寂しがりな学級委員

第4話 初訪問の日

 扉の前、わたしは茶封筒を抱えて速い鼓動を抑えようと何度も深呼吸を繰り返していた。


 わたし、横道優愛はどうやら人から真面目な人間だと思われているらしい。

 クラスの友人からはよく優等生だと笑われているし、小学生の頃から学級委員に選ばれることが多かった。それも、自薦じゃない、他薦だ。押し付けというよりは期待からのもの、だと信じてる。だから、なんとなく断れない。


 多分、原因は文武両道とか言われるところにあるんじゃないかと思う。


 テストの成績にしたって、一応上から数えた方が早いくらいにはできて、運動も別に嫌いじゃない。提出物だって風邪でも引いていなければ出すし、授業中わかる問題なら手を挙げる。

 早熟というか発育がいいというか、そんな表現をされることもあったと思う。


 とにかくわたしは、自分が思っている以上に何故か他者から評価されている気がする。


 わたしとしてはできることをただやっているだけなのだけど、それが真面目と言われてなんだか少し寂しい。

 簡単に箱詰めされているようで、そういうものでしょ、とレッテルを貼られている気がしてしまう。


 それでも、真面目でいることに悪い気はしないから、中2の春も学級委員と呼ばれることを受け入れた。

 そして今、こうして人の家にやってきているのだ。休みの子にプリントを届けるために。


 プリントを届けるというのはこれまでも小学生の頃から度々あったイベントだ。


 さすがに正反対の方向へまで行かせられることはなかったけれど、家の近い子に対しては学級委員だから、とわたしが任されることが多かった。まあ、家の近さに学級委員と条件が揃えばわたしが行くのもわかる。


 ただ、今回ばかりは少し二の足を踏んでしまう。

 嫌というんじゃない。休んでいる子の顔を見られるのは好きだ。

 けれど、どうしてピンポンを押すだけのことができないのか。それは、今日この家にいるはずの尾曽おそさんが不登校だからだ。不登校という表現が正しいかわからないけれど、なんでも、半年くらい学校に来ていないらしい。


 そんな子がわたしたちの学年にいるということはうわさ程度に聞いていた。

 今年クラス替えがあって、空いている席があるな、とも思っていた。


 ただ、実際に来ていない子が同じクラスなのだと知った時わたしは純粋に驚いた。なんとなく、自分とは関係ない世界のことだと思っていたから。


 だから、紙とインターホンを見比べて、少し迷う。


 迷惑じゃないか。


 ここまで来て踏ん切りがつかない。

 日はまだ明るくって時計もないからどれだけこうしているのかもわからないけれど、胸騒ぎがして落ち着かない。


 どうしよう、と思ったところに、通りを歩く人の足音が耳に入ってきて、わたしは慌ててボタンを押していた。


 なんで? お、押しちゃった。どうしよう。


 通り過ぎるおばあさんに、こんにちは、とぎこちない笑顔で挨拶する。

 待っている間は、先ほどよりも大きく心臓が騒いでいて、自分を責め立てているような気さえした。


 深く事情は聞いていない。

 体調不良だとも、不良だとも聞いたことがある。

 もし、金髪でタバコを吸ってる子だったらどうしようと不安になってくる。


 悪の道に手を染めているのであれば、もっと大ごとになっているだろうから違うのだろうけど、不安と緊張は妄想を加速させる。


 無限にも感じられる時間が経過しても家の中から人が出てくる気配はない。

 どこか、出かけているのかなとほっとした。

 なら、病気がちという方かもしれない。きっと、家族で病院に行っているんだろう。


 少し許されたような気がして、安心感からプリントはポストへ入れて帰ろうと、自分でも驚くくらいのスピードで考えたところでゆっくりと玄関の扉が開かれた。


 まるで、ファンタジーの世界から出てきたかのような青白い顔に、ゆったりとしたグレーのパジャマを着た女の子。肩より少し短いくらいに髪を伸ばし、姿勢のせいかクラスの子たちより幾分小柄に見えて、なんだか守りたい感じがした。表情は緊張しているのか硬い。きっと、わたしと同じ。それで、どこか小動物、リスを思わせた。


 尾曽さんを目の前にして、先ほど出てこなかったことに安堵していた自分にほとほと嫌気がさしてくる。

 こんな子を悪役扱いしていたなんて。


「こ、これ、プリント」


 差し出した茶封筒に視線がいくのを見ながら、自分が動揺でテンパっているのを少し遠くから眺めているような感覚がした。

 普段ならそんなことないのに今は段取りがまるでなってない。

 そのせいで、尾曽さんはわたしと封筒を交互に見比べて、全体的にゆっくりとした動きで目が丸くなった。


「みんなポストに入れてくのに」


 少し掠れた声がした。


「他の人はそうなのかな? でもそれじゃ顔が見られないじゃん」


「……ん」


 尾曽さんは短い髪をつまむようにして顔を隠した。表情はよく見えない。

 怒らせちゃったかな、と思っていると、ひったくるように茶封筒は受け取ってくれた。

 やっぱり、手強いのかもしれない……。


「あの、ありがとう……えっと」


「ん?」


「名前」


「ああっ」


 そこでようやく、自分が名乗っていないことに気づいて、段取りの悪さ極まれりと感じた。体に溜まっていた熱が顔まで上がってくるよう。


「わたしは横道、横道優愛」


「横道さん、ありがとう」


 ほんのりと赤く染まった頬に遠慮がちな笑顔。

 飾りっ気のない表情だけど、初めて見せてくれたその顔は初対面ながら、また見られたらいいな、とかすかに感じた。


「うん。それじゃ。喉乾いちゃったし、またね」


「喉……」


 手を振ってから、いいものが見られたと満足して背を向けると、左手に指が当たった気がした。わたしはすぐに振り返る。

 考える人みたいにあごの下に手を置いている尾曽さんが少し近づいている気がした。


「水くらいは出せるから、飲んでって」


「でも、体調悪いだろうし」


「脱水はよくない」


 切実な、まるで自分のことみたいに、懇願する目を向けられて、やっぱりいい子なんだなと思った。

 人一倍他人のことまで考えられるのは人のよさの表れだ。


 わたしみたいに、なし崩し的に人と接しているのとは違う。


 人生はなんて不平等なんだろう。


「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」


 笑顔で言うと、尾曽さんもまた安心したみたいに微笑んでくれた。

 なんか、好きだな。その顔。

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