第12話 天才作曲家は(自宅で)偽装工作(ハイド)と基礎理論(ベーシック)に忙殺される

「……お、お邪魔、します……!」


 土曜日、午後二時。俺の城(501号室)についにラスボス(春日さん)が足を踏み入れた。


 俺の心臓は三日ぶりに起動したPCのファンのように不規則な唸りを上げていた。


(……入った)  


(落ち着け、俺。偽装工作(ハイド・アンド・シーブ)は完璧だ。智也(あいつ)の指示通り、完璧に『平凡な音大生の汚部屋』を再現した)


 春日さんはリビング(という名の、偽装空間)をキョロキョロと見渡した。


「わ……! わ……!」


 (なんだ。何に気づいた。床に「わざと」散らかした音楽雑誌か?机の上に「わざと」積んだ大学の教科書(ボロボロ)か?)


 春日さんの視線は、俺が最も恐れていた一点。奥の「スタジオ(DK)」を丸ごと隠蔽している巨大な「北欧風フリークロス(生成り色)」に釘付けになった。


「……あの、彼方師匠」


「……(来た! 来た来た来た!『夜逃げした親戚』の設定、思い出すんだ俺……!)」


「なんだ」  


 俺はできるだけ無感情を装って答える。


「あの、布……。もしかして、ですけど……」  


(終わった。こいつ、「中、見たい」って言うタイプだ……!)  

 

 俺が冷や汗、背中に感じたその時。


 春日さんは目をキラキラと輝かせて言った。


「……ホコリよけ、ですか!?やっぱり、音楽家は機材を大事にするんですね!さすが師匠です!」


「…………は?」


 俺は拍子抜けした。  


(ホコリ、よけ?……そっちで納得したのか……!)


「(助かった)」  


(こいつ、やっぱりただのドジなアホの子だった……!)


 俺の最大の危機(正体バレ)は春日さんの致命的な「察しの悪さ」によって、第一関門を突破した。……かに思われた。


「それでね、師匠!」  


 春日さんは、ホッとした俺に追い打ちをかけるように玄関先で持っていた「二段重ねのタッパー」を高々と掲げた。


「(来た。本命(メインディッシュ)が)」  


 俺はあの「炭化(カーボン)マフィン」の悪夢を思い出しゴクリと唾を飲んだ。


「これ!私、作ってきました!『弟子入り・スタミナ弁当』です!」


「……スタミナ、弁当」


「うん!師匠、金曜日からずっとお仕事(締め切り)でゾンビみたいになってたから! これ食べて元気出してください!」


 (やめろ。お前の『手料理』は俺にとって元気(エナジー)じゃなくて毒(ポイズン)だ)  


(俺は、今、物理的に殺されるのか……?)


「いい。気持ちだけ貰っておく。……レッスン始めるぞ」


「ダメです!腹が減ってはレッスンはできぬ、です!」  


 春日さんは有無を言わさずリビングのローテーブルにタッパーを広げ始めた。


 パカッ。一段目。  


(おにぎり、か)  


 見た目は普通だ。三角の海苔が巻かれたおにぎり。


 パカッ。二段目。  


(卵焼き、と、ウインナー……?)  


 見た目は普通だ。あの異様な「炭化」はしていない。むしろちょっと美味そうだ。


「……あれ?」  


 俺は思わず声に出していた。


「焦げて、ない」


「ひゃっ!?し、失礼な!私だってあれ(炭化クッキー)から猛特訓したんです!」  


 春日さんが顔を真っ赤にして抗議する。


「ネットのレシピ動画、百回見ました!これは自信作です!どうぞ!」


(本当に?大丈夫か?)  


 俺はおそるおそるタッパーの中の「卵焼き」を一つ箸でつまんだ。……見た目は、黄金色だ。口に、運ぶ。


「…………」  


(甘い、いや違う……甘いとか、しょっぱいとかそういう次元(フェーズ)じゃない)


 「……味が、ない?」


 そう。完全に「無(ゼロ)」だった。食感は確かに卵焼き。だがダシの味も、砂糖の味も、塩の味も、一切しない。ただ、ひたすらに「温かい、固まった、卵」の味がする。


「ど、どうかな……?」  


 春日さんがキラキラした目で俺を見つめている。


「……(こいつ、レシピ動画、百回見て何を学んだんだ……?)」  


(『調味料を入れる』という概念(コンセプト)を忘れたのか……?)


 俺は隣の「おにぎり」に手を伸ばした。  


(卵が、ダメなら米だ)  


ガブリ。


「――っぶ!!!」


(しょっぱい!!!塩! 塩の塊かこれは!?)


 どうやらこいつは卵焼きに入れるはずだったすべての「塩(ソルト)」をこのおにぎり(一点)に集中投下(ベット)したらしい。俺は慌てて智也が(偽装工作用に)買ってきてくれた麦茶のピッチャーを掴み中身を一気に呷(あお)った。


「あ! おにぎり、しょっぱかった!?ご、ごめん!配合、間違えたかも!」


「(……『かも』じゃねえ……!)」


「はぁ。……もう、いい」  


 俺は麦茶ですべてを流し込んだ。


「レッスン、始めるぞ。……ごちそうさま」


「あ、はいっ!」  


 春日さんは嬉しそうにタッパーを片付け始めた。


(命拾いした。だが本番(レッスン)はこれからだ)

 

         ◇


「……で、春日さん」


「はいっ! 師匠!」


「どこから分からないんだ。和声学」


「えっと……。『最初』からです!」


「……(だろうな)」


 ローテーブルを挟んで俺と春日さんが向かい合う。春日さんが大学の購買で買ったばかり(であろう)、ピンピンの新品の「和声学Ⅰ」の教科書を開いた。


 俺はあえて机の隅に置いていた「小さな」MIDIキーボード(25鍵)をノートPC

(偽装済みアカウント)に接続した。


(これも智也のファインプレーだ)  


(『デカいシンセ(Kanataの本体)は隠せ。だが作曲科の学生として最低限の「武器(機材)」は見せておけ。じゃないと逆に不自然だ』)  


 完璧な判断だ。


「いいか。和声学ってのは要するにルールの塊だ」  


 俺は『天音彼方(ちょっと音楽に詳しい先輩)』モードで説明を試みる。  


(面倒くさい。俺(Kanata)なら、『感覚で覚えろ』で終わらせるんだが)


「例えばこれ。ドミソ。Cコードだ」  


 俺は小さなキーボードで和音を弾く。


「で、これがソシレファ。G7(ジーセブンス)」


「うんうん」


「このG7の『シ』の音は、Cの、『ド』に行きたがる」


「『ファ』の音は『ミ』に行きたがる」  


 俺はゆっくりと鍵盤を弾いてみせる。G7(ソシレファ) → C(ドミソ)。


(いわゆる、『ドミナント・モーション』。基礎中の基礎だ)


「この、『解決』する感じ。分かるか?」


「…………」  


 春日さんは教科書と俺の指先を交互に見比べ首をかしげている。


「……うーん」


「……(分からない、か)」


(ダメだ。こいつ教科書(理論)の言葉で説明しても理解できないタイプだ。レコーディング(VCディレクション)の時と同じだ。こいつは「感覚」で殴らないとダメなんだ)


 だが俺は今、『天音彼方』だ。『Kanata』のように「お前の魂で感じろ!」とか、言えない。


(どうする。この『平凡な音大生』の仮面(ペルソナ)を保ったままこいつに本質を理解させる……)


 俺が悩んでいると春日さんは俺の背後……。いや、俺の背後の壁。あの、「北欧風フリークロス(ホコリよけ)」を、じーっと、見つめていることに気づいた。


「なんだ。そっちが、気になるか」


「あ、う、うん……。だって、大きいから」


「ああ。親戚のガラクタだ。気にするな」  


 俺は智也(あいつ)に叩き込まれた完璧な「嘘(アリバイ)」を口にする。


「……そっか。ガラクタ、なんだ」  


 春日さんは、なぜか少し残念そうに言った。


「(……ん?)」


「……私、てっきり、あれ師匠(彼方)の宝物かなって」


「は?」


「だって、あんな大きな布かけて。ホコリつかないようにすごく大事にしてるんだなって……」


「……(あ)」


(ヤバい。智也の、『夜逃げした親戚のガラクタ』作戦と俺の『ホコリよけ』設定が、内部で矛盾(コンフリクト)を起こしてる……!)


「あ、いや、これは」  


 俺が慌てて言い訳を探していると。


 ガタン!


(……!)


 春日さんが立ち上がろうとしてローテーブルに膝をぶつけた。その拍子にテーブルの上の麦茶(俺がさっき塩おにぎりで、死にかけたやつ)のコップが倒れ――!


 バシャア!


「「あ」」  


 俺と春日さんの声がハモった。麦茶は畳(偽装工作で、あえて敷いた)の上に広がり。そして、倒れたコップはカラン、コロン、と、転がっていき……。


 ……ピタ。


 俺が最も恐れていた場所。あの「北欧風フリークロス」の真下で止まった。


「ひゃああああああっ!?」  


 春日さんの悲鳴が響く。


「ご、ご、ごめんなさい! 師匠! わ、私、またドジして……!」


(うるさい! ドジは、いい!それより、コップ!)


「あ、コップ! 拾わなきゃ!」  


 春日さんが、慌てて四つん這いになりその「布」に近づいていく。  


(……ヤバい)


「いい! 俺がやる!」  


 俺は春日さんを制止する。


「え? でも!」


「いいから! お前はキッチンペーパー取ってこい!台所、そこ!」


「は、はいっ!」  


 春日さんが慌てて台所(リビング側)に走っていく。


(今だ!)  


 俺はその「布」の裾(すそ)に手をかけた。コップは布の内側五センチの場所にある。  


(布をめくらないと取れない)


 俺は春日さんが背中を向けている隙に最小限の動きで布をめくった。


(よし。見えた。俺の機材ラックの一番下の電源タップ……)  


(……いや、違う。コップだ)


 俺がコップに手を伸ばしたその瞬間。


「師匠ー! ペーパーこれでいいー!?」


(……!)


 俺が振り返ると。そこにはキッチンペーパーを持った春日さんが立っていた。そして彼女の視線は俺の手元。


 俺がほんの数センチだけめくり上げた「布の内側」。そこから漏れ出る無数、「プロ用機材」の電源ランプ(LED)の青い光。


 彼女は見てしまった。「ガラクタ(という設定)」の「ホコリよけ(という設定)」のその「中身」を。


 シン……。


 時が止まった。春日さんは目を丸くして固まっている。


「……あの、師匠」


「なんだ」


「今の、光……」


「……」


「『ガラクタ』って、……光るんですね……」


「…………は?」


 俺は春日さんのその斜め上すぎる感想に言葉を失った。


(こいつ……本物(ガチ)のアホの子だ……!)


「あ、ああ……。そう、だな。……光る、ガラクタ、だ」


「へえー! ハイテク!」  


(ハイテク、じゃねえよ)


 俺はコップを拾い上げ何事もなかったかのように布を元に戻した。


「それより、床を拭け。春日さん」


「あ、は、はいっ!ごめんなさい!」


 俺の第二の最大の危機(正体バレ)は。またしても春日さんの致命的な「ポンコツさ」によって回避(スルー)された。


(ダメだ。こいつここに長居させたら俺の胃が持たない)  


 俺は作戦を変更した。


「春日さん」


「はい!」


「もう、和声学(理論)はいい」


「え!?」


「お前には、こっちだ」


 俺は小さなMIDIキーボードでG7 → C の和音をもう一度弾いた。そして「天音彼方」の仮面を一瞬剥がし。俺(Kanata)がVC越しで言ったあのトーンで言った。


「聴け」


「……っ!」


「教科書(文字)を見るな。俺の指を見るな。……音だけを聴け」


 俺は目を閉じた。G7 → C。G7 → C。  


(感じろ。この「緊張」と「解放」を)


 俺は目を開けた。春日さんもつられるように目を閉じて耳を澄ませている。  

……さっきまでのドタバタが嘘のように静かだ。


「……あ」  


 春日さんが、小さく、声を、漏らした。


「……分かった、かも」


「なにが」


「『プロの先生(Kanata)』が言ってた『和音(コード)を、聴け』ってこういうこと……?」


「……(ああ。そうだ)」


「すごい」  

 

 春日さんが目を開け俺(彼方)を見た。


「彼方師匠。すごい。……今、一瞬、『プロの先生』と同じ匂いがした」


「……(!)」  


(ヤバい。こいつドジな癖に変なとこだけ鋭い……!)


「気のせいだ」  


 俺は慌ててPCの電源を落とした。


「今日は、もう、終わりだ。疲れた」


「えー! もう!?」


「今の、『G7 → C』。それを忘れるな。……それ、お前の『歌』の始まりだ」


「……!は、はいっ!師匠!」


 俺は春日さんを、半ば強引に玄関から追い出した。


「あ!師匠!タッパー!」


「ああ。そこ、置いとけ(……中身は後で捨てる)」


 バタン。俺はドアを閉めその場にへたり込んだ。  


(……疲れた。レコーディング(VC)の五倍疲れた……)


 俺は智也にチャットを送った。


『……ミッション、コンプリート……ただし、春日さんがポンコツすぎて助かった』


 すぐに返信が来た。


『お疲れ。……で?次の爆弾はなんだ?』  


(こいつ、分かってやがる)


 俺はスタジオ(偽装解除)に戻り、PCを起動する。『Kanata』アカウントに、ログイン。……案の定、柊さんから新着メールが来ていた。


『Kanata先生。お疲れ様です。Luminous、霧島さんサイドも大絶賛でした。つきましては来週の金曜日。白亜凛音のデビュー配信が決定しました……そこでKanata先生にも一つお願いが』


(……来た)


『デビュー配信のメインイベントとして』


『白亜凛音さんご本人と……Kanata先生(あなた)との「生対談(ライブトーク)」をセッティングしてほしい、と』


「…………は?」


(生で? あいつと?VC越しで?……あいつどこで配信やるんだ?)


(……まさか)


 俺は左の壁を見た。  


(隣(502号室)か?)


(俺(501号室)とあいつ(502号室)が……壁一枚隔ててボイチェン(俺)と、天使の皮(春日さん)で生放送(ライブ)で対談……?)


 俺は麦茶(塩おにぎり味)の逆流を感じながらその場に、崩れ落ちた。


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