第2話 埋められた痛み
朝の光が白い壁を照らしていた。
AI刑執行センター——通称「白の区画」。
世界初の“AI同刑制度”による処刑が、まもなく始まる。
——ニュース映像。
静かな音楽とともに、白い建物の外観が映し出される。
画面下には字幕が流れる。
『AI刑執行センター、通称“白の区画”——
世界初の同刑制度、正式施行から一週間。』
キャスターの声が重なる。
「被害者と同じ痛みを、加害者に与える。
これまでにない司法制度『同刑法』が、
今、日本社会を大きく揺るがせています。」
画面が切り替わり、記者が語る。
「この制度は、被害者の最期の体験をAIが解析し、
加害者に同一の感覚・苦痛を再現するというもの。
開発を主導したのは、法心理学者・篠原仁博士。
彼はこの制度を“痛みの均衡”と呼びます。」
篠原という男のインタビュー映像が映る。
彼は白衣のまま、淡々と語る。
「人は他者の痛みを知らないまま、
罪を語ろうとする。
だからこそ、正義が形を失った。
我々はその均衡を取り戻すために、
“痛みを共有する司法”を選んだのです。」
——ナレーション。
ニュース映像が流れる中、静かな声が続く。
「この“同刑制度”は、AI〈JUDGE〉が全自動で執行。
被害者の神経データ・現場記録・心理波形を解析し、
一致率99%以上の再現を実現。
それはもはや“処刑”ではなく、
完全なる“体験の再生”だと専門家は語ります。」
画面に反対派のデモ映像。
「人間の尊厳を取り戻せ!」と書かれたプラカード。
その下に映るのは、遺族たちの沈黙。
「しかし一方で、被害者遺族の多くはこの制度を支持。
『ようやく報いが訪れた』という声も上がっています。」そうして生まれたのが、**同刑制度(Pain Equilibrium Law)だった。
正式名称は「被害体験同一刑執行法」。
ある開発主任の提唱による、世界初のAIによる“痛みの再現刑”**である。
つまり——
「被害者が受けた痛み」と「加害者が受ける痛み」が完全に一致する。
執行はすべてAIによって行われ、
人間の感情・恣意・報復心を完全に排除することを目的としている。
篠原は言った。
「正義を行うのは人ではない。
痛みを知るのもまた、AIでなければならない。」
この理念は、多くの賛否を呼んだ。
人間の倫理を超える「冷たい正義」として批判される一方、
被害者遺族や女性たちの間では、
「やっと本当の報いが訪れた」と、支持の声も高かった。
やがて——
国家はそれを“法”として認め、
“AI同刑制度”は日本の司法を根底から変えることとなった。
篠原仁しのはら・じん
国家AI倫理委員会主任技師。
そして、“同刑制度”を設計した張本人。
元は犯罪心理学者として、加害者の心理と人間の「悪」を研究していた。
AIによる刑執行制度〈同刑法〉を提唱し、
国家の倫理基盤を根底から変えた男。
——AIに痛みを学習させ、
加害者に被害者と同じ苦痛を再現させる。
その理念は冷徹に見えて、どこか人間的だった。
人々は彼を“狂気の天才”と呼ぶ。
だが、篠原自身はただ静かに言う。
「俺は、正義を作っただけだ。」
それは復讐ではない。
彼が求めたのは、痛みの“共有”による理解。
——被害者が感じた絶望を、加害者にも“わかってほしかった”。
AI〈JUDGE〉は、その理解の果てに生まれた。
彼にとってそれは技術ではなく、
罪を「終わらせる」ための儀式だった。
温厚で優しい笑顔を見せるその裏で、
篠原を突き動かすものは何なのか——。
「先生、朝ごはん食べました? またコーヒーだけでしょ。」
彼の隣に立つのは、補佐官の翔。
宮原翔みやはら・しょう
国家AI倫理委員会技術補佐官。
篠原仁の右腕として〈同刑制度〉の運用を支える青年。
25歳。明るく人懐っこく、誰にでも愛される性格。
その柔らかな笑顔と無邪気な会話は、
冷たい研究施設の中で唯一“人間らしさ”を感じさせる存在だった。
——しかし、その裏には深い傷がある。
まだ若いが、篠原の思想を深く信じ、
彼の右腕としてこの制度の開発に尽力してきた。
明るい声が静寂を破った。
補佐官の翔が、スーツのポケットにパンの袋を突っ込んだまま入ってくる。
少し寝ぐせのついた髪を手で押さえながら、軽く笑った。
「初の公式執行の日に、先生が倒れたらニュースになりますよ。」
篠原は視線をモニターから外さず、にこりと答えた。
「緊張して喉が通らないだけだ。」
すかさず翔は「そう言うと思った。」と笑う。
篠原は視線をモニターから外さず微笑む
「……なんで君は毎朝、僕の食生活を監視してるんだ。」
「監視じゃなくて健康管理です。先生が倒れたら僕の仕事が増えるので。」
「なるほど、自己防衛か。」篠原は翔の頭をくしゃくしゃ撫でる。
翔は笑ってパンを差し出す。
「ほら、半分こしましょう。ちゃんとハムチーズです。」
篠原は苦笑して受け取り、一口かじった。
「……塩気が強いな。」
「正義は、ちょっとしょっぱい方がいいんです。」
「何それ、どこで覚えた哲学だ。」
2人の笑い声が、白い部屋の中に柔らかく響いた。
その音は、機械の駆動音よりもずっと“人間らしい”音だった。
翔は笑いながら、いつものように篠原の隣に立った。
ふたりの視線が、ガラスの向こうの執行室に重なる。
翔の表情からは、恐れや疑いは見えない。
むしろ、その目には強い意志があった。
「先生……いよいよですね。」
「ああ。長かったな、翔。」
翔の瞳には、緊張よりも誇らしさが宿っていた。
「これでやっと、被害者が報われる時代が来る。
これが……僕たちの正義なんですよね。」
篠原は頷いた。
「正義は、痛みを知った者だけが語れる。
君もそれを知っているはずだ。」
翔は一瞬だけ笑みを薄め、視線を落とした。
「……はい。忘れたことは、一度もないです。」
だがすぐに明るい笑顔を取り戻す。
「でも今日は難しい話はナシです。
せっかく歴史的な日なんですから、笑っていきましょう。」
篠原は小さく息を漏らす。
「君の明るさには救われるよ。」
「でしょ?」
翔の無邪気な笑顔が、
この“白の区画”で唯一の“色”だった
篠原は苦笑を浮かべた。
翔の“無邪気さ”は、彼の中にまだ残っていた“人間らしさ”を思い出させる。
ガラス越しの光が、ふたりの顔を照らしていた。
⸻
画面の中には、一人の男がいた。
拘束具に固定され、口には浅い呼吸音が漏れている。
彼の名は田島隆司(28)。
事件の記録が、冷たい数字のように流れる。
被害者:女子高校生(17)
事件内容:性的暴行の末、生きたまま土中に埋没。
犯行動機:刺激目的。反省の言葉なし。
記録を読むたび、篠原の胸に鈍い痛みが走る。
モニター越しに、被害者の母親の映像が映る。
被害者遺族、加害者遺族、共に立ち会い閲覧の選択が可能である。
少女の母親は白い部屋で震える手を握りしめていた。
「あの子が最後に見た景色を……あの人にも見せてください。」
その言葉が、篠原の脳裏にこびりついていた。
⸻
AI〈JUDGE-01〉の機械音声が響く。
《同刑シミュレーション、開始。環境再現モード:土壌密閉。》
AIが田島に近づき押さえつけ衣類を剥ぎ取る。
AIは無表情のまま田島の下半身を触り動かす
「痛い。やめてくれーーーー。」
それでもAIの手は止まらない。
「引きちぎれるーやめてくれー」
大きな叫び声にも似た声が響く。
AIの手は血が滲むが容赦なく動いていた。
田島は激痛で意識が朦朧としてきたが後に床が静かに開き
装置の内部に黒い砂が流れ込んでいく。
田島は恐怖で顔を引きつらせた。
「や、やめてくれ……頼む、やめてくれ!」
AIの声が応答する。
「あなたも、彼女にそう言われたはずです。」
「ひっ……やめてくれぇぇ!!」
AIの機械アームが動き、
自動装填された砂を、一定のリズムで降らせていく。
「私も、苦しかったよ。
息ができなくて、助けを呼んでも誰も来なかった。」
その声は、被害者の音声データをもとに合成されたものだった。
抑揚の少ない声なのに、不思議と“生”の気配があった。
田島の身体が震える。
足元から、じわじわと砂が首元まで迫る。
「た、助け……っ、息が、でき、ねぇ……!」
「死にたくない……助けて……!」田島はもがき砂から顔を出そうとするがその仕草も虚しく砂は降ってくる。
AIのセンサーが反応する。
「生体反応、急激なストレス値上昇。心拍異常。」
苦痛と恐怖の信号が、被害者の記録と重なっていく。
田島の叫びは、データの再現ではなく——“記憶の継承”だった。
篠原は目を逸らさなかった。
翔もまた、画面に釘付けになっていた。
AIが淡々と告げる。
「同刑完了まで、残り一分。」
田島の目が大きく見開かれる。
手が砂の中をもがくように動くが、
次第にその動きは鈍くなっていった。
「……っ、く……る、し……」
やがて声が途絶える。
砂の表面だけが静かに沈黙していた。
《同刑執行完了。被害者体験との一致率:99.1%。》
モニターの数字がすべて“0”に変わる。
篠原は深く息を吐き、目を閉じた。
⸻
別室では、被害者の母が涙を流していた。
泣きながら、それでも小さく呟く。
「……少しだけ……あの子が、報われた気がします。」
その隣で、夫が黙って妻の肩を抱いた。
画面には砂に覆われた男の姿が映っている。
⸻
さらに別の部屋。
加害者の両親も同じ映像を見つめていた。
母親は両手で顔を覆い、父親は何度も唇を噛んだ。
「……仕方ない。あの子がやったことだから……」
そう言いながらも、
涙が頬を伝い落ちていく。
目の前で苦しむ我が子の姿。
それでも、否定できない罪。
誰もが、言葉を失っていた。
⸻
執行が終わり、部屋に静寂が戻る。
翔が篠原の隣で呟く。
「……これで、もう被害者の無念は晴れますね。」
篠原は頷いた。
その瞳は静かに光を宿していた。
「これが正義だ、翔。
人が生み出した痛みを、人の手ではなく機械が還す。
これで、初めて均衡が生まれる。」
翔はまっすぐ篠原を見つめ、
少年のように微笑んだ。
「先生……僕、信じてます。
この制度がきっと、世界を変えます。」
篠原の唇に、微かに笑みが浮かんだ。
だがその瞳の奥には、誰にも見えない影があった。
「ああ……これで、ようやく始まる。」
AIの報告音が響く。
《同刑第2号、準備開始。》
そしてモニターには、
まだ温もりの残る砂の山が、静かに映し出されていた。
—画面がフェードし、白い文字が浮かぶ。
『痛みを与えた者には、痛みで応える。
それが、人間社会の均衡である。』
白い部屋を見つめる2人。
「AI同刑制度——
人の手を離れた“正義”は、
いま、初めての息をしている。」
白の区画には、再び無音が戻る。
時計の秒針の音が「チク……チク……」と響き
篠原は背を向け、白い廊下を歩き出した。
その足音が、静かに遠ざかっていく。
正義の始まりは、いつも誰かの終わりからだった。
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