第25話 天才作曲家は(弟子への)嫉妬(ジェラシー)と(自らへの)挑戦(チャレンジ)に身を焦がす
月曜日、昼休み。大学のカフェテリアは喧騒に満ちていた。俺、天音彼方は学食の隅のテーブルで空になったペペロンチーノの皿を前にノートPC(偽装済みアカウント)を開いていた。画面にはDAWソフトではなく白紙のテキストエディタが表示されている。
(ダメだ。集中できない)
昨夜、勢いで描き上げた『第二弾』のラフスケッチ。頭の中ではその続きのメロディとコードが鳴り響いている。早くスタジオ(本物)に帰って形にしたい。だが今の俺は『平凡な音大生・天音彼方』だ。カフェテリアで突然、神がかったフレーズを打ち込み始めるわけにはいかない。
それにもう一つ俺の集中を削ぐ要因があった。昨日の講義室で、春日さんに渡した、あのUSBメモリ。俺の『黒歴史(Cマイナー練習曲)』のデータ。あいつは今頃あのデータと格闘しているはずだ。「続きを作れ」という俺からの無茶な宿題(時間稼ぎ)に。
(どうせ、苦戦しているだろう。昨日、初めてDAWソフトに触ったばかりの初心者がいきなり作曲なんて……)
「師匠!」
思考は背後からの明るい声によって無慈悲に中断された。振り返るとそこには目を輝かせた春日さんがトレー(今日は野菜カレー)を持って立っていた。その後ろには呆れた顔の智也とニヤニヤしている高木もいる。完璧な布陣(カオス)だ。
「おはようございます!」
「……ああ」
春日さんは当然のように俺の隣の席に座った。周囲からまた「あ、噂の師弟コンビ」というヒソヒソ声が聞こえる。もう慣れた。
「師匠! 昨日の、あのデータ!」
春日さんが声を潜めて興奮気味に切り出した。
「私、徹夜で、やってみました!『続き』!」
「は?」
(徹夜?こいつマジか)
「で!あのですね!Cマイナーの曲なのに、途中で『ミ♮(ナチュラル)』が入って一瞬だけ明るくなるじゃないですか!」
「(ああ。お前が見つけたやつだな)」
「あの後って普通ならまた暗い感じ(マイナー)に戻るのがセオリーなのかなって思ったんですけど!」
「(まあ、普通はな)」
「でも!私、どうしてもあの『光(ミ♮)』をもっと続けたくて!」
春日さんは自分のノート(五線譜ではないただのメモ帳)を取り出し俺に見せてきた。そこには走り書きのような文字といくつかのコード名が書かれている。
「C(ドミソ)からE7(ミソ#シレ)に行って、Am(ラドミ)に飛んでみたらどうかなって!」
「……は?」
俺は耳を疑った。Cマイナーの曲の途中でいきなりAm(Aマイナー)に転調?しかも間にE7(イーセブンス)を挟んで?
(……無茶苦茶だ。理論(ルール)を完全に無視している。だが……)
俺は頭の中でそのコード進行を鳴らしてみた。C → E7 → Am ……。
(悪くない。いや、むしろすごくドラマティックだ。Cマイナーの閉塞感を、E7(ドミナント)が強引にこじ開けてAm(サブドミナント・マイナー)という予想外の『新しい扉』に飛び込む感じ……)
「ど、どうですかね……?やっぱり、変ですか?」
春日さんが不安そうに俺の顔を覗き込む。
「いや」
俺は嫉妬(ジェラシー)にも似た複雑な感情を押し殺して言った。
「面白い。……やってみろ」
「!本当ですか!?やったー!」
「おいおい、彼方」
俺たちの会話を黙って聞いていた智也が口を挟んできた。
「お前、春日さんに作曲教えてるのか?」
「……まあな」
「へえ。で?今のは?なんか専門用語飛び交ってたけど」
「ああ、コード進行の話だ。Cマイナーの曲で急にAマイナーに転調したら面白いんじゃないかって彼女が」
「はぁ? 何それ意味わかんねえ」
隣でカレーをかき込んでいた高木が口を挟んできた。
「音楽ってもっとノリだろ!コードとか意味不明!」
「……高木くんには分からないよ」
春日さんが、なぜか少し得意げに言った。
「これは、私と師匠(彼方)の『魂』の対話だから!」
「「…………」」(俺と智也)
(魂の対話……やめろ。その勘違い加速させるのやめてくれ)
「ひゅーひゅー! 出たよ『魂』!お前ら、マジで学園祭狙ってんな!」
高木は相変わらず何も分かっていなかった。
「とにかく、春日さん」
俺は話を戻した。
「そのアイデア悪くない。だが、理論(ルール)を知らないまま感覚だけで進むと……いずれ、道に迷うぞ」
「あ、はい……」
「今日の放課後。時間あるか?」
「! あります!」
「大学の図書館行くぞ。和声学の基礎からもう一度、やり直す」
「はいっ! 師匠!」
俺は内心でため息をついた。
(結局、俺がこいつ(モンスター)の手綱を握るしかないのか……面倒くさい。……だが、少しだけワクワクしている自分もいる)
◇
その日の夜。俺は自室(スタジオ)で再びマスターキーボードの前に座っていた。
(……やるか)
昼間の春日さんとの会話。彼女のあの自由な発想(C→E7→Am)。あれが俺の創作意欲に火をつけた。
(そうだ。『ルール』なんか壊してしまえばいい。俺(Kanata)が一番得意なのは『理論』じゃなく『感情(カオス)』の爆発だったはずだ)
柊さんへの、「アンサー」。アンチへの、「回答」。そして、……春日さん(弟子)への、「挑戦状」。
俺は昨日作りかけた「第二弾」のラフスケッチを一度すべて消去した。
(違う。こんな予定調和な曲じゃない)
俺が今作るべきは。『アストロラーベ』の「絶望(トラウマ)」を超え、『Luminous』の「希望(綺麗事)」をも打ち破る。
もっと生々しく……矛盾した「今」の俺の「魂(声)」。
指が再び鍵盤の上を走り出す。Cマイナー。だが、それはもうただの「暗闇」じゃない。CmMaj7(希望と絶望)。E7(破壊と衝動)。Am(新たな扉)。Fm(切ない記憶)。Daug(未来への不安と期待)。
俺が知っている俺が感じているすべての「感情(コード)」が複雑に絡み合い一つの「物語(ストーリー)」を紡ぎ始めていく。
(……メロディは?)
(もっと高く。もっと激しく)
(春日さんのあの「天使の声(シルク)」じゃない……あいつの奥底に眠っているもっと荒々しい「本性(叫び)」を引きずり出すようなメロディ)
俺は完全に没頭していた。時間感覚が消える。左の壁(502号室)から春日さんが俺が出した「宿題(Cマイナーの続き)」に悪戦苦闘しているチープな打ち込みの音が微(かす)かに聞こえる。
(面白い……あいつも今、俺(過去)と戦っているんだ)
……ピコン。PCの隅に通知が表示された。柊さんからのメールだ。
件名:『【最終確認】第二弾楽曲の、方向性について』
(……来たか)
俺は鍵盤から手を離しメールを開いた。
『Kanata先生。先日の件、社内で協議しました』
『やはり現在の「アンチ」の流れを断ち切るためにはあなたの「原点回帰」とも言える強い「作家性」を打ち出す必要があるとの結論に至りました』
『つきましては第二弾楽曲は「アストロラーベ」を彷彿とさせるような難易度の高いあなたの「魂(エゴ)」が前面に出た楽曲でお願いします』
『納期は来週末』
「…………は?」
俺はメールの最後の一文を三度読み返した。
(来週末?……あと一週間しかないだと?)
『追伸』
メールは続いていた。
『白亜凛音さんのボーカルの技量については懸念が残ります』
『ですが、……我々はあなたの「ボーカル・エディット(変態技術)」を信頼しています』
『最悪、彼女(素材)が歌えなくともあなた(Kanata)が「歌わせれば」いいのですから』
『……フフ』
「…………」
俺はPCの画面を殴りつけたかった。
(ふざけるな。俺は「魂(本物)」の曲を書き始めているんだぞ……それを俺の
「技術(嘘)」で塗り固めろだと?……それは俺が一番やりたくないことだ!)
ドン、ドン!左の壁が、叩かれた。
(……春日さんか)
「師匠ー!聞いてくださいー!」
壁越しに歓喜に満ちた声が響く。
「私!できました! 『続き』!Cマイナーの先の、『魂』!」
「(……なんだと?)」
俺は自分の「戦い(作曲)」と柊さんからの「締切(デッドライン)」とそして、壁の向こうの「弟子(モンスター)」の予想外の「覚醒(声)」に完全に挟み撃ちにされていた。俺の胃痛は再び最大級の悲鳴を上げていた
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