第2話 侵入者の痕跡とは
霧谷透真はやって来た。
噂に聞く、探偵は助手である本多夕人をひき連れ二人きりで――。
貞邦は応接室で二人を迎えた。
「先代は、よく父をご利用いただいたようですが、私が、父より屋号を頂いた探偵の『霧谷透真』です」
下げた頭から、黒い瞳が貞邦を上目遣いでスッと見上げる。その身震いするほどに澄んだ色と淀みない視線に、貞邦は今まで対峙した幾人かに感じた恐れを抱いた。どんなに取り繕っても叶わない種の人間と同じ、自分の虚無感である。一瞬であるが、身震いすらせずに、すぐにいつもの清野原貞邦に戻ったのは流石である。
「何やら、面白い事件と聞きました。私に解けない事件はありません。今後共に、御代に置かれましても、これからよろしくお願いします」
視線を逃げるように、連れの男を見た貞邦に、霧谷はわざとらしく気づいたように笑顔を向ける。
「あぁ、こちらは助手の本多です。一面において、私より優秀な男です」
チリチリ頭をした天然パーマの男だ。こっちは野暮ったく頭を下げた。
「二人共々、よろしく、おねがいしますわ」
品性を欠いた挨拶をするのを、貞邦が見下すように見る。
「ワシが清野原貞邦じゃ、話は聞いておるよな。早速、正体不明の侵入者を調査し、その正体を調べてくれ」
「了解した。そんじゃ」
先に立ちあがったのは、本多のほうだった。
霧谷は「大船に乗った気持ちで、御代はゆるりと休息ください。ただし、探偵のやり方には口を出さぬよう、協力をお願いします」
「わかっとる」
貞邦は先代が、現在の若者でない前任の霧谷透真にこびへつらう姿をよく見て育った。清野原の人間は他人に簡単に頭を下げるものではない。ましてや、あの頭脳明晰な男とは別人、やって来たのはその息子である。
「家の者には協力をさせる。頼んだ」
探偵に頭は下げないが、周りの人間に下げさせるのは苦でもない。短い会合は終わった。
奥の間から、扉を少し開け、女性が霧谷を見つめていた。
「凄い可愛い子がいますが、あれは」
本多が霧谷に問うた瞬間、扉は、バタンと大きな音を立てて閉じてしまった。
葛西は薪尼を彼につけ、館周りを確認させた。依頼を受けた探偵は屋敷を歩き回り、使用人や客人たちからの次々に証言を集めた。
昨日の料理当番を言い渡された料亭の主も屋敷に呼ばれた。既に面通しされた霧谷は、彼の話を頷きながら聞いていた。
「こちらが、誰か分からない人物が利用していた食器です」
「なるほど、で、こちらが座っていた椅子か……、その人物は、手袋はしていなかったと聞いていた」
助手の本多が素早くポケットから道具を取り出し、一人分余計に用意された食器や椅子、テーブルから、幾つかの指紋を採取した。当然、料理担当者や配膳係の指紋も採取済みである。
更に薪尼など微塵も気づかなかった灰皿からは、彼が吸ったとされる洋物の紙巻き煙草の吸殻を回収した。霧谷が黒い手袋をした手で摘まみ上げた吸殻は、本多がすぐにピンセットで摘まみ上げ、ビニール袋に入れた。
薪尼は、煙草の銘柄と近くで販売している場所を調べろと警備の者に声をあげた。
助手の本多がビニール袋を持ち上げ照明に掲げた。
「霧谷、この煙草は、フィルター手前で押し消してます。吸い口に食べ物や唾液の染みや汚れが、ほぼありませんし、燃え方から、男は煙草を吹かしていたと思われます」
「そうだろうな、日頃煙草を吸わないが、いきなり吸って咽る程度でもない。珍しい煙草を吸っているが、この線から足を辿ることは無意味だろう」
薪尼は、奥歯を噛み締め彼らに馬鹿にされているような気分を抱きながら、ぐっと我慢した。
葛西の力も手伝って、昨夜、館に居た者が、次々に呼ばれた。霧谷は、助手と二人で手分けして、それらの人々に事情聴取のように話を聞いた。
葛西が、様子を見にやって来た。
「どうだ。わかりそうか」
「誰も彼も、顔を覚えていないのに、確かに居たと証言する……こいつは本当に面白い事象だ」
「ほう、あの霧谷透真が手間取るというか、それでは困るのだが」
「葛西さん、私は興奮してるんです。誰一人疑わずに彼を訪問者として扱った。傑作な話だが、疑うチャンスはいくらでもあったのに、ギリギリのところで、彼は、まるで霧のような存在の幽霊か、はたまた存在自体が幻の妖怪のように、スッとその場にいる」
うれしそうに広角をあげた。
「これは、どんなエンタメを体験させられるより興奮する。しかも、空想話ではなく、実際に起きたリアルだ。彼は、この状況を楽しんでいるようにさえ思う」
「何も解決していないように聞こえるが」
傍に控える本多が口を開く。
「失礼な事をいうな。この男が行ったのは、一種の心理トリックの応用や」
「心理トリックとは?」
「警備人や、食事担当に、彼は分かった上で彼らの職務を押し述べて聞き返している。つまり、何の仕事をしているのかだ。不審者を入れない、きちんと食事を提供する。これをラベリング話法と言うんや。こいつは、話し相手に己の役割を明確化させてから、親身に共感しとる同調話法を使うてる」
「それぐらい、誰でもやるだろう」
「その後は、警備人にも、食事担当には、誰とも知らぬ人間と長い時間を獲りたくないという気持ちに相反して、心地よくなるこいつと話をしていたいと思わせたんや。こいつは、懐に一瞬で入らされとる。わかるか、小さな事実を積み重ね、大きな事実を通す。いわゆるフットインザドア的話法、そして、一度了承した相手を、維持すべきという一貫性原則を絶妙に話法でひきだしとる」
葛西はムム、と口を絞る。
「更に、最後は彼が譲歩することで、自分も何か譲歩しないといけないと思わせる返報性の原理を巧みに利用しとるんや」
霧谷は、「まぁまぁ」と葛西にむきになる本多を諫める。
「只者じゃないということです。この男、論理的に計画し内部に侵入しています。つまり、これは偶発性から起きたり、偶然から発生したものでなく、意図された危険です。安心してください。私に解けない謎はありませんから」
葛西は「早く、この者が誰なのか、その謎を解いてくれ、これは家の問題にもなってくるんだ」と強い口調で言い放ち、その場を去ろうとした。
「葛西さん、一つお願いしてよろしいですか、昨夜の名簿リストにある人間を、出来れば、この清野原家の屋敷に全員呼んで貰いたい。確認すべきことがありますので」
葛西は「わかった」と応え、「すぐに来れないものもいるだろうが、貞邦さまが呼んでいるといえば、集まるだろう」
霧谷の要望は応えられ、葛西は方面に連絡するためにその場を後にした。
それから、しばらくして、すぐ来れる者から順次、続々と屋敷に馳せ参じた。
一般人とは別に、麗香の夫候補として呼ばれた七人や、政財界の主要人物が、身を正し、ある者は堂々と、ある者はお忍びようにおずおずとやって来た。
霧谷は、片っ端から事情を聴きとった。
夕刻になった頃、霧谷は主人に会いたいと言い出した。
葛西が貞邦に伝えると、彼本人が、まるで捜査本部の様になっている部屋へわざわざやって来た。
「なんじゃ、わしにようか」
霧谷は貞邦を見ると、立ち上がり、一緒に廊下に出た。
「そろそろ、一番奥の部屋に閉篭っておられる、貴方のお嬢様に、お話しをお聞きしたいのですが、よろしいですか」
貞邦が「娘は調子がよろしくない」と答えたが、「一番近くで、あの男と会ったのは彼女です。状況から言って、彼の特徴を覚えている可能性が高いし、重要な事が聞ける可能性があります」と霧谷も譲らない。
断る貞邦に、どうしても譲れないという霧谷の攻防は直ぐに終わった。
娘が直接出て来たのである。
「あの方を探してられるのですね」
館の奥に引き籠っていた麗香は部屋の外へと出てきて、父と霧谷の前に立った。一人怖がっているのかと思っていた貞邦は驚いた。なぜなら、彼女の視線はしっかりと前を見ており、強い意思を感じさせるほどに強気さえ見えていたからだ。
「お父様、是非に話をさせてください。あの方のことは良く覚えています」
貞邦は、娘のために新たに応接室を用意した。話をすることになったが、霧谷は貞邦に向ってこう言った。
「では、貞邦さまは、部屋から退出願います」
眉間に皺が寄る。
「ふざけるな、大事な娘をお前らのような、素性の知れん者と一緒にできるわけないだろう」
思わず本音が出る。
本多などは笑って、「ほらね」と口元を上げて見せた。
父が二言目を話そうとした矢先、麗香が声をあげた。
「お父様は出て行ってください。霧谷さまと直接話がしたいのです」
麗香は貞邦の立会を拒否した。どういうことかと尋ねたが言葉を濁すだけで、狼狽えたのは貞邦のほうだった。
「ご主人、私は彼女の話を聞きたいので、一旦席を外してもらっていいですか」
麗香が父の前では話さないという意思表示をした。
霧谷は本多に視線を送った。
「はい、はい。邪魔者は出て行く事にしましょう」
本多は自らも貞邦の肩を押すようにして、応接間から押し出した。渋々連れ出させれた貞邦は、外で話を立ち聞きしようと葛西や薪尼を含め三人で扉に耳を欹てた。
「ちょっと爺さんにオジサンたち、レディが聞いて欲しくないと言った話を立ち聞きはイケナイ。はい、大人の男なら直ぐに離れましょうね」
手をぱん、ぱんと叩いて、一緒に応接間の前廊下から遠ざけた。
部屋には、少々俯いて口を結ぶ麗香と、前に手を組んで顎を触っている霧谷透真の二人きりとなった。
「なにか話すべきことがあるのですね。他言はしません。言って頂けますか」
麗香はなにやら、凄く緊張した様子で、言葉を噤めずに唇を震わせている。
つづく
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