『三葉』其之陸

翌日。むしろ翌朝。

 私はホテル内のカフェにて御幸さんと対面しておりました。


 相変わらず対応の早きこと雷鳴の如し。それは素晴らしいことですが、今回ばかりは中一日程度の猶予が欲しかったところです。


 しかし熱は熱いうちに叩けとお月ちゃんにお尻を叩かれ、日が昇る前から身支度を始めてこの場に臨んでいます。若干寝不足気味。


 一方で、もっと仕事をこなしたはずの御幸さんは爽やかな顔をされており、御幸さんの背後の別席を陣取ったお月ちゃんは、モチモチほっぺをツヤツヤと輝かせております。


 なんでアナタがテンション上げとるですか。もー。


「ちょっと失礼します。家の者に連絡を」


「どうぞ。俺も失礼して事務所に連絡を」


 運ばれてきた珈琲に手を付けぬまま、向かい合ってスマホをカタカタ。


 私は目の前のお月ちゃんにメッセージを送り、極秘なる仕事の話もするので帰るように促しました。二、三回だだこねましたが、御幸さん本人を見て満足したのか、急いでカフェラテを飲み干し、席を離れてくれます。


 最後に「ガンバ!」とメッセージをもらいますが、なにをがんばれというのか。


「失礼、お待たせしました」


「いいえ、こちらこそ」


 どちらがどちらのセリフか。二人揃ってスマホを置いたのは数分後のことでした。


「社長さんともなると大変ですね。何度もご足労いただいてしまって……お時間、良かったのでしょうか?」


「前も言いましたが、ただの個人事業主ですよ。それに元々、勤務時間内です。栞葉さんからは自分が撫子さんの元に戻るまでと依頼されています。可能な限り気付かれないようにと言われていましたが、有事があったので仕方ありません。これからは、面と向かって顎の先で使ってください」


「とんでもございません。御幸さんが居てくださると分かって安心しています。未熟者ゆえ、助言やご指導をいただきたいほどです」


 安心と自分で言葉にして、それがお世辞でも建前でもない、事実であることに気が付きました。


 むしろそれ以上。崩国さんの問題に注力すべき状況と分かっていながら、自分の無力さに向き合うべき時と分かっていながら、御幸さんとお話できるそのことに甘い喜びを感じているのでした。


 しかして一意専心。まずはお仕事の話です。


「昨日のこと、改めてお礼申し上げます。御幸さんが居てくださらなかったら、どうなっていたことか」


「どうとでもなったでしょう。撫子さんには柔術の覚えもあると聞いております。むしろ、俺が出しゃばったがためにご希望に沿わない結果になってしましました。お怒りもごもっともです。回りくどい言い回しは苦手なので、はっきりとお𠮟りください」


「いいえ、そんなことは全く! 私の柔術など真似事ですのであの状況では手も足も……はて今、どなたから聞いたとおっしゃいました?」


「いいえ、どなたからも。恐縮ながら、少し撫子さんについて調べさせていただきました。依頼主を知るのも仕事の内ですので、どうかお許しください」


「それはかまわないのですが、ちなみにどこまでのことを?」


「企業秘密です」


 御幸さんは苦笑を浮かべ、誤魔化すように珈琲に手を付けました。私もその筋の著名人と言えば著名人なので、プロフィールを探られるなど日常のことですが、御幸さんの調査力にかけてどこまで探られたのでしょう。


 ひょっとするとスリーサイズや今日の下着の色まで知られているのではと恥ずかしくなりました。そんな私をよそに、御幸さんは珈琲を置いて仕事の話を続けます。


「逃げ出した崩国はあと二匹……失礼、二人ですね。内の一人については封結院が居場所を掴んだようです。数日の内に捕まるかと」


「なんと、そうなんですか。奴らも仕事してるんですね」


「その道の専門家が集まっていますから、我々の生兵法よりずっと効率的に動いているでしょう」


「生兵法……ですよね、やっぱり」


「ああ、すみません。言葉が悪かったです」


「いいえ、分かっています。事実として、今回も思うように運べませんでしたから」


 息を吐き、肩を落とします。


「本当に素人仕事。事の解決を優先するのであれば、私のしていることは余計なお世話、いらぬお節介ではないかと不安に思っています」


「そんなことはありません。四人の内二人は撫子さんの手柄です。封結院は妖に容赦しませんので、崩国にとって撫子さんの存在は安心材料になっていると思います。今回だって、栞葉さんが封結院に付いているから安心して身柄を引き渡せました。そうでしょう?」


「それは栞葉さんのお陰です」


「その通り。その栞葉さんを配置したのは撫子さんの采配です」


「それがなんだと言うのでしょう。誰にでもできることです」


 お優しい言葉をかけていただく度、しゅん、と身が縮こまります。御幸さんも困り顔になってしまう始末。情けなさがずーんと重みを増し、マイナス思考が加速してしまいます。


「昔から、たくさんのお稽古に通わせていただいております。先生よっては厳しく叱ってくださる方もいらっしゃるのですが、大和撫子の名前に委縮し、不出来でも傑作のように褒めてくださる先生もいらっしゃいます。御幸さんのそのお言葉はどちらでしょうか? 人捜しのプロから見て、私は本当によくできていますか?」


「ずいぶんとお悩みのようですね」


「すみません、仕事と関係のない話で」


「いいえ、クライアントのメンタルケアも仕事の内です」


 これも仕事の内、仕事の内。


 仕事に誠実なところは素敵です。しかし、全てがお金を通したやり取りであることを残念に思ってしまう自分がいました。なんたる身勝手。なんたる卑しさ。


「そうですね、正直に言えば少し見積もりが甘く、油断が多いかと思います」


「やっぱりそうですよね」


「しかし、自分の人脈を活かした立ち回りは見事です。行きつく先であっさり信用を得るのも人柄の賜物。俺にはできないことです」


「しかし、私は人を頼ってばかりなんです」


「撫子さんは人に頼っているのではなく、使っているんです。それは悪いことではありません。人の上に立つ者として当然の仕事です。それぞれの長所を考えて上手く扱っていると思います。


 俺も助手が一人、臨時のアルバイトを数人使うことがありますが、どうも上手く扱えません。その点は撫子さんの方が優れていると思います」


「御幸さんにも上手くできないことがあるんですね」


「俺をなんだと思ってるんですか、失敗ばかりですよ」


「そうなんですか? とても優秀に見えます。栞葉さんもそう言っていました」


「外にはそう見えるように振舞っています。そうしなければ信用されませんので」


 御幸さんの口調は淡々としていました。


 事実を事実として告げる。それ以上でも以下でもない。正直で屈託がないのはお月ちゃんも同じですが、御幸さんのそれはずっと大人びていて、心地よく耳に響くのでした。


「御幸さんは失敗した時、どうするんですか?」


「後悔し、反省し、同じ轍を踏まないよう対策を考えます。その積み重ねです」


 シンプル。

 それ故に忘れがちで難しいことです。御幸さんは言葉の後、ふと気付いたように、また愛嬌のある苦笑を浮かべるのでした。


「まあ、俺がこんなことを言ってると、若造が何を語ってるんだと叱られそうですが」


「いいえ、御幸さんはしっかりとしたお方です」


 私は珈琲を手に取り、一口舐めました。お砂糖を入れるのも忘れてしまったので大変に苦いです。


 ですがその分だけ深くコクを感じ、苦みの奥底に僅かな甘さも感じます。お話に夢中になって少し冷めてしまいましたが、とてもおいしいです。


 珈琲本来の味と香りが口腔を満たし、喉元を通ると、少し気が軽くなったように感じました。美味しいものは心を慰めるものですが、それだけでないことは説明するまでもありません。


「これは、俺が言うべきことではないかもしれませんが」


 そう前置きして、御幸さんは声音を低くして言いました。


「今回の件、辛いと感じるくらいなら、後は封結院に任せるのも一手だと思います。彼らだけでも十分に解決するでしょうし、栞葉さんが付いていれば拘束された後も乱暴はされないでしょう。撫子さんは座って待っていればいい。そうすれば、昨日のような危険に晒されることはありません」


「いいえ」


 これは強く、はっきりと答えました。


「乗り掛かった船です。途中で降りては琵琶湖に沈みます。私は最後までお付き合いするつもりです。それに御幸さんが居てくださるなら危険はありません。ですよね?」


 笑顔を作って問いかけますと、御幸さんは柔らかな笑みを見せ、「もちろん」と答えてくださいました。


「では、残る一人の情報を集めましょう。柊さんなら何か知っているはずです」


 御幸さんのおっしゃる通り、反省と後悔はこの身に刻み、一旦は終わり。ここよりも先に前に向こう側に進むため、珈琲を干して立ち上がりました。


【二章『三葉』、終幕】

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