第22話 憤怒

 

「ふぅ。今日も頑張りました。偉いですね、私」


 リナが私室から出てきた。

 額には輝く汗。


 シルビィのような割れた腹筋を目指し、彼女は少し前からトレーニングをするようになっていた。


「早く私の腹筋をルシアン様に見ていただきたいですね。そのためにはもう少し頑張らないと!」


 ダイエットの意思とは裏腹に、リナのお腹は「くぅ」っと可愛らしく鳴った。


「……お腹がすきました。あまり食事制限しすぎるのもダメと聞いたことがあります。お砂糖を少なめにして焼いたクッキーなら大丈夫ですよね?」


 自分を甘やかす発言をして食堂へ。

 脳内には昨晩焼いたクッキーの香り。


「昨日もうまく焼けました。あとクッキーを焼いたのはルシアン様にはまだ言っていないので、前回のようなことはありえません」


 うきうきとした足取りで食堂に向かうリナ。


 しかしそんな彼女を、絶望が待っていた。



「あ、あれ? ない、ないないない! 私が焼いたクッキーがない!!」


 いくら探しても出てこない焼き菓子。


「ま、まさかルシアン様が? いやでも、魔法で隠したんです。いくらルシアン様のお力でも、あの隠ぺい魔法を見破るなんてことは──」


 ふと彼女の脳裏をよぎる大悪魔の顔。グレアがルシアンのお願いを聞いた可能性は十分にありえた。


 確証を得るため、リナは熾天使のみが使える最上位スキルを使う。


過去を見通す瞳アカシック・アイ、発動」


 その場の時間が巻き戻るように、食堂の風景が変わっていく。


 メイドたちが忙しく出入りする。

 誰もクッキーの隠し場所には近づかない。


 いったい誰が。

 そう思ったとき、黒い影が見えた。


『あー、ありました。魔法で隠されてましたが、見つけましたよ』


『グレア、ありがとー!』


 案の定、リナが隠したクッキーを奪取したのはグレアとルシアンであった。


「ま、まぁぁたぁぁおぉぉぉまぁぁぁえぇぇぇぇかぁぁぁぁぁ!!」


 憤怒のオーラがリナからあふれ出す。


「許せん。絶対赦さん! お前を滅してやる!!」


 怒りのまま、食堂を出ようとした。

 そのとき──


「こ、これは」


 ルシアンの魔力が放出されるのを感じ取った。


「あのバカ、またやらかしたんですか!?」


 思い出すのはルシアンが拳で城壁と、その先の森まで吹き飛ばした事件。あれにより天界からの監視を掻い潜るための結界を張り直すことになった。


 短距離転移魔法を使い、急いでルシアンの元へ向かう。



 訓練場から少し離れた城の屋根に移動したリナ。彼女はルシアンから放出される魔力の奔流と、なんとか耐えるシルビィ、そして情けなく吹き飛ばされるグレアの姿を見た。


「──くっ。なんて魔力ですか」

「ふぐわぁぁぁぁぁぁ!?」


 シルビィに気を付けろと忠告したグレアだが、ルシアンが木剣を振り上げた時に真後ろにいた彼は、魔力の奔流の直撃を受けてしまったようだ。


「へぶっ!」


 グレアが後方の壁に激突した。


 ちょうどその時、ルシアンは上段で構えていた木剣を神速で振り下ろす。


 筋力量は6歳児。しかし彼は全身を、神速での素振りに耐えうるものへと魔力で強化していた。


 その身体強化は無意識で、まるで呼吸するように行われた。


 身体強化魔法とはまた別の強化術。一流の魔法剣士が長年の修行の末、稀に会得できる者が現れるとされる超高等技術。


 ──魔纏マギ・ドミナス


 大魔族であるグレアから膨大な魔力を受け取りったルシアンはそれを制御するため、自然と魔纏を使えるようになっていた。


 木剣から凝集された鋭利な魔力が放出される。それが魔法耐性のある訓練用の的を切り裂いた。


 ただ今回は込められた魔力量が少なかったこと。訓練場の壁の内側にグレアが、外側にリナが強化魔法を施していたことで貫通は防がれた。


「あっ、今回は的だけを壊せた! ねぇ、グレア。見てたよね!? 僕、言われた通り魔力のコントロールがちゃんとできたよ! ──って、あれ?」


 グレアは少し離れた壁にめり込んでいた。


「えっと。なにしてるの?」


「⋯⋯いえ、なにも」


 何か言いたげな表情だったが、グレアは壁から身を引き抜くと、さも何事もなかったかのように取り繕い始めた。


 その様子を、リナは遠くから眺めていた。


「なんとか壁の破壊は防げましたね。あのバカも、流石に今回は放出する魔力量を抑えることに成功した様子。それにあの、間抜けな格好」


 ふふふっ、とリナは思い出し笑いする。大魔族グレアの脚が壁から生えるようになっていた姿は、彼女の笑いのツボにドハマリした。


「本当なら今日、消滅させてやろうかと思いましたが止めてあげましょう。あの者がルシアン様のそばにいる限り、今回のような無様を見られるかもしれませんから」


 次も期待してますよ──そう言い残して、リナは城の中へ戻っていった。

 

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