第32話 罪と赦しの狭間で

初めての完全勝利に酔いしれていた。その高揚感は不思議と恐怖を忘れさせた。怒声、暴力、裏社会、奴を取り巻く恐怖に身動きが取れなかった自分がバカらしく思えた。


俺は高揚感に押され、同期のリーダーである横田のところへ向かった。

横田「田中、びしょ濡れじゃん。どうした?」

「関水にやられた。」

俺が関水の事を呼び捨てした事に横田は驚いていた。


横田を真っ直ぐと見つめる。

「話がある。聞いて欲しい。」

横田は俺の眼差しから本気である事を察したのか、顔から笑みが消え、真剣な顔つきに変わった。

横田「...わかった。」


俺は全てを話した。竹田さんが危ないことも。

横田「わかった。だけど、今日はもう夜だ。明日、大木先生のところへ行くぞ。」

横田「今日は泊まっていけ。」


翌朝。-チュンチュン。

外からは小鳥たちの声が聞こえる。空はどんよりとした雲がかかっていた。

--終わらせてやる。この地獄を。


俺は横田と共に大木先生のところへ来ていた。

俺は言葉に詰まりながら今までの事を話した。


大木「......わかった。すまんが直ぐに全てを信じられない。一度、関水とも事実確認を取らせてくれ」

大木「この話が本当なら、田中と竹田さんに関水が近づくと危険だ。しばらくは横田、津田が近くにいるようにしてくれ」


「......すみません。ありがとうございます。」

胸のつかえが少しだけ取れた気がした。

--何でもっと早く動かなかったのだろうか。


俺と竹田さんの"隔離"が一週間ほど続いた。

そして大木先生により、みんなが呼び出された。


大木「...俺は正直、関水を許す事はできない。」

その声は震えている。そして先生の目には光るものが見えた。


大木「関水とは4年近く共に柔道をしてきた。柔道の教えはみんなも知ってると思う。"自他共栄"だ。奴の行動は柔道精神を否定している。...正直、裏切られたと思っている。」


重く静まり返った道場で、先生の声だけが響いていた。


大木「あいつはやった事を認めた。田中を殺しかけた事も。竹田さんに対するストーキング行為も。」


大木「許す事はできない。俺は関水を破門にする。みんなにはそれで問題ないか、意見を聞かせて欲しい。」

大木「すまんが田中、竹田さん来てくれるか。二人にだけ話したい事がある。みんなは話し合いをしていてくれ。」


俺と竹田さんは大木先生に連れられ、個室に入った。


大木「...まずは、気付けなくて申し訳ない。」

--俺が隠していたのだから、俺が悪いのに...

すぐにそう言いたかったが言葉が詰まった。


大木「あいつの言い分を聞いて欲しい。正直俺にはただの言い訳にしか聞こえないが。」

大木は重い口を開いた。


大木「関水の家庭は少々複雑なんだ...」

関水の家族構成が語られた。関水の母親と父親は再婚。その父親とは血が繋がっていない。二人の間には実子が生まれ、それが弟だそうだ。そして、父親からはキャバクラの社長をいずれ弟に継がせると言われたそうだ。


大木「あいつは家庭に居場所がないと言っていた」


それを聞いた瞬間、胸が痛んだ。

--...そうか。孤独だったのか。

奴の子供じみた行動も、愛を求めている裏返しだったんだ。


大木「あいつは田中に対して、恨みがあると言っていた。田中の代の新歓の時に、田中に"犯罪者の親族の事をどう思うか?"と聞いたそうだ。」

大木「...覚えあるか?」


「......正直、全く覚えてません。」


大木「...そうか。関水はその時、田中からこう言われたと言っていた。"犯罪者の血筋は怖いので近寄らない"と。」

--それが何の関係があるんだ?


大木「あいつの血の繋がった父親は、今、刑務所にいる。だからあいつ自身を否定されたと受け取ったらしい。」

--...そうだったのか。だけど、俺がそんな発言をしていたとして、奴の行動は俺の発言を肯定する事になるんじゃないか?あいつは矛盾している事を分かっているのか?


大木「ここからは俺の願望で申し訳ない。...本来なら、あいつのした事は部活除籍だけでは許されない。警察に行き、罪を償い、大学も退学になるだろう。」

先生は言葉を探すように沈黙した。そして、しばらくの間が空き、再び重い口を開いた。


大木「...部活除籍、"田中と竹田さんには近づかない"と念書に残す。破れば警察に行く。この条件で...どうだろうか?」

先生の声は震えていた。


大木「あいつと4年間過ごしてきた。...だからどうしても情が出てしまう。もちろん、二人が警察に言うべきだと言えば、俺に止める権利はない。」

先生の目は赤く潤み、その姿は痛々しかった。

俺はつられて胸の奥が熱くなるのを感じた。


--罪を償うべきだ。そうしないと次の被害者がでるかもしれない。わかっている。だけど、関水の人生が崩壊していく様子を見届ける勇気がない。手が震え、呼吸が荒くなる。頭の中はぐちゃぐちゃで、何も考えられなかった。


葛藤の最中、竹田さんが口を開いた。

竹田「私はもう二度と関水先輩の顔を見たくありません。...ただ、警察については田中先輩の判断に任せます。」


竹田「先輩が判断すべき事です。」

竹田さんは真っ直ぐ俺の目を見て言った。その目には揺らぎがなかった。


--俺が決断しなければ。


長い沈黙が続く。

--正しい事はわかっている。でも、俺がそんな事いえる立場なのか?いや、それは言い訳だ。本音はただ怖いだけ。あいつの人生を終わらせる責任を負いたくない。それだけだ。


長い沈黙の後、俺は口を開いた。


「...念書でお願いします。」


結局、奴を罰する事ができなかった。この判断は奴自身の為にもならないし、次の被害者を産む可能性もある...そんな事はわかってる。ただ、責任から逃げただけだ。俺は本当に弱く、卑怯で、間違った人間だ...


だけど、俺は少し変われた気がした。

この迷宮から抜け出す事ができたのだから...

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