第41話 異体同心

 

「グレア、早く帰ってこないかなー」


 城の訓練場でシルビィと剣の訓練をしていたルシアンが、休憩時間に遠くを眺めながら呟いた。


「朝から姿が見えませんが、グレア様はどこに行ったのですか?」


「ジョブおじさんのところ。忙しくてアプルジュースが作れないってお手紙がきたから、グレアにお仕事を手伝いに行ってもらったの」


「そうだったのですね。私も飲ませていただきましたが、あのジュースは言葉を失うほどの美味しさでした。グレア様には是非とも頑張っていただきたいです」


「うん。お土産持ってきてくれるのが楽しみ」


 

 少し休憩した後、シルビィが立ち上がる。


「ルシアン様、訓練を再開しましょう」


「はーい」


「次は私が木剣で受けますので、一撃ごとに属性を変えてください。それを10回繰り返しましょう」


「えー。10回も変えるってこと?」


「昨日は5回まで成功していたではありませんか。ルシアン様なら出来ます」


「わかった、やってみる!」


 ルシアンが木剣を構え、シルビィに向かって踏み込む。

 

 初撃は火。シルビィが受ける直前に水へ変化させ、受け流された返しを風に変えて追撃する。


 カンッ、カンッ、カカカカンッ!


 木剣同士がぶつかる乾いた音が連続して響く。そのたびにルシアンの剣は赤、青、緑、茶色と目まぐるしく色を変えていく。


「くっ、速い……!」


 シルビィは元聖騎士団長としての技量でなんとか捌いているが、内心では冷や汗をかいていた。


(剣速もさることながら、この属性変化の精度……。昨日はまだぎこちなさがあったのに、一晩寝たら完全に自分のものにしている。この成長速度、やはり才能が凡人のそれではありませんね)


 9撃目は光属性の眩い閃光を目くらましにし、10撃目で重く鋭い闇属性の一撃を放つ。


「せいっ!」


「──見事です!」


 シルビィが受けきれず、勢いに押されて数歩後ずさった。


「やった! 10回できたよ!」


「はい。完璧でした。これなら実戦でも使えます。素晴らしい才能ですね」


「先生の教え方が良いからかな。これからも──」


 ルシアンがピタリと動きを止めた。


 笑顔が消え、視線が北西の方角へと釘付けになる。それはグレアが向かった山がある方向だ。


「グレアが消えちゃいそう」


「え? 消えるとは、どういうことですか?」


「魔力がすっごく小さくなってるの。ろーそくの火が消える前みたいに」


「まさか。グレア様は大悪魔ですよ? そう簡単に後れを取るとは思えませんが」


「グレアは僕に力を全部取られてるから、少し頑丈な人くらいに弱ってるみたい」


「魔力を返還して送り出したのではなかったのですか?」


「お仕事手伝うだけだから、いらないかなって」


「ち、ちなみにですが、グレア様は今どこにいるのでしょうか?」


「んーとね。あっちの方。ここからじゃ山があって見えないけど」


 シルビィが絶句する。


(ここから目視できる山でも馬で数時間の距離があるはず。悪魔との契約で魔力経路が繋がっているとしても、気配を感じ取れる距離じゃない。それより遠くにいるグレア様を、ルシアン様はまるで隣にいるかのように感じ取っているというのですか?)


 通常、主従契約における魔力感知の有効範囲は数百メートル。視界が通れば数キロと言われている。  


 山を越えた遥か彼方の従者の状態を把握するなど、宮廷魔導士グランドキャスターどころか伝説の賢者でも不可能な神業だ。


「困ったなぁ。グレアが死んじゃったら、世界を滅ぼせなくなっちゃう」


 ルシアンが困ったように眉を下げる。そして彼は何気ない動作で、遠くに向けて右手を突き出した。


「どうするおつもりですか?」


「魔力を送るの。直接渡しに行くには遠すぎるから、ここから投げちゃおっと」


「こ、ここから? 流石にそれはルシアン様でも不可能です! 魔力の授受は接触、最低でも視認できる範囲でないと霧散してしまいます!」


「大丈夫だよ。だってグレアの力は全部僕の中にあるんだもん。細い糸みたいなので繋がってるから、そこを通してドーンって流せば届くよ。たぶんね」


 ルシアンの身体から、訓練中とは比較にならない濃密な魔力が噴き出した。


 空気がビリビリと震え、訓練場の砂が舞い上がる。


 魔力の長距離転送技術はこの世界に存在する。主に戦場で戦う魔導士に向け、安全な領地から魔力に余裕のある魔導士たちを集めて魔力を供給するのだ。


 その長距離を飛ばす魔力譲渡には大規模な魔法陣と、数十人の魔導士による儀式が必要だ。だがルシアンは、ただ『送る』とイメージしただけ。


 感覚的には異体同心。

 自分のモノグレアに、自分のモノ魔力を返すだけ。


 できて当然だと信じて疑わない。


 無茶苦茶な理屈で世界の法則をねじ伏せる。


「それじゃあグレア、受け取ってね!」


 ルシアンの掌から放たれた膨大な魔力の奔流が空間を飛び越え、見えない糸を伝って彼方へと消えていった。


「……うん。今届いたみたい。グレアの気配が大きくなった」


「あ、そうですか」


 ニコニコと笑うルシアンの横で、シルビィは常識の崩壊する音を聞いていた。

 

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