【二章】『三葉』

『三葉』其之壱

 うららかな春の陽射しも天に腰を据え、春休みを終えた学童がわらわらと学び舎へ通う季節がやって来ました。


 私も大学生の端くれ。講義に出席し知性を深めるべき立場にありますが、現在地は京都の端のボロアパートの一室。ノートとペンではなく、両手にコントローラを握って妖怪たるぬらりひょんとモンスターハンティングに勤しんでいました。


「おう、尻尾切ったぞ。素材剥いどけ」


「ちょ、今死にそうなんで待って下さい」


 お断りしておきますが、これは勉学のサボタージュではなく、それ以上の深刻な事態に対応するための処置、接待でございます。多少の遅れはお月ちゃんにノートを見せてもらってカバーする目論みです。


「で、そろそろ教えて欲しいんですが、崩国の村とはどこにありますか?」


「話せんと言うとるじゃろしつこいのう」


 順を追ってご説明しますと、清一郎さんとの別れが済んだ後、桔梗さんの身柄は封結院が預かることになりました。


 一抹の不安はありましたが、桔梗さんの帰るべき崩国村の場所は国家機密。私たちでは送り届けること叶わず、専門の機関に任せるしかなかったのです。


 私の不安は的中し、封結院は桔梗さんの身柄を拘束、軟禁状態に置き、真っすぐ送り返すことはしてくれませんでした。抗議に伺いますと、どうやら、逃げ出した崩国は桔梗さん一人だけではなく、複数名存在する可能性があるとのこと。その情報を聞き出すための軟禁だと言い腐りやがりました。


 その上、私であれば協力的になるやもとそのまま尋問せよとのお達し。解放への一助になればと思い桔梗さんと相対しましたが、二人して困り果てるばかりでした。


「いやさ、確かにアタシ以外にも何匹かいたよ? でも脱出の時は暗かったし、わちゃわちゃしたからさ、誰が何匹逃げ延びてどこへ行ったか分からないんだ。ここの奴らにも何度もそう説明したんだけどねぇ、お役所の人は話の通じないもんだ」


 と、桔梗さんは証言しました。


 私は桔梗さんを信じていますので、それが真実だと疑ってはいませんが、お役所仕事たる封結院はそうは参りません。状況が確たるものとならぬ限り、桔梗さんの身は軟禁されたままとなるそうです。


 数日の間ながら、一緒に遊び回りお酒を交わした仲、へぇそうなんですかと他人事ではいられませんでした。


「ですからこのようにして、ランク上げにお付き合いしてご機嫌を取っているんでしょう。そろそろ教えてくれていい頃合いじゃないですかね」


「もう封結院が動いとるんじゃろ? お前さんはこれ以上首を突っ込まんでいい。専門家に任せて勉強しとれ」


「桔梗さんはお友達です。放ってはおけません」


「お友達なら本人に直接聞けばいいじゃろ。それになんて言ったか、その相手の男も場所を知っとるはずじゃ。わざわざワシに聞かんでも」


「桔梗さんにも清一郎さんもすでに当たっています。お二人とも、私には教えられないと」


「そりゃそうなるじゃろな」


「なんで!?」


「遊郭じゃぞ? 汚ねぇ股座で遊ぶ色街じゃ。大和撫子には教えられん。それに、崩国は男も女もかまわず食い散らかすからの。お前さんの身を案じてのことじゃろ」


 クエストが終わりますと、ぬらりひょんはごろんと畳に身を投げ、煙草に火を付けました。半分ゴミ屋敷のこの1Kでの喫煙は火事が怖いです。いつかボヤ騒ぎになりますよと注意すると、いらんお世話じゃと返されます。


「ワシから村の場所を聞いたとして、どうする気じゃ」


「以前、崩国は二百人程度と言っていたでしょう? まさしく小さな村程度の人口です。脱走の騒ぎは知れ渡っているでしょうし、誰が居なくなったのかも現地人に聞けば一発で分かるかと」


「その考え方は間違っとらんが、はてさて、場所を教えるとなるとなぁ」


「手土産なら持ってきたでしょうが」


「ここと教えるにはちと足りん。よし、ヒントをやろう。それなら面白い」


「まだるっこしい。さっさと教えなさい」


「まぁまぁ、頭を捻るのも悪いこっちゃない。ナゾナゾみたいなもんじゃ。崩国が鼠算式に数を増す妖であることは前に話した通り。その危険性は繁殖力にある。ウィルスみたいなもんじゃ。となれば、押さえ込みたい人間はどうする?」


「そりゃ隔離するでしょう。それがどこかという話です」


「二百匹じゃぞ? どこに隔離し、どう脱走を防ぐ?」


 不服ながら頭を捻ります。山奥が真っ先に浮かびましたが、陸続きでは警備が大変です。政治家の男性が夜遊びに通うのも大変でしょう。


「となれば、島? 孤島ですか?」


 水に囲まれていれば、これ以上の隔離はありません。


「正解じゃ。更に、他国への流出も防ぎたいとなれば、どうする?」


「陸の孤島ってことですか? それは比喩であって現実では矛盾します」


「矛盾はせん。陸の孤島はある。日本にもな」


 再度、不服ながら首を傾げます。国内にも国外にも流出を防げる場所。島。陸の中に。頬に手を当てう~んと傾き、肩までぴったり落ちたところで閃き、姿勢を直しました。


「湖。島があるほど大きな。琵琶湖とか?」


「流石、賢い頭じゃ」


 ぬらりひょんは身を起こしてカタカタとパソコンを触り、琵琶湖の地図を表示しました。


「琵琶湖には四つの島がある。沖島、竹生島、多景島、沖の白石の四つじゃ。内、沖島には人が住んどるがここじゃない。地理的にはもっと北じゃの。真の名は「繚乱島」と呼ばれとる。


 その昔、アイツはなんていったかな。とにかく腕のいい術者がおって、そいつが上手い具合に結界を張りおったんじゃ。そのおかげで漁船は寄り付かんし、人の目では見えても見えぬものになっとる」


「人払いのような術ですかね?」


「そうさな。衛星写真をどうごまかしてるかまでは知らん」


 ぬらりひょんは身を引いてゴミ袋の山に背中を預けました。入れ替わるようにディスプレイを覗き込みます。


 桔梗さんが裸一貫(服は着ている)でどうやって京都まで辿り着いたのか疑問に思っていましたが、謎が解けました。滋賀県出発なら電車ですぐです。少しの小銭が必要でしょうが、桔梗さんであれば、なんとかして稼ぐでしょう。


「場所が分かっても、行き方が分かりませんね」


「その通りじゃ、諦めろ」


「とか言いながら知ってるクセに」


「鬱陶しいのう。ワシを巻き込むな。調べ物なら探偵にでも頼め。何のために紹介してやったと思っとる」


「御幸さんには大変なご迷惑をお掛けしてしまいましたから、私の力でやりたいのです」


「ワシが迷惑しとるが?」


「本当に? 今は女性の姿をしていますが、元は爺でしょう、アナタ。崩国の村に興味はないんですか?」


 問い詰めるとぬらりひょんめ、黙り込みました。図星と見たり。


「お金は私が持ちます」


 さらに追撃。ぬらりひょんは灰皿に押し付けて煙草の火を消し、ため息を吐きました。


「安かないぞ?」


「どんとこいです」


「さっきも言ったが崩国は雑食じゃ、女の客は珍しいが、それだけに食いたがるヤツが多いじゃろう。棒があるわけじゃなし、孕むことはなかろうが、襲われない保証はない」


「確認ですが、それって捕食じゃなくてその、無理矢理な行為ってことですよね?」


「そう言うとる」


 ぬらりひょんはまた煙草に火を点け、ぬるりと私を見上げます。

 心の内に不安はありましたが、それを振り払い、胸を張って答えました。


「大丈夫です。躱してみせます」



ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー・*・ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー



 同日の夜。


 私、ぬらりひょん、栞葉さんの三人で名神高速をかっ飛ばし、滋賀県は長浜までやって来ました。


 ざぶんと揺れる波は近畿の水瓶こと琵琶湖の流水。海にも見紛うデカさですが潮の香りはなく、どことなく生々しい淡水の香りが鼻をくすぐっていました。


 背後に長浜城を背負う広場から黒い湖面を眺めておりますと、闇夜の向こうから光り輝く小舟がすいすいと近付いてきます。


「頼んでおいてなんですが、今日の今日でよく手配できましたね」


「崩国はいつでも客に飢えとる。政府のお遊びだけじゃ退屈が紛れんのじゃ。封結院を通さんでも、金持ちのフリして裏口をちょちょいと叩けばこの通りじゃの」


 ぬらりひょんを振り返れば、美女の姿からナイスミドルな殿方へと妖怪変化をかましていました。どこからどう見てもそれなりの稼ぎを誇る重役の姿。崩国の島へ赴くに当たってはこの方が良いのだそうです。


「いいか、ワシのことは社長か鵺野と呼べ。お前らはワシの付き人で話を通しとる。適当に偽名を考えろ」


「本名でかまいませんが?」


「郷に入っては郷に従え。そういうしきたりじゃ」


 言われまして栞葉さんと顔を合わせます。


「小野小町とかどうですかね?」


「相手も偽名を承知でしょうし、なんでも良いでしょう。私は沙織とでも名乗ります」


 不機嫌そうな沙織さんこと栞葉さん。


 此度の遠征、栞葉さんはもちろん猛反対でしたが、妖怪と二人で行かせるくらいであればと同行してくださった次第です。なんやかんやで身体半分は封結院にある立場の栞葉さんですから、その監視のお役目もあるのでしょう。


 私たちがそんなやり取りをしている内に、光り輝く屋形船が岸に上がり、船から渡し階段が下りました。提灯を持った女性がそれを伝ってテクテクと私たちに近付き、はんなりと微笑みます。


「大変お待たせいたしました。さぁ、お船へどうぞ」


 近くでお姿を拝見し、思わず頬を染めてしまいます。


 桔梗さんに勝るとも劣らない美貌に胸部。お着物を崩して肩から胸の谷間までを露出しておられ、これだけでもお金を取られそうです。


 何より、全身から発せられる濃厚な色気に当てられ、頭がほわほわとしてしまいそう。そんな私に気付いたのか、こちらに向かってニコリと笑ってくださいます。


 流石、崩国。

 彼女もその一人であると嫌でも分からせられました。


「どうぞ、お足元にお気をつけて」


 案内に従って屋形船に乗り込みます。中には広々としたお座敷があり、お二人の美女が既に待機していました。どちらも崩国さんのようです。そして船を操る船頭さんもまた美しき女性。こちらも崩国さんと見て間違いないでしょう。


「どうぞ、おかけになってください」


「まぁ、今宵は綺麗なお嬢さんがお二人も」


「女連れで女遊びに興じようなんて、罪なお方ですね」


 三人の崩国さんが妖しく笑いながら我々三人の手を引きます。


 私に付いて下さったのは、先程も船から降りて迎えに出て来て下さったお方。明るい場所で見るとますますの美人です。


 ふわりとした栗色の髪は肩にかかる程度で整えられ、長いまつ毛が緩いカーブを描いてなだらかな目尻を描き、全体的に優しく親しみやすそうな、ふんわりとした印象を醸し出しています。


 一方で大胆に開いた胸元に覗く双子山のただならぬ質量。見てるだけで重さすら感じてしまいそうです。おそらくは、桔梗さんを上回るデカさですコレ。


「お酒はいかがですか?」


 その双丘が揺れぬなだらかな仕草でとっくりを持ち上げ、深めのおちょこを差し出されます。見れば、ぬらりひょんも栞葉さんも席に着いてお酒を勧められている様子です。


「少しばかり、いただきます」


 この方がお酌をする仕草にも興味が湧き、飲むつもりではありませんでしたが一杯いただくことにしました。


 栗毛の崩国さんは私に肩を寄せ、しとやかな手付きでとくとくと、五分目ばかりにお酒を注いで下さいました。船の揺れで溢れないようにとの気遣いか、私が少しばかりと言ったからか、おそらく両方でしょう。


 唇を付けてつぃっとやりますと、透き通るような酒気が鼻腔に広がり、喉奥から胃の腑までを程よく温めながら、白湯のように身体へ染みこんでしまいます。


「良いお酒ですね、美味しいです」


「ありがとうございます。軽くて飲みやすく、ほろ酔いで止まるお酒です。酔いどれてしまっては、この後のお楽しみに差し支えますので」


 お楽しみ。


 花街に向かう道中であることを思い出し、ふと我が身のことを思いました。ぬらりひょんはどこぞの社長、私と栞葉さんはそのお付きの者と話が通っているらしいですが、彼女らの目にはどう映っているのでしょう?


 見やれば、ぬらりひょんはデレデレに鼻の下を伸ばして手酌を受け、栞葉さんは毅然たる態度でお酒を断っていました。


「女性の私でも、楽しめるでしょうか?」


「はい、もちろん。愛にも欲にも性別は関係ありませんから」


 屋形船にお着物姿の遊女さんたち。さながら江戸時代にタイムスリップしたかのような光景が広がっていますが、価値観はしっかり現代的です。


「お嬢様はどのような女性がお好みでしょう?」


「いえ、私はその……」


 困ってしまいました。

 ここは同性愛者のフリをすべきでしょうか?


 助けを求めてぬらりひょんを見ますが、既に色香とお酒に呑まれたスケベ爺の有様。見ておけぬので目を伏せ、じっくりと答えを探しました。


「すみません、実は私は女性が好き、というわけではないのです。今宵は淑女として夜の作法を教わりたく、馳せ参じた次第でございます」


「まぁ、勉強熱心ですのね。お相手の方は……」


 ぬらりひょんの方へ視線を流しましたので、「違います」と断じました。


「あれはただの社長です。恐縮ながら、余計な詮索はされぬようお願いします」


「大変失礼しました」


 栗毛の崩国さんはくつくつと笑います。


「けれど、そういったご事情であれば、お相手によって趣向も変わって参ります。夜の業(わざ)は千差万別。お教えすることも変わって参りますので、どのような方か教えては下さいませんか? 話せることだけで構いません」


「そうですね……」


 咄嗟に清一郎さんと御幸さん、お二人のお顔が頭に浮かびます。


「年齢はおそらくですが、私の四つか五つ上。とても頼りになる殿方で、凛々しく、誠実で、冷静沈着で勇猛果敢。気配りも怠らない。とにかく仕事のできる方です」


 なんとなく御幸さん寄りになってしまいましたが、深い意味はありません。


「それはそれは、素敵な殿方ですね。お付き合いになってどのくらいになるんですか?」


「いえ、まだ出会ったばかりでして」


「そうなんですか。お相手の方はどのようなご様子でしょう? 愛情は感じますか?」


「いえその……お仕事で知り合ったお人でして、まだ愛だの恋だのという仲では」


「あら、もしかして、手をつないだこともないとか?」


「ないです」


「まあ、それはそれは……」


 栗毛の崩国さんはまた意味深に、かつ悪戯気に笑います。


「そんなに早い内から夜のことをお考えとは、とても献身的であらせられますね」


 頬に飽き足らず、耳まで真っ赤に染まるのが自分で分かりました。

 ひょっとして私、かなりのむっりスケベに見られました?


「失礼しました。お可愛くて仕方なくて、少しからかってしまいました」


「お手柔らかにお願いします。それで一つお願いなのですが、手解きに長けた方をご紹介いただくことは可能でしょうか?」


 かのような猥談に花を咲かせるのにも理由があります。


 我々の目的は情報収集。本当に知りたいのは夜の所作ではなく、逃げた崩国さんの特徴や目的、居場所の心当たりです。まとめてそれを集めようとすれば、地道な聞き込み調査をしている場合ではありません。誰か、崩国の村を統括している崩国がいるはず。その方に近寄りたいのでした。


「もちろんです。我々は元より島までのお暇つぶしもかねて、お客様にご紹介するお姉さまを探る役目も担っております。まあ、我々は誰を選んでも夜のことは得意ですが、手解きに長けるとなると、そうですね、大変失礼ながら、夜のご経験のほどは?」


「皆無です」


「となれば……」


 栗毛の崩国さんが頬に手を当てて首を傾げ、う~んと考え込みます。


 その仕草すらも危うげな色香を放ち、殿方であれば心奪われてしまうでしょう。首の角度、手を当てる位置、目線の行く先。実に参考になります。


「お相手の殿方は誠実なお方、お嬢様の方に経験はなし。特殊な趣向が得意な者よりは、正しく健全な行いを好む者が良いでしょう。


 ただ職業柄、そのような者は数が少のうございます。「長女会」の者であれば確実でしょうが、卑しいながら、少々値が張るお姉さまたちになってしまいます」


「長女会とは?」


「お姉さまもお姉さま。我々は基本的に横一列で序列などはございませんが、それでも別格の大お姉さまです。古い言い方をすれば太夫。夜の業ももちろんのこと、特に高い教養をお持ちで、国賓を接待するのは長女会の者と決まっております」


「お会いできるでしょうか?」


「ええ、その……ご予算に無理がなければ」


 栗毛の崩国さんの視線は再びぬらりひょんへ。実際にお金を出しているのは私ですが、表向きの財布は彼奴が持っていることになっていますので、当然です。


「ま、大丈夫でしょう。ご紹介をお願いします」


「かしこまりました。ですが一つ、お節介をよろしいでしょうか?」


「なんでしょう?」


 白い人差し指がつんと私の頬をつつきました。長いまつ毛を伏せ、緩やかな目を細めて、栗毛の崩国さんが囁くように言います。


「躰合わせは所詮手段。心を掴まねば殿方は逃げてしまいます。大切なのは男女の二人が手を繋いで足並みを揃えること。夜の行いはその道中に過ぎません。どうか、焦りのないように。お嬢様の恋路が叶うことを願っております」


 なんたるマトモなお言葉。

 嘘を付いたことを心苦しく思いつつ、せめて、しっかり「ありがとうございます」とお礼を伝えました。



ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー・*・ー・*・ー・ー・*・ー・ー・*・ー



 船は三十分ほど琵琶湖の波間を進み、やがてどこかに着岸しました。


 移動中、屋形船の窓は閉め切られていて、どこをどう通ったのか分かりません。そもそも闇夜の湖の上ですから見ても分からなかったでしょうが、土地勘のある者ならある程度の位置は分かったりするんでしょうかね?


「ここからは、これをお召しになってください」


 船が止まってから三人それぞれ仮面を差し出されました。


 古風な狐面かと思いきや、よく見ると猫の面。和の意匠が施された可愛くも妖しいお面です。鈴も付いています。


 怪訝に思いながらも郷に入っては郷に従えを思い出し、すちゃりと装着。思ったより着け心地がよく、視界を妨げることもありません。遊びに来たお偉いさん方が鉢合わせ、気まずくならないようにする配慮であることは、しばらくしてから気付きました。


「それでは、心ゆくまでお楽しみください」


「じゃ、そういうことじゃからの。翌朝にまたここに集合ってことでの。ワシはワシで用事があるんで先に行くぞい」


「あーはいはい、どうぞ行ってらっしゃい」


 ぬらりひょんの爺は仮面をつけるや否やそそくさと私たちから離れ、いそいそと村へ入っていきました。私と栞葉さんは船着き場から外観を眺め、ほう、とも、はあ、ともつかない声を漏らしてしまいます。


 まるで、江戸の吉原が現代に蘇ったような絢爛雅さ。古き良き二階建ての木造建築物に挟まれた通りは街灯や建物からの光で明るく照らされ、お祭り会場の如く華やかです。


 通りの先は曲がり角で見通せず、どれほどの建物があって何人の崩国さんが控えているのか、予想以上の規模に呆然とする他ありませんでした。


「黒髪のお嬢様はこちらへ。そちらのお嬢様はどうされますか?」


「一緒に」


 栗毛の崩国さんが私の手を取りますが、栞葉さんが取り返してぎゅっと握ります。まるで幼い子供の手を握るよう。その扱いにはやや不服でしたが、雰囲気に気圧されつつあったのもあって今だけ特例的に甘んじることとしました。


「では、私の後に続いてくださいませ。気になるお姉さまが見つかれば、足を止めていただいても結構です。お嬢様が、それもこんな美人がいらっしゃることは珍しいので、どのお姉さまも快くお相手してくださいますよ?」


「結構です」


 ピシャリと栞葉さん。

 また、くつくつと悪戯気な笑みと共に、我々は崩国の村へ勇み入りました。


 先程ぬらりひょんが消えて行った通りに入った途端、喉から「ひぇっ」と声が飛び出てしまいます。


 四方八方からの視線。それも濃密でぬるぬるとした、直接触られてるんじゃないかと疑うほどの生々しい視線が、全身を舐め回るのです。


 それを追うように、耳をくすぐるは数多の甘い美声。「まあ可愛らしい」「こっちにいらっしゃいな」「遊んであげる」、なんて言葉がさざ波のように押し寄せてきます。


 見渡せば、家屋の一階部分は格子で丸見え状態。どの建物の中にも数人の美女が控え、こちらに熱い視線を送っています。声を辿って見上げれば、それは二階も同様。お着物姿の崩国さんたちが窓や縁側の手すりから身を乗り出し、こちらにおいでおいでと手を振っていました。


 その光景も非日常的でしたが、尚現実離れしていたのは、空気。


 お酒で作った綿あめのような、甘ったるく酔いそうになる空気が場に飽和していました。もし大きく深呼吸でもしたら、そのまま意識が眩んでしまいそうです。


「栞……沙織さん、ひょっとして私たち、とんでもない場所に来てしまったのでは?」


「今更お気付きになりましたか、小町様」


 栞葉さんの手をぎゅっと握り返します。清一郎さんはこの中に入り、よくも桔梗さん一人に心酔できたものです。並の殿方ならふらふらとして、誘われるままに身を委ねてしまうでしょう。


「先程、船での話を聞いていましたが」


 栗毛の崩国さんに続いてようやく歩いている最中、栞葉さんが不意に切り出しました。


「撫子様はあの魔術師の青年と、お知り合いなのでしょうか?」


「え? いいえ? 知りませんが?」


 先を行く崩国さんのお耳に入らないよう、声を小さくして答えます。


「よく知っているように聞こえました」


「咄嗟に話をでっち上げただけです。第一印象を膨らませただけですね」


「そうですか。私も同じ印象を受けました。今後も、このような調査をする機会があれば、頼りにしたい人材ではありますね。清一郎さんからご紹介してもらいましょうか?」


「ええ、それも良いかもしれません」


 御幸さんの存在は私だけの秘密の切り札にしたかったのに。栞葉さん公認になってしまいました。あの状況でしたので仕方のないことですが、我ながら隠し事がヘタですね。今後、気を付けるべきことが増えました。


「あの青年について深くは知りませんが、少なくとも、実力は申し分ありません。実力は絶え間ない鍛錬によって培われるもの。それをこなしてきた精神性を思えば、撫子様のお相手として相応しいかもしれませんね」


「え? いえ? ですから、話を聞き出すためですよ? 私は別にそういう感じでは全くもって微塵の欠片もありませんのでご安心くださいな」


「そういうことにしておきます」


 これは、からかわれているのかしら?


 どうやら栞葉さんは、この度の遠征にかなりご立腹のようです。私へのささやかな仕返しに悪戯を仕掛けるのも必然。かと言って、これはあまりにも荒唐無稽です。確かに御幸さんは素敵な殿方ですが、それだけに世の女性が放っておくわけがありません。既に恋人がいるでしょうし、ひょっとしたら妻帯者かも知れません。そうに違いありません。


 なにより、大和撫子に自由恋愛など、許さるはずもないのです。


「こちらです。少しお待ちください」


 話しながら通りを抜け、二度三度と角を曲がり、花街も奥まったところで歩みを止めました。


 見るに、これまでの建物とは明らかに趣が違います。客人を阻むような分厚い大門と、左右に伸びる長々しい土壁。作りは我が大和家の実家や、御幸さんと二人で清一郎さんに会いに行った料亭に近いです。


 栗毛の崩国さんが先にくぐり戸を抜けて中に入り、そわそわして待つこと数分、大門の片側が開きました。


「私はここまで。では、お楽しみください」


「色々とありがとうございました」


 立ち去る栗毛の崩国さんをお見送りすると、入れ替わるように、大門の内側から別の女性が現われます。


 一目見た瞬間、大きくパチクリ。


 ここまで見たどの崩国さんとも雰囲気が違う。失礼を承知で申し上げますと、桔梗さんを含め、栗毛の崩国さんも肉付きがダイナマイトで強烈な色香の塊と申しますか、いかにも水商売の女といった雰囲気を纏っておられました。


 そこに来てこの女性は、静かでしとやか。白地のお着物を着崩すことなくしっかりと着用になり、前髪も後ろ髪もぱっつんと切り揃えた、まるで日本人形のようのような美しさです。切れ長の目尻や静謐な視線から、高い教養と知性を感じます。


ひいらぎと申します。遠路はるばるのご訪問、深く感謝申し上げます」


 彼女は鈴を鳴らすような声と共に大門から出て、深々と首を垂れました。


「大和撫子さまにおかれましては、以後、よしなに」


 あ、バレてら。


「私は小野小町です。こちらはお付きの沙織さん」


「大和撫子様ご本人を前にして、他のどのような名前を申し上げることができましょう。ぬらりひょんの奴が急に連絡を寄こしてきたので、何が起こるのかと肝を冷やしておりましたが、まさか、このような拝謁(はいえつ)が叶うとは思い至りませんでした。望外の光栄にございます」


 一応の言い訳をしてみましたが、無意味だったようです。いっそ顔も見せてしまおうと仮面に手をかけますが、それは止められてしまいます。


「ご拝顔賜るのは中で。此度の訪問の目的をお聞かせください。我々も、ご相談したいことがございます」


 白い袖に導かれるまま、私と栞葉さんは屋敷の中へ踏み入りました。

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