とらぶる☆かとりっく!

ぜろ

第1話

 リーン……ゴーン……。


「シスター・ルイーサ、またねー!」

「ええ、気を付けてねレオン」


 朝の礼拝が終わって帰って行く子供に手を振ってから、あたしは礼拝堂に戻る。そこでは大口開けたあくびをしている金髪銀目の神父様――女の人にも見えるけれどこれで十九歳の立派な男なのよね――が、朝の固い身体をべきべきと鳴らしていた。ジジ臭いなあっと笑って、前任の神父様もそうだったっけと思い出す。私たちに教会を譲って亡くなった神父様は、もう大分ご高齢だったから。でもそんなところ真似しなくても、と、二人っきりの礼拝堂であたしは思う。


 神父とシスター一人ずつの小さな教会だ、ここは。たまに浮浪児がやってくることもあるけれど、そういう時は食べさせて返してしまう。そんなに裕福な教会でもないのだ。信徒はそこそこいて今日も礼拝で回していた篭にはいくらかの募金があるけれど、それも二人で使っていたらすぐになくなる程度の物。

 特にあたしたちの場合はそう。無駄遣いって訳じゃないんだけれど、まあ色々――『色々』だ。先代神父様が遺して行った『ある事』の為に、結構お金は欠かせない。


「フロウ、ジジ臭いよ」


 フロウ――フロレンシオ・グラナダ。それが神父である金髪の青年の名前だ。あたしはルイーサ。ルイーサ・シャルロッテ。苗字はない。この教会にやってきて子供を産み、産後の肥立ちが悪いまま亡くなった女性の子供だからだ。フロウの名前もグラナダ――スペインのこの都市から取っているので、本当にそんな名前なのかは分からないと言う。女性が連れていた子供で。曰くあたしとは兄妹ではないらしいけれど、それもどうなのやらって感じだ。


 銀髪に金目のあたしはフロウとはまるで正反対だし。ぽてぽて椅子の間を抜けてフロウに近付くと、またあくびを零された。朝が弱いのだ、この神父様は。でも日曜礼拝も欠かさず行う、良い神の使徒とやらなのだろう。やっと冬も終わりかけのこの季節はお布団も温かくてあたしたちを離そうとはしてくれない。あふ、と貰いあくびして、あたしは自分の十字架を見下ろした。

 インバーテッドクロスは聖ペテロの十字架。普段は重くて長い方が下になっているけれど、実際は逆十字なのだ。あたしの母親の形見らしいけれど、詳しくは知らない。フロウも、よくは知らないらしい。まああたしたちの歳の差なんて二つだから、覚えてなくても当然かもしれないけれど。


 夜まで清貧に過ごすあたしたちには秘密がある。この街に裏と表があるように、あたしたち聖職者にも裏と表があった。それはより多くの子羊を救うためだと先代の神父様は言っていたけれど、本当のところはどうなのか知らない。単に羽目を外したかったのかもしれない。


「『ロッテ』、行くぞ」

「待ってよ『ラナロウ』」


 教会を境に広がっているのは貧民街。

 その唯一の盛り場に向かう、あたし――『ロッテ』とフロウ。――『ラナロウ』。

 服もいつもより派手なのに着替えて、お化粧もして、髪も結わえて。

 きっと誰も、あたしたちがフロウとルイーサだなんて気づかないわよね。これじゃ。

 破戒にも思えるけれど、これでも一応理由はあるもので――


「やっほールカ、元気してるぅ?」

「おーロッテ、久しぶりィ。相変わらずラナロウと仲良しかあ?」

「まーねぇ。ワイン一杯、店主!」

「はいはい、飲みすぎないようにな、ロッテちゃん」

「店主、俺も」

「はいよ」


 経済を回すにはお金が必要だ。そしてお金があると人は少し裕福になれる。そして裕福になることは心のゆとりを生む。かっぱらいやリンチなんかもしなくなる。

 つまりは街を裏側からも守っていることになるんだよ、とは、先代の神父様の言葉だ。自分はテキーラ飲んで大声で歌ったりしていたから、本当は遊びたかっただけなのかもしれないとあたし辺りは推察しているのだけれど、その辺どうなのかしらね、トーニオ神父。あたしを取り上げて、十六になる去年まで育ててくれた人。今は墓地で冷たい土の中、復活の日を待っている人。


 神父様が父親かも知れない、そう思って聞いたこともあったけれど、あたしを産んだ夫人は訛りも違ったらしくどこか遠いところから来たのだろうとのことだった。身重の身体で家出して来たのか、不義で追い出されたのかは分からない。ただ、教会のドアをたたいた時にはもう陣痛が始まっていたらしく、医者を呼びに行く間もなくあたしを産んだらしい。そして手を繋いでいたフロウは、それをじっと見ていたのだと。


 フロウは何者なのだろう。あたしのお兄ちゃんじゃないのかと聞いたこともあるけれど、曖昧に濁された。もしかしたら違うのかもしれない、思ったあたしが喜んでしまったのは、その時もうあたしはフロウが好きだったからだろう。愛していたからだろう。

 シスターが神父に抱いて良い感情じゃないのは分かっているけれど、あたしはフロウが好きなのだ。綺麗な顔してるところも、こうやって笑いながら酒を酌み交わしている時も。盛り場の隅にある音のずれたピアノを鳴らして、歌え、とあたしに強要してくることさえ。


 民謡のアレンジをするとけらけらみんなが笑う。あたしも楽しいから笑う。ポニーテールにした髪を揺らせると、当たったルカがいてっと笑った。そしておひねりをちょっとだけ貰ってからそれを酒代にして、あたしたちは出て行く。


 こんなことしてるから朝が弱いんじゃないかしら、なんて思ったりもするけれど、それでも良いじゃないかと思っている、やっぱりあたしたちはただの破戒者なのかも、なーんて思いながら。あふっとあくびを漏らすと、『ラナロウ』は笑う。


「飲みすぎたか? 『ロッテ』」

「ナイトキャップがわりには丁度良いぐらいよ、『ラナロウ』」


 けらけら笑ってあたしたちは足早に教会の裏口に向かう。

 それを見ている人なんて知らずに。

 その視線の意味なんて知らずに。


「『マリア』……」


 あたしたちは、ドアを閉じた。

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