第7話:青年、一時の幕引きに安堵せる事。
メガネの野郎が、満面の笑みを
『さぁ、
その横で、
『すいやせぇ〜ん、兄さん。
そんな馬鹿な。あんたは俺のこと子供扱いして、大勢の敵にも負けなかったはずじゃなかったのか。さすがに呆然とするしか出来ずにいると、
十人のモブどもはキィキィとカミキリムシのような鳴き声を上げて、棒立ちする俺へ群がっている。何がどうなっているか訳も分からず、俺はモブどもを押しのけようと腕を持ち上げて……。
「いってぇぇぇぇぇぇええええええええ!!!!!!!!」
思わず声が出るほどの激痛で、目を覚ました。
「お? 起きましたかい、兄さん」
声のする方を向こうとはしたものの、首を五ミリ動かしただけで全身に痛みが響く。体に存在する骨ぜんぶにギザギザの刃が着いて、動かす度に肉を刻んでいるような鋭利な痛みだった。
「痛い…」
音すら痛みに化けそうで、か細い声しか出すことが出来ない。とりわけ腹に出来た火傷は、今でも火を当てられているかのようにジュクジュクと
「応急処置の道具もねぇもんだから、もうちょい待ってくだせぇ。あと一時間ぱかし走れば病院まで着きますんでね」
言われて俺は、ようやく自分が車の後部座席に寝かされていることに気がついた。窓のスモークの具合や、エンジン音に聞き覚えがある。これは、俺を誘拐した時に乗ってきたバンだろう。運転しているのはもちろん
「……メガネは?」
なるべく口を動かさずに済むよう、最低限の単語を選んで会話する。
「あの連中なら廃墟にほっぽっておきやしたぜ。もう兄さんを狙ってくるようなこたぁしないんじゃないっすかねぇ」
「そっか……」
「そのついでと言っちゃ何ですが、あの野郎を叩き起こして今回の騒動を起こした理由、聞き出したんすよ。兄さんもその辺は知りてぇとこなんじゃねぇっすか?」
「うん。聞きたい……」
風邪をひいた時の子供のようになって、俺は弱々しく耳を傾けた。
「今回の件は、どうも一種の自爆テロみてぇなもんだったみてぇすねぇ」
自爆テロ。そんな恐ろしい
「
「知らん……」
「
「うん……それで?」
「奴ら、最初から
「……は?」
わざわざ失敗させるために俺を選んで、あんな酷い拷問にかけたっていうんだろうか。だとしたらそんな理不尽な話はない。
「奴らの目的は、
「……どゆこと?」
「マガヒコノオオカミがどの程度の神格かは知れなかったが、少なくともあの場ですぐに地震を起こし、あっしら全員を殺すくらいのことは出来たでしょうよ」
「うん」
「それが拡大してれば、下手すりゃ被害は関東一円にまで及んだ。大規模な地震と火山噴火ってぇ形でね」
「火山、噴火……」
「兄さん、目隠しされてたから自分がどこまで連れて来られたか知らねぇっしょ?」
「え……うん」
「静岡っすよ。ここは静岡県、日本最大の活火山のお膝元っす」
「静岡……富士山!」
「そう。奴らの本当の目的は、富士山を噴火させて日本に大損害を与えることだった」
冗談にしか聞こえなかったが、フロントミラーに写る
「地震と噴火のコンボで、関東全域に甚大な被害を与える。それと同時に別働隊が動いて、関東にある重要な施設を軒並み占拠し、日本を乗っ取るって手筈だったみてぇすよ」
「そんな……でもそれ、自分たちも死ぬんじゃ……」
「だから言ったじゃねえすか、自爆テロだって。アイツら端っから生きて帰るつもりなんてなかったんす。実際あそこで
それが本当だとしたら、なんておぞましい計画を立てる奴らなのだろう。そしてそれを可能にするマガヒコノオオカミという神は、一体何者なのだろう。
「だいたい、最初からおかしいと思ってたんすよねぇ! アイツら神サンを降ろすってのに、兄さんに
また俺の知らない単語が出てきた。喋るのもダルいので目線で説明を求めると、
「世の中に宗教ってのは山ほどありやすが、どんな宗教にもだいたい共通してるのは、『神サンに会う時は身を清める』ってことなんすよ」
それはなんとなく理解できる気がする。汚れた体で自分の信じる神様に会おうとするのは、あまりないことに思えるからだ。
「ま、清めの概念は文化によって違いやすが、日本で言うなら綺麗な水で毎日体洗って、最低でも十日くれぇ前からは肉食を断つのが基本っす。それが
そう言われると、確かに奴らから出された食事は肉に偏っていた気がする。ペペロンチーノにはベーコンが使われていたし、ソーセージパンと豚骨ラーメンは言わずもがなだ。それに俺は監禁されてた三日間、風呂はおろか冷たい水すら浴びていない。おかげで清めとはかけ離れた存在だったろう。
「だから『そんなんで儀式出来るはずがねぇ』って文句言ってやったんすが、成功させる気がないならそれも当然すよねぇ」
なるほど。俺の知らないところで、こいつも色々動いていたってことか。
「ついでに、奴らがなんで兄さんを
「え?」
「奴ら、
なるほど……いや、待て。そうなると俺の存在は、あのメガネのような輩にまで知れ渡っているってことなのか? だとしたらちょっとどころではなく不味いことになってるのでは。
それに俺に取り憑いた神どもは、メガネの思うようなチョロい神なんかじゃない。俺に起こる危機を喜んで見届けて、回避させる気もないようなムカつく奴らなのである。俺が死んだところで、怒るどころか両手を上げてバンザイしていてもおかしくない。
「なんせ兄さんには、滅茶苦茶な数の神サンが取り憑いてやすからねぇ! 今後あの手の連中には事欠かねぇんじゃねぇすか?」
嫌な台詞を吐いて、
「それで……」
「ん?」
「アンタは、俺の味方なのか……?」
結局のところ、こいつが何者であるかまではまだ知れていない。胡散臭い男ではあるが、悔しいことに実力があるのは認めざるを得ない。もし味方だと言うなら、それはそれで力強い存在ではあるだろう。しかしその答えは、本人によって
「あっしは兄さんを
要するに、こいつとまた敵対しなきゃいけなくなる時が来るかもしれないのか。そうなった時果たして俺に、
「そんな暗い顔しなさんな。今回の件はあっしのリサーチ不足もあったんで、良かったら次は
そう言ってハンドルから片手を離し、俺の方に何か小さいものを放ってきた。ギシギシ痛む体ではその何かを拾うのも大変だったが、どうやらそれは名刺のようだった。
『
わざわざルビまで振って、連絡先の番号まで書いてある。
「その番号に電話してくれりゃ、霊的な相談くらいにはいつでも乗って差し上げやすよ。もちろん、フツーの探偵としての依頼も受け付けてやすが」
「あんたの本名、野村っていうのか……」
「そっすよ。まぁどっちかっつーと
一体その方面はどの方面なのか、なるべくなら知りたくもないし関わりたくもないものである。
その後、バンは
病院では受け付けで
「それじゃ、また何か縁がありやしたらその時はヨロシクどーぞ」
去り際に猩々は俺にそんな事を耳打ちしていた。後に医者が
その後、病院から父へ連絡が行ったらしく、深夜になってわざわざ静岡まで親父が迎えに来てくれた。俺の顔を見るなり臆面もなく泣き出した親父を見て、何だか申し訳ない気持ちになる。きっとこれからも親父を泣かすような出来事に出会い続けるであろうことは、予測出来たからだ。
そして親父から警察にまで連絡が行き、行方不明者として捜索されていた俺の事件は、本格的な誘拐事件として再捜査されることになった。
俺は誘拐犯の特徴と廃ホテルに連れ込まれたこと、首謀者が三浦と呼ばれていたこと、妙な儀式の生贄にされたかけこと、そしてそこで受けた拷問についてを事細かに説明した。荒事に慣れているはずの警察も険しい顔をするほど、俺の受けた傷は酷いものだった。
腹部の火傷もさることながら、とりわけ問題だったのは全身に走る痛みだった。医者の話では「全身の骨に
その後、俺は三日ほど静岡で療養してから東京の病院へ転院させられ、そこで本格的な治療を行う事になった。全治に一ヶ月はかかるそうで、想像するだけでもグロッキーになりそうだった。
誘拐された時に落としていたらしい学生鞄は警察が回収していたそうで、無事手元に帰ってきた。中に入っていたスマホを見ると、学校で唯一俺の連絡先を知っている春間から、鬼のようなLINEの通知が来ていた。
経緯を
こうして一つの事件は幕を引いた。だが、俺が本格的に日常へ戻ったと言えるのは、怪我が完治してからだろう。それまでにまた神の奴が、余計なことをしなければいいんだが。
—――そう思っていた、ちょうどその時だった。
病院ではおよそ聞こえるはずのない涼やかな鈴の音色が、「シャン」と鳴って俺の耳まで、届いたような気がした。
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