第11話 天才作曲家は(秘密の)城を(必死に)偽装する


 火曜日の夜。俺は自室のスタジオ(という名の寝床)で飛び起きた。あれから食堂から逃げるように帰宅し、夕方まで仮眠をとった。疲労は多少抜けている。だが、それと引き換えに、俺が(食堂で)口走った「あるセリフ」が鮮明な悪夢となって俺の理性を殴りつけてきた。


「(……俺の部屋、来い)」


「…………」


「(言った。言ったな、俺)」


 俺はスタジオの椅子に座ったまま、ゆっくりと自分の「部屋」を見渡した。


 ここは501号室。表向きは音大生・天音彼方の1DKの部屋。だが、その実態は。


 奥のDK(ダイニングキッチン)スペースは生活空間を完全に犠牲にし、防音壁でリビングと遮断された完璧な「コントロールルーム(スタジオ)」だ。壁一面には俺の作曲の心臓部である大型のスタジオデスク。その上には、モニターA(DAW用)、モニターB(譜面用)、モニターC(VC・資料用)のトリプルモニター。デスクの両脇にはプロ御用達、Genelec(ジェネレック)の高解像度ニアフィールドモニター(スピーカー)がスタンドに鎮座している。デスクの下にはPC本体と防音ケースに入れられたハードディスク群。


 そして俺の背後の壁。そこには床から天井まで金属製のラックが組まれ、素人が見たら「工場」としか思えないような無骨な「機材」が整然と(そして、威圧的に)収まっている。マイクプリアンプ、コンプレッサー、オーディオインターフェース……。その横にはシンセサイザーの「壁」。Moog、Prophet-5、Nord Lead……。


(ダメだ)


 俺は頭を抱えた。


(……『音大生の部屋』として、ギリギリセーフなのはどこだ?……ない。セーフな場所が一つもない)


 春日さんは声楽科だ。音大生だ。彼女がこの部屋(スタジオ)を見てどう思う?  


「わー! 彼方くんの部屋、機材すごいね!」  


 ……で、済むか?


 済むわけがない。  


「(あれ? このスピーカー、大学のスタジオにあるやつより高いヤツじゃん)」


「(なんで、ただの学生がこんなプロ用の機材(ラック)持ってるの?)」


「(彼方くん、もしかして……。……まさか、『Kanata』……?)」


(……終わる……俺の平穏な生活が俺の自爆によって終わる)


 土曜日の午後。リミットはあと四日。この「秘密の城」をどうやって「平凡な音大生の部屋(ただし、ちょっと音楽に詳しい)」に偽装する……!?


「(無理だ)」


「(あ、そうだ。土曜日、急に、実家に、不幸が……)」  


(ダメだ。金曜にデカい仕事でその手(実家の都合)は使ったばかりだ)


 俺は無意識にスマホを手に取っていた。電話帳を開く。『夏目 智也』。……今、俺のこの絶望的な自爆テロ行為を知っている唯一の男。


 俺は通話ボタンを押した。


『もしもし、彼方? どうした、こんな夜中に。……てかお前、食堂から逃げ帰っただろ』


「……智也」


『ん?』


「助けてくれ」


『……は?』


「俺は多分疲労で脳がバグってたんだ」


『ああ。食堂でのお前のあの世紀の自爆発言か』


(こいつ、全部分かってやがる)


「……土曜日、あいつが、ここに来る」


『マジでご愁走様。……で、俺に何ができるんだ?墓でも立てとくか?』


「……隠蔽(いんぺい)工作を手伝え」


『はぁ!?』


          ◇


 水曜日、放課後。


「…………」


「…………」


 俺の部屋(スタジオ)で俺と智也は腕を組み仁王立ちになっていた。目の前には絶望的な、「Kanataの城」。


「彼方」  


 智也が口を開いた。


「……なんだ」


「お前さぁ……。俺はお前が『Kanata』だって知ってたけどさぁ……」  


 智也が俺の背後にある「シンセの壁」を指差した。


「これは、聞いてない」


「趣味だ」


「趣味でヴィンテージの『Prophet-5』買うヤツがいるか!音大の機材室より充実してんじゃねえか!」


「……(バレた)」


「で? これをどうしろと?俺と二人でこの機材全部外に運び出すのか?トランクルームでも借りる?」


「無理だ。このデスクとラックだけで総重量何キロあると……」


「だよな!」


 智也は頭をガシガシと掻きながら部屋を見渡す。……さすがは音楽ビジネス専攻。こいつの頭は、俺(作曲家脳)とは違う別の角度で回り始めた。


「分かった。彼方」


「……?」


「作戦は、二つだ」


「……二つ」


「ああ。作戦A。『隠す(Hide)』。作戦B。『騙す(Deceive)』」


「どういうことだ」


「まず、作戦A。『隠す』」  


 智也が俺のPC(モニターA)を指差す。


「これ。デスクトップ。……なんだ、これ。『Luminous_Master_V3.wav』『白亜凛音_Rec_TakeOK』……。お前、アホか?これ見られたら即死だぞ」


「……(あ、忘れてた)」


「こういう『見られたら即死』のモノは全部『隠す』」  


 智也は俺のPCを操作し新しい「ユーザーアカウント」を作成し始めた。アカウント名:『Amane Kanata (University)』。壁紙:初期設定の無難な風景写真。


「いいか。お前が使ってる、プロ用のソフトは全部こっちの(偽)アカウントから

は見えないようにショートカットも全部消す」


「おお」


「デスクトップには大学の『和声学レポート』と、『音楽史』のフォルダだけ置いとけ。……『Kanata』のアカウントは絶対にパスワードロックだ。いいな?」


「……(さすが、智也。頼りになる)」


 「次」と、智也が部屋の隅に積まれた本の山を指差す。


「『プロが教えるミキシング術(上級編)』『シンセサイザー・プログラミング大全』……。お前、本当に、アホか?」


「……(読書が、趣味だ)」


「全部クローゼットに詰めろ!代わりに大学のボロボロの教科書を机の上に並べろ!

『勉強してます』感を出すんだよ!」


「……(なるほど)」


「だが、問題は、これだ」  


 智也が俺の背後の「機材ラック」と「シンセの壁」を睨みつけた。


「これは、『隠す』のは物理的に不可能だ」


「……だよな」


「だから作戦B。『騙す(Deceive)』だ」


 智也はスマホを取り出しネット通販のアプリを開いた。


「これだ」  


 智也が見せてきたのは、


「北欧風・特大フリークロス(生成り色)」の商品ページだった。


「布?」


「ああ。このバカみたいにデカい布を三枚買う。……そしてこのお前の『変態機材(Kanataの本体)』どもに全部上からバサッ!とかける」


「……かける?」


「そうだ。いいか、春日さんがこう聞く」  


 智也が春日さんの(モノマネらしき)裏声で言う。


「『きゃー! 彼方くん! あの布がかかってる大きいのなにー?』」


「……(似てないし、ムカつくな)」


「そしたら、お前はこう答えろ」  


 智也が俺の(モノマネらしき)死んだ魚の目の顔で言う。


「『ああ。親戚のバンドマンが夜逃げして置いていったガラクタだ』」


「…………」


「(それだ!)」


 俺と智也は顔を見合わせた。  


(勝てる)  


(この作戦(ごり押し)なら、勝てる……!)


「よし! 彼方!すぐにこの布ポチれ!あと掃除機!」


「掃除機?」


「お前この部屋生活感なさすぎだ!『スタジオ』すぎて逆に怖い!しかも床、ホコリだらけじゃねえか!」  


 智也が床を指差す。


「(……あ、本当だ)」


「いいか。俺たちは、『プロのスタジオ』を、『(音楽バカの)汚い、学生の部屋』に偽装するんだ!『適度な』生活感を出すぞ!」


「おう!」  


 こうして土曜日の「決戦」に向けた俺と智也の徹夜の「偽装工作」が始まった。


          ◇


 そして、土曜日。午後一時五十八分。俺は自室の「リビング」で仁王立ちになって

いた。


 (よし)


 目の前の光景は三日前とはまるで別世界だ。


 奥の「スタジオ(DK)」は、通販で届いた巨大な「北欧風フリークロス(生成り色)」によって完璧に隠蔽(いんぺい)されている。あれはもはや「機材の壁」ではない。「なんかデカい布がかかってる何か」だ。


 PCのデスクトップは完璧な「音大生(偽)」仕様。本棚にはちゃんと、大学の教科書が並んでいる。床には智也の指示であえて読みかけの(安全な)音楽雑誌と、大学

の(白紙の)レポート用紙が数枚、「わざとらしく」散らばっている。


 完璧だ。これなら、春日さんが相手でも……。


(いや、待て……あいつ、ドジなくせに妙に勘が鋭いところ、なかったか?)


 俺は急に不安になってきた。あの「布」を見て、「開けてみよー!」とか言い出さないだろうな?あの「PC(偽)」を見て、「あれ? 彼方くん、ソフトこれしか入ってないの?」とか、言わないか?


(……ダメだ。胃が痛くなってきた。レコーディング(VCディレクション)の時より緊張する……!)


 俺は冷蔵庫から(偽装工作用に、智也が、無理やり買ってきた)麦茶をコップに注いだ。  


(落ち着け。大丈夫だ。俺はただの『天音彼方』。あいつの『師匠(仮)』。和声学を教えるだけだ。そう教えるだけ……)


 ピンポーン。


(来た!)


 心臓が跳ね上がった。俺は深呼吸を三回。  


(大丈夫。完璧だ。俺の偽装工作(アレンジ)は完璧だ)


 インターホンのモニターには、私服(白のブラウスに、スカート)姿の春日さんが緊張した面持ちで立っていた。手にはなぜかタッパー(二段重ね)を持っている。


(……タッパー?……まさか。あの、炭化(カーボン)クッキーの、親玉か……?)


 俺の胃痛は緊張(正体バレ)と恐怖(物理攻撃)の二重奏(デュエット)を奏で始めた。


 俺は、ガチャリ、と。今度はチェーンを外して。「秘密の城」の扉を開けた。


「よお。春日さん」


「あ! こ、こんにちは!師匠!……あの、お、お邪魔、します……!」


 春日さんが一歩部屋に、足を踏み入れる。  


(……入った)


 春日さんはリビング(偽装済み)をキョロキョロと見渡した。


「わ……! わ……!」


 そして彼女の視線は俺が最も恐れていた一点。


 奥の「スタジオ」を丸ごと隠蔽(いんぺい)している巨大な「北欧風フリークロス(生成り色)」に釘付けになった。


「あの、彼方師匠」


「……(来た!)」


「なんだ」


「あの、布……。もしかして、ですけど……」


(終わった。こいつ親戚の夜逃げとか信じないタイプだ……!)  


 俺が冷や汗を背中に感じたその時。


 春日さんは、目をキラキラと輝かせて、言った。


「……ホコリよけ、ですか!?やっぱり音楽家は機材を大事にするんですね!さすが師匠です!」


「…………は?」


 俺は拍子抜けした。  


(……ホコリ、よけ?……そっちで納得したのか……!)


「(……助かった)」  


(……こいつ、やっぱりただのドジなアホの子だった……!)


 俺の最大の危機(正体バレ)は春日さんの致命的な「察しの悪さ」によって、第一関門を突破した。


 ……だが俺はまだ気づいていなかった。彼女が手に持っているあの「二段重ねのタッパー」が、今日俺の胃を物理的に破壊(デストロイ)する本当の「時限爆弾」であることを。


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