクの中から、作業用のBGMをチョイスする。
洋楽が良いな。
邦楽だと、聞き入ってしまう。
スマートフォンの再生ボタンを押した。
ビリー・アイリッシュの幻想的な歌声が聞こえてくる。
「タラ・ラッタッタ、タラ・ラッタッタ」
と、虹子は、おもむろに、『3分クッキング』のテーマ曲を口ずさみはじめた。
……BGMの意味とは。
はっさくの皮のむき方は、すでに予習ずみ。
虹子は、自信満々に、包丁を使って上下をおとし、皮に切れ目を入れていく。
すべてにおいて、流れ作業。
切りおとし。切れ目。切りおとし。切れ目。切りおとし……。
皮をむきとる。皮をむきとる。むきとる。むきとる。むきとる……。
「はっさくは〜、レモン色〜♪」
はっさくのアイデンティティを傷つけるようなことばを、妙な
キッチンは、すっかり、はっさくの香りと虹子の歌に支配されている。
1時間後。
皮の入った鍋。
実の入った大皿が完成した。
「手まで酸っぱい感じだよ」
いったん手を洗い、軽く息をつく。
「ふっ、しかたがない。正直に言おう。――飽きてきた」
虹子はがくりとうなだれた。
「いやもう、これ、完成で良くない? はっさく、
無意識に声に出してから、そのことばに、虹子はどきっとした。
数ヶ月前にさよならした「彼」は、ジャムやコンポートがあまり好きではなかった。
「果物はさぁ、刺身がいちばんだよな」
そういって、果物はなんでもそのまま食べた。
果物だけではなかった。
サラダも、ドレッシングをかけずに、そのままもしゃもしゃ食べていた。
虹子はそのようすをみて、「今日の葉っぱのお味はいかが? 日曜日のはらぺこあおむしくん」と、からかったものだ。
彼といっしょにいた日々より、離れてからの日々のほうが、まだだんぜん短い。
だから、虹子は、きれいで、明るくて、うれしくて、やさしい、甘い記憶を、いつもはカチカチに凍らせて、心のすみに置いている。
不意に思い出してしまっても、傷つかないように。
それがもはや戻ってはこない現実に、立ちすくまないように。
冷たく固めたままの思い出の行き場を、虹子はまだ見つけられないでいる。
虹子は、銀色のフォークを出してきた。むき終わったはっさくをざくりと刺して、2房もぐもぐ食べた。
酸っぱ甘い。
大鍋と、ガラス瓶と、きび砂糖と、レモン果汁のボトルが、虹子の前で、
「早くしてくれない?」
と、ソワソワしている。はずだ。
虹子は
「毎日、大人数の食事作る人エラ~イ。給食センターのひとぉ、食堂のひとぉ、それから、居酒屋のひと。――うん、エライ、エライ」
虹子は、昨日100円ショップで買ってきた瓶の中から、いちばん大きなものを取り上げ、目の高さに上げてじーっと見た。
100円ショップなのに、こちらの品は、なんと、300円。
「けっこう、入りそうですなぁ」
はっさく何個分だろう。初めてのことだから、予想がつかない。
「やってみないとわからない〜。やれば、やるとき、やれ、やろう。やればできる子、
高橋虹子は、マーマレードの魔女にもどった。
細切りにしたはっさくの皮は、2回、ゆでる。
レシピには「ゆでこぼす」と書いてあって、その表現が、なんだかステキだと虹子は思った。
ゆでた細切りの皮と、薄皮と種をとりのぞいた実を鍋に入れ、砂糖とレモン果汁を加える。
種と、こそげ取った皮の内側の白い部分はガーゼのハンカチに包んで、これも鍋に投入。このカスのような部分には、ペクチンが含まれているのだそうな。
(ペクチン、パクチー……、はっ)
「このバカちんが〜」
金八先生。
かけらも似ていない。
高八先生、自爆。
恥ずかしくなって、黙る。
大鍋で煮るのだ。
こげないように、ゆっくり、じっくり、コトコトと。
ぷくぷくと白い泡が立つ。
焦げつかないよう、つきっきりで、鍋のお世話。
くつくつくつくつ……。
ねばり強く、かきまぜましょう。
「――て、けっこうな力仕事ではないですかな!?」
優雅な魔女をめざしたはずが、ゴリゴリの肉体労働者の
「完成したときには、魔女でなくて、マッチョになってるよ」
うまいことを言ったぜ、と思ったが、聞いてくれるひとがいなくて、虹子は、しょんぼりする。
「……いつかどこかで使おう」
気を取り直す。
いつ、どこで使うつもりなのか。
やがて、鍋の中が、
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【脚注①】音楽サブスク
月額・年額などの定額料金を支払うことで、提供されている音楽を聴き放題で楽しめる「サブスクリプション」の略称
【脚注②】日曜日のはらぺこあおむしくん
絵本『はらぺこあおむし』(エリック・カール作)の主人公
月曜日から土曜日まで暴食し、日曜日には、葉っぱを食べる
【脚注③】金八先生
テレビドラマ『3年B組金八先生』の主人公
「ば かちん が」という言葉は、金八先生が使う有名な決めゼリフで、生徒を叱責する際に使われる
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