第40話 抗えない本能
「よし、行くぞ」
「急げ。でもなるべく音は立てるなよ」
「承知」
古代竜が守っていたアプルの木にたどり着いたふたり。
「近くで見ると、通常のアプルより大きいですね」
「この木や実は古代竜が放つ濃密な魔力の影響を受けてるんだ。ちなみにデカいだけじゃなく、実が育つスピードも速い。しかも1年中、実が成る」
近づいただけで芳醇な香りが漂ってくる。
その身は1玉が通常のアプルの3倍ほどあった。これなら2~3玉もあれば瓶をいっぱいにするだけのジュースが作れるだろう。
「いつもはひとりで5玉くらい持ち帰るんだが、今回は豊作だな。ふたりで8玉ほど持っていこう」
そう言いながらジョブはアプルの採取に取り掛かった。巨大な木によじ登り、慣れた手つきでアプルを採っていく。
アプルの実とジョブを見上げながら、グレアは己の中にふつふつと沸き上がる欲望を抑えられなくなってきていた。
「あああ、あの。こ、この場で食べてみたりは」
「死にたいならそうしろ。古代竜はアプルの果汁の香りに敏感だ。食べたり、実を落として果汁が飛び散れば、すぐこの場に戻ってくるぞ。ほら、コレを持ってろ。絶対地面に落とすな」
一度降りてきたジョブが3つのアプルをグレアに手渡す。
「食うなよ」
そう念を押して、ジョブは再び木をよじ登っていく。
手渡されたアプルの実。
魅惑的な香りがグレアを刺激する。
彼は悪魔だ。
本能に忠実な種族である。
(……こんなの、我慢できるわけがありません。というかアプルの方が私に食べて欲しくて、これほどの香りを放出しているような気がしてきました。いや、きっとそうに違いない。これはアプルが私に喰えとメッセージを発しているのです)
グレアの理性が、甘美な香りの前で音を立てて崩れ落ちていく。
欲しいものは力ずくで奪い、喰らうのが流儀。目の前に極上の供物があるのに手を付けないなど、悪魔の誇りが許さない。
(これはつまみ食いではありません。この果実がジュースとなり、私の胃袋に収まるだけの価値があるかどうかの品質確認です。一口だけ。一口だけ味わって、残りはちゃんと持ち帰れば良いでしょう)
そう自分に言い訳をして、グレアは大きく口を開けた。
「いっただきます」
シャクッ!!
静かな森に小気味よい音が響き渡る。
その瞬間、グレアの口の中に広がったのは爆発的な甘みと酸味。そして果汁と共に濃厚な魔力が喉を駆け抜けていく。
「ん~っ! 甘露! まさに悪魔的美味!!」
グレアは恍惚の表情を浮かべた。
あまりの美味さに脳がとろけそうになる。
もう一口かじりつこうとした、その時だった。
「おいテメェ! なに食ってやがる!!」
木の上からジョブの怒声が飛んできた。
「あまりに香りが良かったもので、つい」
「食っちまったんなら今すぐ全部口に入れろ! じゃないと──」
ズゥゥゥゥゥン!!
言葉を遮るように大地が激しく揺れた。
遠くで何かが強く地面を蹴り飛び上がった音。
鳥たちが一斉に飛び立ち、森の空気が瞬時に凍りついた。
「ほら見ろ! 戻ってくるぞ!!」
ジョブが慌てて木から飛び降りてくる。
「ま、待ってください。この至高の果実を急いで食べてしまうなど勿体ない。もっと時間をかけて丁寧にいただかなくては」
「馬鹿野郎! そんな時間ねーんだよっ!!」
スッと、巨大な影が通過した。
「う、嘘だろ……。もう戻ってきやがった」
空から強大なプレッシャーが降ってくる。
土埃を上げながら、乱暴に巨体が着地した。
全身を銀色に輝く鱗で覆い、牙を剥き出しにした巨獣。纏う威圧感から、万を超える年を生きた個体であることが推察される。
「矮小な者どもが我の果実に手を出すとは。生きて帰れると思うなよ」
強い殺意を含んだ重低音の声が腹の底に響く。黄金色の瞳孔が、食べかけのアプルを持ったまま硬直するグレアを捉えた。その眼には明確な殺意と怒りが宿っている。
「お、おいグレア! 逃げるぞ!」
「待ってください。まだ半分残っています」
「食ってる場合か!!」
グレアは残りのアプルを強引に口に押し込み、リスのように頬を膨らませながらゴクンと飲み込んだ。
「ふぅ。大変おいしゅうございました」
「グオオオオオオオオオッ!!!」
食後の挨拶に対する返答は、鼓膜をつんざくような咆哮。古代竜が大きく息を吸い込み、その口元に灼熱の炎が渦を巻き始める。
「ふん。古代竜といえど所詮は大きなトカゲ。私の敵ではありません」
アプルの実を食し、その美味さのあまりグレアは酔っていた。
自身は大悪魔である。
ぼーっとした思考の中、そんな勘違いをしていた。
ルシアンに力を奪われた状態であることを完全に忘れてしまっていたのだ。
古代竜がブレスを放つ。
それはアプルの木を傷つけないよう、完璧に攻撃範囲を制御された破壊光線。
グレアは前方に手を翳し、その光線を受け止めるつもりでいた。
破壊の光が地面を抉りながら迫る。
ある程度近づいた時、グレアの酔いが醒めた。
「あっ、やばい」
己が多少頑丈な程度の存在に成り下がっていることを思い出す。
ただその時には、もう回避が間に合わない距離までブレスが迫っていた。
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