花の記憶

八御唯代

娘が連れてきた人形

娘と人形

 久々に娘を連れて外に出た。今日は娘の体調がすこぶる良かったのだ。

 青空の下、スキップをして歩く娘は浮かれていた。フリルがついたお気に入りのワンピース、頭には大きめのリボン。後ろで見ている私としては転ばないか心配だった。しかし、それ以上にはしゃぐ娘の姿を見れるのが喜ばしかった。

 娘が元気な日というのは珍しい。だから今日は仕事を休んで、本や服を買いに行ったのだ。今はその帰りである。私の両手には紙袋が四つほど握られている。ようやく暑さが治まり、歩いても汗をかかなくなった。

 私達が歩いているのは赤レンガの壁ばかりのごく普通の商店街だが、娘の目には宝石のようにキラキラ輝いて映っているようだ。

 ふと、ウキウキルンルンだった娘の足が止まった。突然のことに私は驚いた。

「どうかしたの?」

 娘は何も答えない。商店街と繋がる小道の方をじっと見ていた。

 娘が大好きな黒猫でも見つけたのだろうか。ああもしかしたら、嗅覚の良い娘のことだから、甘い菓子の香りでも拾ったのかもしれない。


「お人形さん」


 小道の方に指を向けた。瞳を見れば、太陽のように煌めく光が宿っている。

「あそこにね、お人形さんがいるの。こっちに来て、っていってる」

「お人形さん……?」

 奇妙な発言をしてこそ子供である。だがしかし、娘の言葉の意味が全く理解できない。

 指の方にあるのは、道と、やはり赤レンガの壁の建物である。しかも商店街に面した建物のようにケーキのショーケースや、ドレスを着たマネキンが飾ってある訳でもない。ひっそりとした雰囲気が娘の興味を引いた可能性はあるが、少なくとも人形の姿など見つからないのだ。

 そもそも、人形が喋るはずがない。喋るのは絵本の中だけだ。

 とりあえず、しゃがんで娘の言い分を聞くとしよう。

 

「どんなお人形さんなのかな?」

「うんと、えーとね……分かんない? 女の子の声がするの。こっちに来てって」

「そんな子は見えないけど……」


 娘も私も首を傾げる。分からないことばかりだ。

 信じようとしない私の腕が、小さな手に掴まれた。

「こっち。こっち!」

 記憶よりも力が強い。

 しゃがんだままだった私は、急に手を引かれたことによりバランスを崩す。しかし娘は、勇敢な冒険家のように前に進もうとした。この先には、それ程娘の興味を引く物、冒険家で言う宝物があるのだ。

「ちょっと待って。行くから、一旦手を離しなさい」

 転びそうになった私は意気揚々とした娘を止める。

 聞き分けの良い子だ。すんなりと私の手を離してくれた。そんな娘を片手で抱きかかえ、「父さんには分からないから、案内してくれないかな」と声を掛けた。

「うん!」

 満面の笑みを浮かべた娘は、早速小道の奥の方へと指を向けた。

「あっちに行って、そこを右にまがって……」

 左手には荷物もあるのに、成長スピードの早い娘を抱えて歩くのは骨が折れるが……中々外に出られない娘が、こんなにも楽しそうなのだ。付き合ってあげるとしよう。





「あそこにいる!」

 十分ほど歩いたところで、娘が歓声を上げた。

 小道と言ったが、どこまでも繋がっている。右に曲がって、左に曲がって、また左……蟻の巣のようだ。ここから帰る時、また一層苦労しそうである。頭が痛い。

 だが、この十分間誰にも出会わなかった。廃墟という訳ではないのだが、とにかく人気がない。やはり、平日の昼間ということが関係しているのだろうか。

 娘は私の方を見て、「ほら」と言った。

 目を凝らしてみる。眼鏡を掛けているのだが、やはり娘の視力には敵わないようで、姿は見えなかった。

 その「お人形さん」を見つけた娘は、私の腕から飛び出そうとする。落ちたら頭を打つどころの騒ぎではない。格闘するのは諦めて、娘を下した。

 すると、とたとた走っていく。

 それでも私が早歩きで追いつける速さだ。


「おとーさん! あの人だよ!」


 そこは行き止まりだった。大量の家具が置かれている。生活に困らない品揃えで、それらの家具は高級品に見えるが、誰も使っていないようだ。置いて行かれた、という感じである。


 しきりに娘が言っていた「お人形さん」もまた、主人に置いて行かれたようであった。


「本当だったでしょ? ね!」

 宝物を見つけた娘は嬉々とした様子である。

「うん……そうだね」

 対して私は、その人形をただ観察していた。喋る人形なんて絵本の中にしかいないと言ったが、その人形の姿は本当に絵本から飛び出してきたようだった。

 チョコレート色のソファに座る人形。

 人間で言えば、年齢は二十代くらいだろうか。若い女性の等身大の人形であった。

 開かれた目は青空よりも澄んだミストブルー。ビーズのように丸く、中は透き通っている。人形に寄り添うように垂らされた艶めく髪はストロベリーブロンド。

 人形と言うには、不気味なまでに人間に近い。

 瞬きをしないこと、純白のワンピースの裾から覗いた腕や、指の関節部分に何やら部品があること。それらがなければ、人間と勘違いしてしまうだろう。


「ねぇねぇお人形さん! あなたが私を呼んだのー?」


 無邪気な娘は、人形に向かって話しかける。あれくらいの子供からすれば、この儚げな人形はお姫様みたいで憧れるのだろう。

 現実離れした人形だが、流石に言葉を話す訳がない。そのはずだ。

 ……ピコン

 途端、電子的な音が鳴って。


「あらあら、随分と可愛いお嬢さんね」


 春雨のように涼しく育ちの良い令嬢のような声が、娘に向かって降り注いだ。

 咄嗟に人形の方を見る。口は閉じられたまま。目は開かれたまま。動いた気配はない。

 ——いやいや、と心の中で言い聞かせる。

 人形が喋るはずがない。もう一度。人形が喋るだなんて、有り得ない。起こり得ないのだ……


「しゃべった!」


 娘の言葉で、それが人形から発せられた物だと裏付けられてしまった。

 三十年以上生きてきた中で初めて体感する、この未知に対する恐怖……それこそ、存在が不透明の宇宙人に対して抱くような恐怖。それに駆り立てられ、冷や汗が頬を走った。

 近づいてはいけない。

 心を躍らせ、さらに近づこうとする娘の肩を掴んだ。お気に入りのワンピースが伸びてしまうかもしれないが、今はそれどころではない。

「やだ。お人形さんの方に行くの」

 こうして子供を引き寄せて、誘拐しようという算段かもしれない。

「ダメだよ。怪しい人がいるかもしれない」

 話し方までお姫様のようだ。これなら娘は惹かれていってしまうだろう。この近くに、声を演出している人でもいるのだ。よく出来ている。

「ちがうもん。お人形さんがしゃべってるの、きこえたもん」

 駄々を捏ねる娘。

 無理やりさっきみたいに抱えようとしたところで。


「酷い言い様ねぇ。ま、人形が喋ったら驚くのも無理はないわ」


 娘も私も動きを止める。

 先に動いたのは娘の方だった。人形を指差して、勝ち誇ったように私に笑ってみせる。

「ほら、お人形さんがしゃべってるじゃん」

「そうね。この世には喋るお人形もいるのよ」

 娘は人形の方へと駆け出していき、不貞腐れた顔をした。

「おとーさん、しんじてくれない」

「まぁ、それは酷い。私が子供を騙そうとしてるとでも?」

 娘が人形側についたことで、一気に私が悪人のようになってしまった。呆気に取られ、その場に立ち尽くす。

 人形の表情はお面のように変わらないが、顔が娘の方に傾けられていた。……つまり、この人形は自分の意思で動くことが出来るのである。

「そんな……人形が自分で動いて、話すなんてこと」

「私の中には機械が組み込まれているから、充電さえすれば自由に動けるの。顔は動かせないけれどね。記憶装置があるから物事を覚えられるし、会話データを学習しているからこんな風に話せる」

 ぎこちなく手を動かし、胸に添えた。


「私はシオン。ここで人が来るのを待ってたの」


 人形が喋ったと言うとオカルトっぽくなるが、機械となると途端に現実味が増す。私も少しだけ警戒を緩め、人形——シオンに近付いた。

「わぁ、ステキな名前だね!」

「そう言って貰えると嬉しいわぁ。お嬢さんのお名前は?」

 またもや私を差し置いて会話が進む。

「マリー。よびすてでいいよ!」

「マリーも素敵なお名前ね。それにワンピースの……」

 いやいや、呑気に名乗り合う状況ではない。会話を遮った。

「人が来るのを待ってたって、どういうことなんです?」

 シオンは目線を泳がせた後、「そうねぇ」と言い渋った。


「簡単に言えば、充電してくれる人を探してたの。電波であれこれしてね。充電がなくなれば動けなくなるし、雨が降れば髪が濡れる……だから、一緒に住める人が見つかればもっと嬉しいわ」


 儚げで美しいという言葉が似合う容姿の割に、発言はかなり我儘である。

 「一緒に住める」という餌に、娘は食い付いてしまった。

「おとーさん。私、シオンといっしょに住みたい」

 上目遣いで、手を組んでお願い事をする。可愛い娘の頼み事だが、流石にそれは受け入れ難い。再びしゃがんで、娘を必死に説得する。

「あのね、マリー。今はその気でも、寝て起きたら考えが変わったりもする。そんな簡単に決断することじゃないから……」

 私というよりも、妻を説得しなければならない。

「そうよ。お母さんとお父さんとも話し合わないと」

 意外な所からの援軍……などと考えてはいけない。

 こちらの味方についているように思わせて、子供を巧みに誘導するのだ。誘拐犯よりもタチが悪い。

「やだー! 今の私が住みたいっていってる! かわいいから!」

 ポカスカ私の肩を叩く。

「じゃあ、お母さんにはどうやって説明するの」

 すると、娘は普通の人形のように黙ってしまった。

 妻によく娘に甘いと叱られる私に対して、妻は容赦がない。ついお土産のお菓子を買い過ぎただけで、三十分にも及ぶ説教が始まる。

 突然自立型人形なんて連れて帰ったら、顔にドロップキックがお見舞いされることだろう。最悪の場合、家を追い出される。


「料理、洗濯、皿洗いとか、家事全般は出来ます」


 急にかしこまった口調で言ったのは、騒ぎの原因だ。

「子供の見守り、護衛もお任せあれ」

 やっぱり、連れて帰って貰う気満々らしい。すらすら、商品のキャッチコピーのように言葉を並べていく。

「充電さえすれば、話し相手としても、家政婦としても役立ちます」

 しかし、内容としては悪くなかった。

 これなら妻を説得できるかもしれない。希望が見えて、娘の顔が段々明るくなっていく。

「……これなら、どうかしら?」

 娘が再度私の顔を見た。

「おとーさん。ダメ? オモチャもおかしもガマンするから」

 折れるな、自分。この圧に負けてはいけない。

「可愛い可愛い娘がお願いしてるのよ〜?」

 人形に煽られるのは頭に来るが……うぐ、娘の上目遣いはボーナス並みに効く。


「おねがい〜!」


 根負けして、私は首を縦に振った。

 必死に妻と自分に対する言い訳を考える。

 仕方がないだろう。普段はあまり自由に動けない娘からの頼み事なのだから。




 勿論、妻にはこっぴどく叱られた。

 幸いドロップキックはなかったが、その代わり一時間以上説教をくらった。娘に甘すぎ、もっと先のことを考えなさい……まぁそんな感じの内容である。

 子供が捨て犬、もしくは捨て猫を拾ってくるのはよく聞く話だが、自立型人形を連れて帰ってくるというのは世界初ではないだろうか。


「そもそも、自立型人形とは何なの? 歩いてきたって言うけど」

「中に機械が入ってるんだってさ。充電さえすれば動けるらしい」


 私はリビングの向こうでコードに繋がれたシオンに目をやった。

 動きは俊敏ではなかったが、人間と同じように歩いていた。とはいえ多くの人目を集めたので、回り道をしてきたのだが。

 それを聞いていた妻は、信じられないというように肩をすくめる。

「なんか不気味ね。呪われてるとか、ないでしょうね?」

「そうだとしても、マリーに危害を加えることはないだろう」

「何を根拠に言ってるの?」

「……さぁ? 現時点では何も起こってない。それに、マリーはあんなに喜んでる。それで良いじゃないか」

 それでも妻の不満は消えないようだが、呆れたように溜め息をつくだけだった。

 シオンの充電は残りわずかだったようで、家に着いたところで電源が落ちてしまった。娘が「シオンが死んじゃった」と大泣きするので、これまた大騒ぎである。まだ事情を知らなかった妻は小首を傾げていた。何をふざけているの、と。

 娘を宥め、シオンの手にコードを繋ぎ、妻に耳にタコが出来そうなくらい怒られ、そして今に至る。

 娘はもうすぐベットに入るところだ。久しぶりの外出で体力を使い果たしたらしく、夕飯辺りから頻繁に目を擦っていた。

「マリー。そろそろ寝る?」

 私の時よりも幾分か優しい声音で、妻は声を掛けた。娘は消え入りそうな声で「うん」と頷く。


「明日は……シオンと、あそぶの」


「そう。じゃあ、しっかり寝て、元気に起きないとねぇ」

「おとーさん……おやすみ……」

 寝室の方に消えていく二人に、私は小さく手を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る