第2話 1-2 絶望の相続と覚醒
領主館で最もマシな調度品が揃えられた応接室は、しかし、今や債務者(アレス)を尋問する法廷と化していた。
上座には、当然のように債権者団の三人がふんぞり返っている。
星間商人ギルド「ヴェガ交易」の代理人、バルガス。
銀河中央銀行の辺境融資部門、その代理人を名乗るレグルス。
そして、高利貸しとして辺境宙域で悪名高い「サラマンドラ金融」のトカゲ頭、ギド。
アレスは、その正面の、まるで被告席のような小さな椅子に一人で座らされていた。
許嫁であるシエラは、アレスの斜め後ろに、護衛の者を伴うわけでもなく、ただ不安げな顔で立っている。彼女もまた、この異常な事態の「証人」として、この場にいることを強制されたのだ。
「さて、アレス“男爵閣下”。まずは、お悔やみを」
バルガスが、心にもない言葉を口にしながら、分厚い電子ファイルをテーブルに叩きつけた。
「そして、こちらが先代……あなたのお父上が、我々から借り受けた債務の総額リストでございます」
ホロ・プロジェクターが起動し、応接室の中央に、天文学的な数字が浮かび上がった。
『債務総額:8,500,000,000(85億)帝国クレジット』
「…………は?」
アレスは、自分の目を疑った。
85億。
十歳の少年には、それがどれほどの金額なのか、具体的な実感は湧かない。
だが、それが「とんでもない数字」であることだけは、本能的に理解できた。
このシュテルン星系の、インフラ崩壊寸前の主星(メイン・プラネット)を丸ごと売ったとして、その百分の一にもなれば御の字だろう。
「ご説明いたしましょう」
冷徹な声で、レグルスが引き継いだ。
「先代ヘルムート様は、この星系のインフラ維持、資源惑星の開発、そして……帝国中央政府への上納金のために、多額の融資を受けておられました」
「だが、ご存知の通り、この星系の主産業であった希少金属(レアメタル)鉱床は数年前に枯渇。資源惑星は採掘コストすら賄えない『負の資産』と化しました」
「結果として、借金だけが雪だるま式に膨れ上がった。我々も、先代のお人柄を鑑みて、返済を猶予して差し上げていたのですが……」
レグルスはそこで言葉を区切り、まるで残念だ、とでも言いたげに肩をすくめた。
「お亡くなりになられては、話は別です。我々も商売ですので」
「そ、そんな……」
アレスは絶句した。
父が、そんな莫大な借金を抱えていたなど、露ほども知らなかった。
いや、薄々は気づいていたのかもしれない。日に日にやつれていく父の顔。領主館から一人、また一人と減っていく使用人たち。
だが、これほどとは。
「さあ、どうされますかな、男爵閣下?」
高利貸しのギドが、爬虫類特有の湿った声で舌なめずりをした。
「この額、十歳の坊やに払えるとは到底思えませんがねぇ? シャシャシャ……」
「まさか、隣の星系から来た、その美しい許嫁殿にでも払ってもらうおつもりで?」
下品な視線が、再びシエラに向けられる。
シエラは、恐怖と屈辱に顔を青くし、唇を噛んだ。彼女の実家とて、辺境の弱小貴族だ。こんな天文学的な額、肩代わりできるはずがない。
八方塞がり。
いや、万策尽きた。
十歳の少年が、銀河帝国において男爵位を相続するということは、その領地のすべてと、そして……すべての負債を引き継ぐということ。
逃げる道はない。
(どうしよう……どうすれば……)
父はもういない。助けてくれる者もいない。
目の前には、自分という獲物を貪り食おうとする、卑しい債権者たち。
(誰か……助けて……)
絶望が、冷たい水のようにアレスの心を浸していく。
視界が暗くなり、耳鳴りが始まった。
85億という数字が、頭の中でぐるぐると回り続ける。
ダメだ。考えられない。
もう、何も……。
その瞬間だった。
——キィィィィン!!
鋭い金属音のような耳鳴りと共に、アレスの頭の中に、膨大な「ノイズ」が流れ込んできた。
『はあ? クライアントの無茶振り? 知るか! こっちは納期で死んでんだよ!』
『今月の返済……ヤバい……』
『——艦隊戦シミュレーター『銀河の覇者』、本日より大型アップデート! 新規艦種「超弩級航宙戦艦」実装!』
『ランチェスターの第二法則によれば、戦力比は兵力の二乗に比例する。つまり、局所的な数的優位を作り出せば、少数でも勝てる……!』
『この布陣は……ダメだ! 右翼が薄すぎる! T字戦法に持ち込まれたら一瞬で溶けるぞ!』
『ああ……徹夜明けのコーヒーは五臓六腑に染みる……』
サラリーマンの愚痴。
戦略ゲームの知識。
古今東西の軍事史。
膨大な、膨大な、アレス・フォン・シュテルン(10歳)のものではない記憶。
「ぐっ……ぁ……!?」
アレスは頭を押さえ、椅子から転げ落ちた。
「アレス様!?」
シエラが悲鳴を上げる。
「おっと、どうされましたかな? 坊や。ついに現実が理解できて、おつむがショートしましたかな?」
バルガスが嘲笑する。
だが、アレスは聞いていなかった。
彼の頭の中では、二つの人生が激しく衝突し、そして、一つの人格として再構築されつつあった。
——俺は、アレス・フォン・シュテルン。10歳。シュテルン男爵家の嫡子。
——俺は、「山田 健一」。35歳。日本のしがないサラリーマン。そして……重度の軍事オタクで、戦略ゲーム廃人。
(……死んだのか、俺は。過労死か? それとも、トラックにでも轢かれたか? どちらにせよ、ロクな死に方じゃなさそうだ)
(そして……転生? よりによって、こんなハードモードな世界に?)
洪水のような記憶が、ゆっくりと整理されていく。
サラリーマンとして培った現実感覚と問題解決能力。
軍事オタクとして蓄積した膨大な戦略・戦術知識。
それらが、アレス・フォン・シュテルンという10歳の少年の器に、完全に流れ込んだ。
「……ふぅ」
アレスは、ゆっくりと立ち上がった。
その顔から、先ほどまでの怯えや戸惑いは、完全に消え失せていた。
そこにあるのは、幾多のデスマーチを乗り越え、不可能な納期と無茶な要求を捌き続けてきた、歴戦のサラリーマンの「目」だった。
「……驚かせてしまい、申し訳ありません」
アレスは、服についた埃を払いながら、債権者たちを真っ直ぐに見据えた。
その、10歳の子供とは思えない、冷徹で、全てを見透かすような視線に、バルガスたちは一瞬たじろいだ。
「……ほう? 随分と落ち着きを取り戻されたようで」
「ええ。状況は理解できました」
アレス(中身・山田健一)は、頭の中で高速で計算を行う。
(85億クレジット。シュテルン星系の現状、資産ゼロ。いや、マイナスだ。通常の手段では返済絶対不可能。詰んでる。完全に詰んでる)
(だが……)
前世のサラリーマンとしての経験が告げている。
「詰んでからが、交渉の始まりだ」と。
「さて、皆様」
アレスは、あえてゆっくりと、先代が座っていた領主の席へと歩き、その大きな椅子に腰を下ろした。
「債務の相続については、法に則り、私が引き受けましょう」
「ほう?」
「ただし、だ。皆様もご存知の通り、この星系に、返済原資となるような資産は、もはや存在しません」
「……何が言いたい?」
レグルスが、怪訝な顔でアレスを睨む。
「資産の差し押さえは、ご自由にどうぞ。ですが、それであなた方の債権が満額回収できるとお思いですか?」
アレスの言葉に、三人の顔色が変わった。
その通りなのだ。
資源惑星も、採掘宙域も、今やただの岩塊と宇宙ゴミだ。権利書を差し押さえたところで、買い手などつくはずがない。
彼らが今日、葬儀の日に乗り込んできた本当の理由は、万が一にも「隠し資産」がないかを探るため、そして、この十歳の子供を脅しつけ、隣の星系の許嫁(シエラ)の実家に借金を肩代わりさせることだった。
だが、アレスはその狙いを完全に見抜いていた。
「……よろしいでしょう」
レグルスが、不愉快そうに言い放った。
「我々も、鬼ではありません。返済の意志がおありなら、まずは誠意を見せていただきましょう」
彼はリストを操作する。
「シュテルン星系内の、第2資源惑星、第3資源惑星の採掘権。および、第7宙域の独占航行権。これらは借金のカタとして、本日付けで我々債権者団が管理下に置きます。よろしいですな?」
「……どうぞご自由に」
アレスは平然と答えた。
(どうせ、ただの赤字資産だ。むしろ、維持管理コストが浮く)
「結構。では、アレス男爵閣下に残されるのは……」
レグルスはリストの最後に目を落とし、嘲笑うかのように読み上げた。
「このインフラ崩壊寸前の主星(メイン・プラネット)と……ああ、これがありましたな」
「先代の『御座艦』。旧式コルベット艦『アルゴス』。一隻」
「……!」
アレスの眉が、ピクリと動いた。
「シャシャシャ! あのオンボロ船ですかい! あれは博物館に飾るならともかく、今どきスクラップにもなりゃしませんぜ!」
ギドが腹を抱えて笑う。
「まあ、価値のない『動産』ですがね。一応、形見として残しておいて差し上げましょう。我々も慈善家ですので」
バルガスが、恩着せがましく言った。
彼らは、本当に価値がないと思っていた。
帝国が広まる遥か以前、旧文明時代の遺物。あまりにも旧式すぎて、現代の兵器規格とは一切の互換性がない。エネルギー効率も最悪。まさに「宇宙の粗大ゴミ」。
それが、債権者団の共通認識だった。
(アルゴス……)
アレスの脳裏に、父に連れられて一度だけ乗った、あの古臭い艦(ふね)の記憶が蘇る。
(残ったか……)
「結構です。それで、すべてですかな?」
「ええ。そして、残りの債務については……」
「返済します」
アレスは、きっぱりと言い切った。
「……なに?」
三人の債権者が、同時に声を上げた。
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