第7話:青年、一時の幕引きに安堵せる事。

 メガネの野郎が、満面の笑みをたたえて高笑いしている。


『さぁ、依代よりしろくん。君の最後の役目はくたばることだ。存分に死ぬがいい。ハハハハハ!!』


 その横で、猩々しょうじょうが情けないツラをして突っ立っている。


『すいやせぇ〜ん、兄さん。荒神こうじんはあっしの手に負えるもんじゃありやせんでした〜』


 そんな馬鹿な。あんたは俺のこと子供扱いして、大勢の敵にも負けなかったはずじゃなかったのか。さすがに呆然とするしか出来ずにいると、猩々しょうじょうの脇の暗闇から、顔を隠した誘拐犯のモブどもが、虫のように湧いて出てきた。


 十人のモブどもはキィキィとカミキリムシのような鳴き声を上げて、棒立ちする俺へ群がっている。何がどうなっているか訳も分からず、俺はモブどもを押しのけようと腕を持ち上げて……。


「いってぇぇぇぇぇぇええええええええ!!!!!!!!」


 思わず声が出るほどの激痛で、目を覚ました。


「お? 起きましたかい、兄さん」


 声のする方を向こうとはしたものの、首を五ミリ動かしただけで全身に痛みが響く。体に存在する骨ぜんぶにギザギザの刃が着いて、動かす度に肉を刻んでいるような鋭利な痛みだった。


「痛い…」


 音すら痛みに化けそうで、か細い声しか出すことが出来ない。とりわけ腹に出来た火傷は、今でも火を当てられているかのようにジュクジュクといたんでいる。


「応急処置の道具もねぇもんだから、もうちょい待ってくだせぇ。あと一時間ぱかし走れば病院まで着きますんでね」


 言われて俺は、ようやく自分が車の後部座席に寝かされていることに気がついた。窓のスモークの具合や、エンジン音に聞き覚えがある。これは、俺を誘拐した時に乗ってきたバンだろう。運転しているのはもちろん猩々しょうじょうだった。


「……メガネは?」


 なるべく口を動かさずに済むよう、最低限の単語を選んで会話する。


「あの連中なら廃墟にほっぽっておきやしたぜ。もう兄さんを狙ってくるようなこたぁしないんじゃないっすかねぇ」


「そっか……」


「そのついでと言っちゃ何ですが、あの野郎を叩き起こして今回の騒動を起こした理由、聞き出したんすよ。兄さんもその辺は知りてぇとこなんじゃねぇっすか?」


「うん。聞きたい……」


 風邪をひいた時の子供のようになって、俺は弱々しく耳を傾けた。


「今回の件は、どうも一種の自爆テロみてぇなもんだったみてぇすねぇ」


 自爆テロ。そんな恐ろしい語彙ごいが俺の日常に関わってくるなんて、いくら呪われた身の上でも思いもしなかった。


荒神こうじんてのは、そもそもどんな神様を指すか知ってやすか?」


「知らん……」


荒神こうじんてのは文字通りの荒ぶる神、地震や火山噴火に象徴される天災の神、火の神またはそれから転じてかまどの神でもあり、台所の守護神でもある。まぁこの辺が基礎知識ってとこっすかね」


「うん……それで?」


「奴ら、最初から荒神降こうじんおろしの儀式を成功させる気なんてなかったんですってよ」


「……は?」


 わざわざ失敗させるために俺を選んで、あんな酷い拷問にかけたっていうんだろうか。だとしたらそんな理不尽な話はない。


「奴らの目的は、荒神こうじんマガヒコノオオカミを怒らせた時に下る、神罰だったんすよ」


「……どゆこと?」


「マガヒコノオオカミがどの程度の神格かは知れなかったが、少なくともあの場ですぐに地震を起こし、あっしら全員を殺すくらいのことは出来たでしょうよ」


「うん」


「それが拡大してれば、下手すりゃ被害は関東一円にまで及んだ。大規模な地震と火山噴火ってぇ形でね」


「火山、噴火……」


「兄さん、目隠しされてたから自分がどこまで連れて来られたか知らねぇっしょ?」


「え……うん」


「静岡っすよ。ここは静岡県、日本最大の活火山のお膝元っす」


「静岡……富士山!」


「そう。奴らの本当の目的は、富士山を噴火させて日本に大損害を与えることだった」


 冗談にしか聞こえなかったが、フロントミラーに写る猩々しょうじょうの顔は至極真剣だった。


「地震と噴火のコンボで、関東全域に甚大な被害を与える。それと同時に別働隊が動いて、関東にある重要な施設を軒並み占拠し、日本を乗っ取るって手筈だったみてぇすよ」


「そんな……でもそれ、自分たちも死ぬんじゃ……」


「だから言ったじゃねえすか、だって。アイツら端っから生きて帰るつもりなんてなかったんす。実際あそこで依代よりしろの兄さんが死んでたら、荒神こうじんの怒りは収まらずに、奴らもろとも日本は大惨事になってたでしょうねぇ」


 それが本当だとしたら、なんておぞましい計画を立てる奴らなのだろう。そしてそれを可能にするマガヒコノオオカミという神は、一体何者なのだろう。


「だいたい、最初からおかしいと思ってたんすよねぇ! アイツら神サンを降ろすってのに、兄さんにみそぎも四つ足断ちもさせてねぇ。それで成功すると思うのがおかしいってもんだ!」


 また俺の知らない単語が出てきた。喋るのもダルいので目線で説明を求めると、猩々しょうじょうはそれに気付いてイキイキと語り出した。


「世の中に宗教ってのは山ほどありやすが、どんな宗教にもだいたい共通してるのは、『神サンに会う時は身を清める』ってことなんすよ」


 それはなんとなく理解できる気がする。汚れた体で自分の信じる神様に会おうとするのは、あまりないことに思えるからだ。


「ま、清めの概念は文化によって違いやすが、日本で言うなら綺麗な水で毎日体洗って、最低でも十日くれぇ前からは肉食を断つのが基本っす。それがみそぎと四つ足断ちっすね。そのどっちも、奴らはわざと兄さんにさせてなかった」


 そう言われると、確かに奴らから出された食事は肉に偏っていた気がする。ペペロンチーノにはベーコンが使われていたし、ソーセージパンと豚骨ラーメンは言わずもがなだ。それに俺は監禁されてた三日間、風呂はおろか冷たい水すら浴びていない。おかげで清めとはかけ離れた存在だったろう。


「だから『そんなんで儀式出来るはずがねぇ』って文句言ってやったんすが、成功させる気がないならそれも当然すよねぇ」


 なるほど。俺の知らないところで、こいつも色々動いていたってことか。


「ついでに、奴らがなんで兄さんをさらって、依代よりしろにしたのかも白状しやしたぜ」


「え?」


「奴ら、荒神こうじんのついでに兄さんに取り憑いた神々も怒らせて、天罰を下させるつもりだったみたいで。マガヒコノオオカミの格が思ったより低かった時の保険だったみてぇっすよ」


 なるほど……いや、待て。そうなると俺の存在は、あのメガネのような輩にまで知れ渡っているってことなのか? だとしたらちょっとどころではなく不味いことになってるのでは。


 それに俺に取り憑いた神どもは、メガネの思うようなチョロい神なんかじゃない。俺に起こる危機を喜んで見届けて、回避させる気もないようなムカつく奴らなのである。俺が死んだところで、怒るどころか両手を上げてバンザイしていてもおかしくない。


「なんせ兄さんには、滅茶苦茶な数の神サンが取り憑いてやすからねぇ! 今後あの手の連中には事欠かねぇんじゃねぇすか?」


 嫌な台詞を吐いて、猩々しょうじょうはケタケタと笑っていた。ムカつく話だが、こいつがいなかったら今こうして俺が生きてはいなかっただろうことも、事実ではある。


「それで……」


「ん?」


「アンタは、俺の味方なのか……?」


 結局のところ、こいつが何者であるかまではまだ知れていない。胡散臭い男ではあるが、悔しいことに実力があるのは認めざるを得ない。もし味方だと言うなら、それはそれで力強い存在ではあるだろう。しかしその答えは、本人によって曖昧あいまいに濁されてしまった。


「あっしは兄さんをさらうよう頼まれただけの、ただの便利屋っすよ。金さえ貰えりゃ次に会う時も兄さんの敵、利害が一致するなら味方ってなもんでして」


 要するに、こいつとまた敵対しなきゃいけなくなる時が来るかもしれないのか。そうなった時果たして俺に、あらがう力はあるのだろうか。俺の顔が曇っているのを察したのか、猩々しょうじょうは相変わらずケラケラ笑っている。


「そんな暗い顔しなさんな。今回の件はあっしのリサーチ不足もあったんで、良かったら次は無料タダで兄さんに力を貸してやりやすよ」


 そう言ってハンドルから片手を離し、俺の方に何か小さいものを放ってきた。ギシギシ痛む体ではその何かを拾うのも大変だったが、どうやらそれは名刺のようだった。


裏鬼門探偵舎うらきもんたんていしゃ 所長 野村星正のむらせいしょう


 わざわざルビまで振って、連絡先の番号まで書いてある。律儀りちぎな探偵もいたものだ。


「その番号に電話してくれりゃ、霊的な相談くらいにはいつでも乗って差し上げやすよ。もちろん、フツーの探偵としての依頼も受け付けてやすが」


「あんたの本名、野村っていうのか……」


「そっすよ。まぁどっちかっつーと猩々しょうじょうの通り名の方が、ソッチ方面じゃ有名なんすけどね」


 一体その方面はどの方面なのか、なるべくなら知りたくもないし関わりたくもないものである。


 その後、バンは猩々しょうじょうの言う通り、小一時間程度でとある総合病院に着いた。痛み止めも何もない道中は、言うに及ばずかなり辛いものだった。


 病院では受け付けで猩々しょうじょうが掛け合ってくれたようで、車まで担架たんかを持ってきて、担当者が病院内まで運んでくれた。


「それじゃ、また何か縁がありやしたらその時はヨロシクどーぞ」


 去り際に猩々は俺にそんな事を耳打ちしていた。後に医者が猩々しょうじょうに詳しい事情を聞こうと探していたが、俺だけ置いてとっとと車ごと逃げてしまったようだ。奴のやったことを考えれば、当たり前である。


 その後、病院から父へ連絡が行ったらしく、深夜になってわざわざ静岡まで親父が迎えに来てくれた。俺の顔を見るなり臆面もなく泣き出した親父を見て、何だか申し訳ない気持ちになる。きっとこれからも親父を泣かすような出来事に出会い続けるであろうことは、予測出来たからだ。


 そして親父から警察にまで連絡が行き、行方不明者として捜索されていた俺の事件は、本格的な誘拐事件として再捜査されることになった。


 俺は誘拐犯の特徴と廃ホテルに連れ込まれたこと、首謀者が三浦と呼ばれていたこと、妙な儀式の生贄にされたかけこと、そしてそこで受けた拷問についてを事細かに説明した。荒事に慣れているはずの警察も険しい顔をするほど、俺の受けた傷は酷いものだった。


 腹部の火傷もさることながら、とりわけ問題だったのは全身に走る痛みだった。医者の話では「全身の骨に満遍まんべんなく亀裂きれつが走り、筋肉は伸び切って断裂寸前だんれつすんぜんまで酷使されていた」らしい。アスリートが数日ハードな訓練をしても、こうはならないと言われた。


 天変地異てんぺんちいさえ巻き起こす神様の力が宿っていたなら、俺の体がそんな風になるのも無理はない。逆にどうやってこの体で逃げ出して来たのか、警察に説明する方が難しかった。


 猩々しょうじょうの名前だけは、警察にも伏せておいた。俺の拘束を解いてここまで連れてきてくれた奴がいる、顔はよく見ていないとだけ説明しておいた。病院側で猩々しょうじょうを見た奴が証言するかもしれないが、それで捕まるほどヤワな男ではないと思いたい。


 その後、俺は三日ほど静岡で療養してから東京の病院へ転院させられ、そこで本格的な治療を行う事になった。全治に一ヶ月はかかるそうで、想像するだけでもグロッキーになりそうだった。


 誘拐された時に落としていたらしい学生鞄は警察が回収していたそうで、無事手元に帰ってきた。中に入っていたスマホを見ると、学校で唯一俺の連絡先を知っている春間から、鬼のようなLINEの通知が来ていた。


 経緯を端折はしょって一ヶ月は入院しなければならないとだけ伝えると、その間のノートやテスト範囲は教えるから、何があったか詳細に説明しろと脅された。学業には代えられないので、甘んじてその提案を受けることにした俺であった。


 こうして一つの事件は幕を引いた。だが、俺が本格的に日常へ戻ったと言えるのは、怪我が完治してからだろう。それまでにまた神の奴が、余計なことをしなければいいんだが。


—――そう思っていた、ちょうどその時だった。


 病院ではおよそ聞こえるはずのない涼やかな鈴の音色が、「シャン」と鳴って俺の耳まで、届いたような気がした。


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