第41話 天才作曲家は(二つの)魂(アニマ)の共鳴(レゾナンス)と(運命の)夜明け(リリース)を見届ける

「……今から、俺(Kanata)の『答え』も、聴くか?」


 木曜日、夜十時。俺は自室(スタジオ)のメインPC(Kanata用)の前に座り、隣のパイプ椅子に座る春日さんに問いかけた。彼女はさっきまでの涙を拭い、期待と緊張が入り混じった表情でこくりと頷く。  


(これから聴かせるのは、柊さんに提出した明日、世界に向けてリリースされる『Anima』の最終マスター音源だ。彼女自身の歌声が、俺の手によってどう『完成』させられたのか。そして、彼女のデモ(魂)が俺の魂(Anima)とどう響き合ったのか。それを、今、彼女自身が知ることになる)


 俺はDAWソフトを閉じ、代わりに高音質オーディオプレイヤーソフトを起動した。


『Anima_Master_Final.wav』。


 マスタリングエンジニアから送られてきた最終形態のデータだ。スタジオの照明を少し落とし、Genelecのモニタースピーカーのボリュームを最適なリスニングレベルまで上げる。最高の音響環境で俺たちの「答え」を聴くために。


「行くぞ」  


 俺は再生ボタンをクリックした。


 ―――…静寂。そして、空気を震わせるように、重く、深く、美しいピアノのイントロが流れ出す。CmMaj7の、あの不安定な響きが、Ivory IIの最高級の音色で奏られる。春日さんが息を呑むのが分かった。彼女がLogic体験版で鳴らしていた音とは、次元が違う。


 ストリングスが静かに入ってくる。俺が数日間徹夜で作り上げた、生々しく、壮大なオーケストレーション。そして、Aメロ。彼女の声。


「!」  


 春日さんの肩が微かに震えた。それは紛れもなく、以前に彼女がスタジオで歌ったあのテイクだ。感情(魂)はそのままに、その素晴らしい歌唱によって、ピッチとリズムはほぼ完璧にコントロールされている。彼女の息遣い、声の揺らぎ、消え入りそうなウィスパーボイス。その全てが、俺の作り上げた重厚なオケの中で、埋もれることなく、むしろ際立って輝いている。


(どうだ。これが俺(Kanata)のミックスだ。これが、お前の『魂』を世界に届けるための、俺の『答え』だ)


 曲はBメロへ。転調、変拍子。彼女が苦しみながらも歌い切ったあの難解なパート。完璧な歌唱と完璧な伴奏が奇跡的なバランスで融合している。春日さんはただ黙って、スピーカーから流れてくる自分の「完成された」歌声に聴き入っていた。その表情は、驚きと、感動と、どこか信じられないものを見るような、畏怖の色が混じり合っているように見えた。


 やがて曲はサビへ。感情が一気に爆発する。彼女がレコーディングで叩きつけたあの魂の叫び。それが計算され尽くした俺のサウンドデザインによって、圧倒的なカタルシス(解放感)を生み出していた。高音のロングトーンがスタジオの空気を震わせる。


 俺は隣の春日さんを見た。彼女は両手で口元を覆い静かに涙を流していた。だが、それは自分のデモが完成した時の創造の喜びに満ちた涙とは、違う種類のものに見えた。もっと複雑で、重い感情を含んだ涙。


 曲が終わり最後のピアノの音が静寂の中に消えていく。しばらく、誰も何も言えなかった。ただ、スピーカーのわずかなホワイトノイズだけが聞こえる。


「すごい」  


 最初に口を開いたのは春日さんだった。声はまだ震えている。


「これが、Kanata先生の、『Anima』……」


「ああ」


「私の歌が、私の知らない歌になってる……」  


 彼女の声には戸惑いの色が滲んでいた。


「嫌か?」


 俺は尋ねた。


「ううん! 全然!」


 彼女は慌てて首を振った。


「すごく、すごく、感動しました!私の歌がこんなにすごい曲の一部になれて!」


「だけど」


「でも」


 彼女は俯いた。


「やっぱり少しだけ、怖い、です」


「怖い?」


「はい……。これが、本当に、『私』なのかなって……。Kanata先生の、魔法みたいで……」  


 彼女は、かつて俺(彼方)に打ち明けたのと同じ不安を、今度は俺(Kanataの音)の前で再び感じていた。


 俺は立ち上がり彼女の隣に置かれていたノートPC(Logic体験版)を指差した。


「魔法じゃない」


「え?」


「それは、お前の『魂』だ」


 俺は彼女が作り上げたデモ(Final)の画面を指す。


「そして、これも俺の『魂』だ」


 俺はメインPC(Anima)を指す。


「どっちも、嘘じゃない。ただ『表現』の仕方が違うだけだ」


「表現の、仕方……?」


「そうだお前はまだ荒削りな『魂』をそのままぶつけてきた。俺はその『魂』を世界に届けるために、最高の『形(技術)』に磨き上げた」


「最高の、形……」


「どっちが正しいとか、間違ってるとかじゃない。どっちも必要なんだ。音楽には」


 俺は初めて『Kanata』としてではなく、一人の音楽家として彼女に語りかけていた。


「お前は、そのままでいい。荒削りな『魂』を持ち続けろ。だが、同時にそれを届けるための『技術(ルール)』も学び続けろ」


「師匠……」


「そうすれば、いつかお前は俺(Kanata)なんか軽く超えていく」


「そ、そんな!」


「超えてみせろ」


 俺は、挑戦するように言った。


「それが、俺の『弟子』だろ?」


「!」  


 春日さんの目に再び強い光が宿った。涙はもう止まっている。


「はいっ!」


 時計を見ると、午後十一時五十分。『Anima』のリリースまであと十分。俺たちは再びPCの前に向き直った。今度は二つのPCを並べて。俺のPCにはリリースを待つ『Anima』の配信ページ。彼女のPCには彼女が作り上げた『魂(デモFinal)』のプロジェクト画面。


「始まるな」


「はい」  


 緊張した空気が部屋を満たす。壁一枚隔てた隣人同士が作曲家と歌い手が師匠と弟子が、今、同じ場所で同じ瞬間を待っている。


 金曜日午前零時。PCの画面が切り替わる。『Anima』リリース開始。同時に俺(Kanata)と春日さん(白亜凛音)のスマホに、無数の通知が届き始めた。X(旧Twitter)のトレンド。音楽配信サイトのランキング速報。ファンからの熱狂的なコメント。


『Anima、キタ――――!!!!』


『神曲!超えた!アストロラーベを超えた!』


『Kanataの魂、ここにあり!』


『凛音ちゃんの歌声、覚醒してる!鳥肌!』


『これが、魂の殴り合いの、答えか!』


 アンチ(過去)の声は、まだ聞こえない。ただ圧倒的な賞賛の嵐がそこにあった。


 俺は隣の春日さんを見た。彼女はスマホの画面(ファンからのコメント)を見つめ、静かにだが誇らしげに微笑んでいた。それはもう「怖い」という感情ではない。自分の「魂(歌)」が世界に届いたことへの確かな「喜び」の表情だった。


 俺は自分のグラス(中身は麦茶)をそっと持ち上げた。春日さんもそれに気づき自分のグラス(中身は同じく麦茶)を持ち上げる。カチン、と軽い音がスタジオに響いた。


 俺たちの「共犯関係(パートナーシップ)」は、今、新しいステージへと進み始めたのかもしれない。  


「(……ほぼ、俺の正体もバレただろうな。彼女はまだ何も言ってこないが。……これから、どうなる?)」

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