第12話 古本屋

一週間後、僕と藍は街の探索に出た。

定期的にやっている作業だ。食料や物資を探す。そして、街の変化を記録する。

その日は、いつもより遠くまで行くことにした。かつての繁華街。五年間、行っていない場所。

僕たちはバックパックを背負って出発した。

繁華街までは、歩いて二時間。

途中、川を渡った。橋はまだ無事だった。川の水は、五年前より綺麗になっている気がする。魚が泳いでいるのが見える。

「魚、増えたね。」藍が言った。

「うん。人間がいなくなって、川が蘇ったんだ。」

「皮肉だね。」

「でも、事実。」

橋を渡りきると、廃墟のビル群が見えてきた。

かつては、ネオンが輝き、人々が行き交い、音楽が流れていた場所。今は静寂だけがある。

「すごい……」

藍が呟いた。

ビルの壁は、蔦と苔に覆われている。窓ガラスは大半が割れている。看板は錆びて、文字が読めなくなっている。

「これが、五年で起きることなんだ。」

「百年後には、完全にジャングルだね。」

僕たちは慎重に歩いた。足元は瓦礫だらけだ。

ある建物の前で、藍が立ち止まった。

「あ、ここ。」

「知ってる場所?」

「うん。よく来てたカフェ。」

カフェの跡地。ガラスは割れ、中は荒れている。でも、カウンターやテーブルの残骸が見える。

「入ってみる?」僕が聞いた。

「うん。」

僕たちは中に入った。

埃と、カビの匂い。でも、かすかにコーヒーの匂いもする。気のせいかもしれないけれど。

藍は、カウンターの前に立った。

「ここに、よく座ってた。いつも同じ席。」

「一人で?」

「うん。本を読んだり、ぼーっとしたり。」

「何を考えてたの?」

「何も考えてなかった。いや、色々考えてたけど、結論は出なかった。」

藍はカウンターに手を置いた。

「人生の意味とか、自分の存在価値とか。そういうこと、考えてた。でも、答えは見つからなくて。」

「今は?」

「今は、考えない。考える必要がないから。」

藍は僕を見た。

「意味は、在ることの中にある。探すものじゃなくて、在るもの。」

その言葉が、静かに響いた。


僕たちはビルの屋上に登った。

階段は崩れかけていたけれど、なんとか上まで辿り着いた。

屋上からは、街全体が見渡せた。

廃墟の海。緑に侵食された都市。そして、遠くに見える山々。

「きれいだ。」

僕は素直にそう思った。

廃墟は美しい。それは不謹慎な考えかもしれない。でも、本当に美しかった。

「人間がいなくなると、世界はこんなにも美しいんだね。」藍が言った。

「人間は、醜いのかな。」

「醜いというか、」藍は言葉を選んだ。「不自然なのかも。自然に逆らって生きようとするから。」

「でも、それが人間の本質じゃない?」

「そうかもしれない。でも、その本質が、自滅を招いた。」

僕たちは屋上の端に座った。足をぶらぶらさせて。

高さは、たぶん十階くらい。落ちたら死ぬ。でも、怖くなかった。

「ねえ。」藍が言った。

「なに?」

「私たちが死んだら、誰が覚えてるかな。」

「希望たちが覚えてる。」

「その子供たちは?」

「覚えてるかもしれないし、忘れるかもしれない。」

「じゃあ、百年後には、誰も覚えてない。」

「そうだね。」

藍は笑った。

「それでいいと思う。忘れられるのが、自然だから。」

風が吹いた。強い風。髪が乱れる。

「でも、」僕は言った。「僕たちが生きた証は、残る。」

「どこに?」

「この日記に。この街に。希望たちの記憶に。」

「それで十分?」

「十分。」

藍は空を見上げた。

雲が流れていく。早い。

「ねえ、雲って、どこに行くんだろう。」

「わからない。でも、消える。」

「消えても、また生まれる。」

「循環してるんだね。」

「全てが循環してる。」

藍の言葉が、風に乗って消えていった。


屋上で、僕たちは昼食を食べた。

持ってきたパンと、水。

質素な食事だけれど、美味しかった。高い場所で食べると、なぜか美味しく感じる。

「昔、」藍が言った。「こういう場所で食事するの、流行ってたよね。」

「ルーフトップ・バー?」

「そう。高い場所で、夜景を見ながら、お酒を飲む。」

「行ったことある?」

「一回だけ。会社の飲み会で。」

「楽しかった?」

「全然。」藍は笑った。「上司の機嫌を取って、同僚と競争意識を隠しながら、笑顔を作って。疲れただけ。」

「今は?」

「今は楽しい。本当に。」

藍はパンをちぎって、空に向かって投げた。

鳥が飛んできて、それを空中でキャッチした。

「すごい!」

もう一つ投げる。また鳥がキャッチする。

「鳥と友達になれそう。」

「希望なら、なれるよ。」

「そうだね。」

僕たちは笑った。

幸せだった。

こんな廃墟の屋上で、質素なパンを食べているのに、幸せだった。

幸福の基準が、完全に変わったのだ。


帰り道、僕たちは古本屋に立ち寄った。

ガラスは割れていたけれど、本は無事だった。

「何か探す?」藍が聞いた。

「漫画。」

「漫画?」

「うん。希望に読ませたい。」

僕たちは漫画のコーナーを漁った。

埃まみれだけれど、状態は悪くない。

「これ、どう?」

藍が手に取ったのは、『よつばと!』だった。

「いいね。」

「これも。」

『鋼の錬金術師』『ワンピース』『DEATH NOTE』。

「これは、まだ早いかも。」僕は『DEATH NOTE』を棚に戻した。

「そうだね。もう少し大きくなってから。」

バックパックに、漫画を詰め込む。重くなったけれど、希望の喜ぶ顔を想像すると、苦にならない。

店を出ると、夕方になりかけていた。

「急ごう。」

「うん。」

僕たちは早歩きで帰路についた。

夕暮れの廃墟は、また違う美しさがあった。

オレンジ色の光が、ビルの壁を照らしている。影が長く伸びている。

「きれい。」

また同じ言葉を言った。でも、飽きない。

美しいものは、何度見ても美しい。

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