第25話 相棒
地鳴りのように歓声が響く。
狭い室内で埃が舞い、女が倒れ込んだ。
コレットは倒れているのが自分であると気付くのに、幾分の時間を要した。
「リーシャ! 無事!?」
覚えのある声だ。
頭を抱えながら振り返ると、そこには見覚えのあるゴキブリのような黒い髪の女。
名前が思い出せない。だが、そんな事はどうでもよかった。
リーシャが蒼白の表情で声の主を見る。
「……カレン」
どうしても思い出せなかった名が、コレットの耳に刺さる。
「ほっぺの傷、大丈夫?」
「……前の傷が、……開いただけだよ」
リーシャの弱弱しい声に、思わず抱きしめる。
いつもの覇気は無く、冷たく震えている事に気付き、一層力を込めた。
一体何があったのだろう。
「……ゴキブリ。どこから沸いてきたの?」
「懐かしい悪口ね。頭は学生のままなのかしら?」
カレンがゆっくりと立ち上がり、コレットを睨みつける。
コレットの影が一層濃くなった気がした。
「よくも、私の邪魔をしたわね」
「こっちこそ。よくもリーシャをこんな目に合わせたわね」
殺意を正面に受け止めながら、拳を握る。
「いつまでも、あの頃のままだと思わないで」
カレンの瞳に強い意志が宿る。
「絶対に許さない」
二人が同時に同じ言葉を口にする。
カレンは見下ろし、コレットは見上げながら。
互いの立場の違いを表しているようだった。
コレットが目を血走らせながら、レンチを振りかざし、カレンに襲い掛かる。
カレンの息を吐く音が聞こえた。
足を踏みしめ、振り下ろされる腕を掴み、背負い投げをする。
大きな音と共に、鮮やかなる一本。
背を強打したコレットが悶絶の声を上げる。
「……だから言ったでしょ。もうあの頃とは、……違う!」
「ぐっ、ぬぅ!」
転げるようにカレンから距離を取る。
付近にあった椅子を投げつけ、レンチを振るう。
カレンはリーシャを動けないリーシャの肩を抱き、身を投げるようにレンチを躱した。
「っそ! くそ! 私は……あんた達とは違う! 高みへ行く人間なの! だから……!」
怨念じみた気配がコレットを包む。
「……勝てば官軍、負ければ賊軍……」
「……もう止めて。これ以上やると、あんたもう引き返せない!」
カレンの忠告を無視して、レンチに力が籠る。
「……勝敗は、決したよ。……ハルの。ライトニングの、勝ちだ」
リーシャの力ない声が、室内に染み渡った。
その声に反応したコレットが、ようやくモニターを見る。
そこには、アヴァランチの残骸と、美しい白い駆体が映っていた。
「――それがどうした!」
コレットの一喝が空気を割る。
「こんな事をして、もう戻れない事は理解している!」
レンチで壁を砕くように叩く。
「私が負けたから何だ! 私は、……私だって、努力してきた! ずっと、ずっと! あんた達に有って、私に無いモノって何よ!? 何がいけなかったの!?」
「……何を、言っているの?」
カレンから困惑の声が漏れ出る。
「まとめて殺してやる」
リーシャは恐怖で痺れる身体を必死に堪えて、扉に手を当てて立ち上がろうとする。
瞳に狂気を宿すコレットの異様さに、カレンが距離を取りながら、リーシャを支える。
「……リーシャ、この場は、私に任せて」
カレンがバックから絆創膏を取り出し、リーシャの頬の傷の手当をする。
「勝利者インタビューに行っておいで」
「……行かせると思う?」
「大丈夫だから。私を、信じて。この扉から部屋を出たら走って。絶対に、振り返らないで」
大丈夫だと思った時によくやる、軽く片目を閉じる仕草。
遅れて笑顔になるカレンに、釣られて口角が上がる。
「……うん!」
胸に熱いものがこみ上げ、まだ震えが残る足に力を入れて立ち上がる。
「カレン、無茶しないでよ。それと、ありがとう」
「……ようやく、学生時代の時の、恩返しが出来たね。早く行っておいで。貴方の、相棒のところへ」
「……相棒、か。……うん。行ってくる」
「待て!」
リーシャがドアノブに手を掛けた瞬間、コレットがレンチを投げつける。
カレンは咄嗟にバッグで叩き落とした。
「ありがとう、カレン!」
「行って!」
力強く頷き、勢いよく扉を閉めた。
扉の軋む音だけが静かに響いた。
カレンはロッカーを扉の前に倒し、コレットの追跡を阻む。
大きな音に反応したリーシャの足音が止まる。
「大丈夫だから、走って!」
「……分かった!」
遠ざかる足音を確認して、コレットに向き直す。
「あんたの事は大嫌いだったけど、ここまで堕ちる人間とは思わなかったよ」
カレンが扉に突き刺さったレンチを抜き取る。
「ゴキブリの分際で……」
「その変わり様……。何があったの?」
カレンがレンチをコレットに突き付ける。
「あの人に、認められたのは、私のはずよ。そのはずよ。そうじゃないと……」
コレットが最初に落としたレンチを拾い上げ、同様にカレンに突き付けた。
あの人という単語に眉をひそめる。
「どうでもいいけど、そんなに殺気だったら、事故が起こるよ? ……センパイ」
カレンの口角がコレットを嗤うように上がる。
蛍光灯の薄明りの下、女の維持と維持が交差する。
「あぁああ!」
最初に動いたのはコレットだった。
獣のような咆哮を上げ、殺意を乗せてカレンに迫る。
金属がぶつかる鈍い音が、瓦礫のような室内に響く。
目を血走らせ、カレンに肉薄する。
「死ね死ね死ね! 私を邪魔するやつは! みんなぁ!」
カレンの顔をめがけて何度も殴打をする。
全て届かず、苛立ちで椅子を蹴とばす。
「……」
ふと、カレンの目から何かが消えたような気がした。
虚を突き、身体を逸らす。
バランスを崩したコレットが体制を崩す。
その足に。
何かが引っ掛かったような気が、した。
回る景色。
落ちる感覚。
浮遊感が急に停止し、視界が捉えたもの。
それは、割れた椅子の破片だった。
「ああぁあ!?」
右目を抑えながらコレットが絶叫する。
指の隙間から大量の血が流れていた。
痛みと混乱の中、コレットの精神が揺れていた。
「目が! 私の目が!?」
脳髄に流れ込む、真っ赤な激痛。
「……ふぅ」
黒い髪をかき上げ、溜息を一つ。
リーシャには絶対に見せない、冷たい光がカレンに宿っていた。
「ほら、「事故」が起こった……。それにしても闘技場に裏切られるなんて、滑稽ね。コレット先輩」
痛みで叫ぶコレットとは、まるで対照的な女がそこに居た。
「昔、結構虐められていたけど、やっぱりあんたの気持ち、これぽっちも理解できない」
少し乱れた前髪を手櫛で軽く整える。
その本心に偽りはなく、少し考えたカレンが、心底どうでもいいように鼻で笑い、再び冷たい眼をコレットに向ける。
「……さて、警備を呼ぶ前に、聞きたい事があるの」
カレンがポケットから、黒い革製のケースを取り出す。そこから注射器を取り出し、アンプルから透明な液体を注入する。
「……時間が無いから、手っ取り早く。壊れるなら、その後にして頂戴」
痛みでしゃがみ込むコレットと目線を合わせる。
「ひっ!」
針先から透明な水滴が一つ。
そこに映るのは、知った後輩ではなく、見知らぬ女の冷たい視線だった。
「な、何それ? 何をするの!? 止めて、止めて! 止めて!」
コレットの首を片手で掴み、声を封じる。
「うるさい。手元が狂うでしょ?」
右目から流れる血がカレンの手を汚す。
過去の因縁か、必要以上に力が手に籠る。
逡巡が一瞬よぎったが、すぐに冷静さを取り戻した。
氷の瞳がコレットを物体として映し出す。
薬品を無駄のない所作でコレットの首に打ち込む。
「……あの、EXナンバーのホムンクルスの入手経路について。ちゃんと答えてもらうからね」
腕時計で時間を確認する。薬が回るのにおよそ三分。
痛みと投薬による苦しみで悶えるコレットの前に血が付いた椅子を置き、腰を下ろす。
蛍光灯のちらつく音。凍える程に寒々しさを感じる室温。
闇を孕んだ女の気配が黒を増す。
投薬してから一分が経過した。
蛍光灯が影を作る。
腕時計に映るカレンの冷たい目だけが光って見えた。
「……あんたが壊れるまで、残り、二分。……それじゃあ、始めようか」
「あ……、ああ……っ!?」
明るい、無機質な声。
腰かけた椅子で足を組み直し、やがて壊れ始める人間を細目で観察する。
それは過去の復讐などよりも遥かに――。
冷たい密室で、二人だけの尋問が始まった。
一歩進むごとに強く感じる歓声。
身体の芯まで轟く音の塊が、リーシャの身体を熱くさせる。
眩い光がリーシャを包む。
割れんばかりの喝采。
舞う機券の紙吹雪。
今まで感じた事の無い、大勢の声に頭が真っ白になる。
白い駆体がリーシャの傍に寄り添う。
「肩に傷つけず、勝ったぞ。約束通り、な」
「……うん。知ってる。……おめでとう」
拍手と閃光の渦の中で、何が現実で何が夢かも分からない。
リーシャの違和感に気付いた宗春が、自分の左頬を指さす。
「何でもないよ。大丈夫」
闘技場の中央に急いで設置されているステージへ、共に歩みを進める。
「リーシャ」
「何?」
「俺は、俺のために剣を振るう。それに違いは無い。でも――」
途切れない歓声のアーチの中、宗春の足取りは軽く聞こえた。
「それは復讐のためではない。俺は、終わらせたいんだ。あの夜を」
宗春が立ち止まり、それに気付いたリーシャが振り返る。
青い単眼がリーシャを真っすぐ見つめる。
「だから、俺に。力を貸してほしい」
風が吹いた気がした。
周囲の一切の音を白く塗り替えて。
心に、小さな火が灯る。
少しだけ痛む頬の傷を撫で、照れた笑顔で青い単眼を見つめ返す。
「うん。行こう、……相棒!」
リーシャが拳を前に突き出し、宗春も遅れて拳を合わせる。
合わせた拳から再び世界が彩りに包まれる。
古のサムライと、ようやく心を通わせる事ができた気がした。
リーシャの胸に安堵と嬉しさが熱となって込み上げる。
降りしきるような音の雨の中、単眼の鉄面皮が、心無しか笑っているように感じた。
絢爛な室内で手を叩く音が小さく響く。
薄紅色の髪の女、リヴェラが満足そうに眼下の二人に拍手を送っていた。
「ブラーヴァ! リーシャちゃん最高! ……そういえばあの、コー……、コレ? 何ていう名前か忘れたけど、あの娘。まぁまぁ良い仕事をしたわね」
テーブルの上のスパークリングワインに軽く口を付ける。
「やはり、EXナンバーのホムンクルスは、魔法の力が宿るようね。それに反応したあの白い導機兵にも興味が沸いた」
後ろで控えていた黒服の男が「魔法」の言葉に反応し、リヴァラを嗜める。
「……もう。分かっているわよ。言動には十分注意を払うから」
むくれたように頬を膨らませながら、頬杖をつく。
「リヴェラ様……」
黒服の隣に控えていた中年の女が、申し訳なさそうな声でリヴェラの名を呼び、僅かに視線を送る。
「それでは、約束通り、私はそろそろ……」
「貴女、とても良い仕事をしてくれたわね。ありがとう、“シシリ”……」
シシリが光の奥の影から姿を現す。
その顔は青空市の時のような人懐こさはなく、細い目から覗く眼光は裏社会を生きてきた人間のそれだった。
横領した商品を、市場で転売しているところをリヴェラに取り押さえられ、押し付けられた怪しげなホムンクルスの販売を提案された。
病気の娘。
すでにシシリの周辺状況を調べ上げている事を告げられ、蜘蛛糸に掛かった虫のように絡め捕られ続けていた。
その契約も、今日終わる。
「正直、良心の呵責に苛まれましたが……。私にも守るべき家族がありますので」
「歩留まり品って設定だっけ? 約束よりも少ないけど、ま、逆に良い感じでバラ撒いてくれたわ」
「……私があの娘や、他の選手を応援していた気持ちは……本物、でした。ですが」
一体どの口が言うのだろうと、シシリは自嘲した。
「ま、お金には代えられないわよねぇ。術後の経過も良好のようで、何よりだわ」
その言葉に唇をかみしめる。
「それに“情報局”の動きもそろそろ活発になってくるから、……そうね。これからの時期なら南がいいかもね」
「……はい。それでは」
「さよーならー」
踵を返すシシリに見向きもせず、形だけの言葉を贈る。
扉が閉まる音。
一連を見ていた黒服がシシリを追うか、と尋ねる。
「本来ならそうするべき、なんでしょうけどね。……アレも腐っても「プロ」よね」
黒服が一歩後ろに下がり、元の直立に姿勢を戻す。
「危害を加えちゃったら“契約違反”になっちゃうから、止めとくわ」
リヴェラが泡立つグラスを見つめる。
グラスの湾曲が、青い瞳を歪めた。
リヴェラの興味は宗春。もはやその一点のみにあった。
「……ふふ。僥倖、僥倖。これで計画が一つ、先に進められる」
グラスの中の僅かな琥珀を飲み干し、ナプキンで口元を上品に拭う。
リヴェラの青い瞳が妖しく光る。
「邪魔が入ろうとも、関係ない。呑まれるが良いわ。この国の大きな歯車に、ね」
リーシャとライトニング二式。
二人の姿を瞳に焼き付け、その場を後にした。
その後。
「あー、珍しく貸し切りじゃん。存分に足を伸ばせるのが嬉しいねー」
湯気が満ちた空間に、リーシャの声が心地よく響く。
アウラ地区の大衆銭湯。湯気に包まれた三人の娘たちが、のんびりと浸かっていた。
「リーシャ、おめでとう」
「えへへ。ありがとう。ダリア」
頭にタオルを置いたリーシャが笑顔で答える。
「カレンも、リーシャを助けてくれてありがとうね」
「当然、当然! というか、間に合って良かったよ」
「そういえば、あの後、コレット先輩はどうなったの?」
リーシャが湯で顔をすすぎながらカレンに質問をする。
カレンはパシャリとリーシャの顔に湯を引っかけ、頭のタオルを落とした。
「あー……。あの後は、警備の人を呼んで引き取ってもらったよ」
笑うカレンの顔に、今度はリーシャが湯を引っかける。
子供のような湯の掛け合いに笑うダリア。
その飛沫を二人が同時にダリアへ浴びせる。
ダリアも参加して、収集がつかなくなってしまった。
学生時代を思い出す、他に誰もいないからできる遊び。
だが誰かが入ってきたのを感じ、ピタリと中断。
三人が目を合わせて、笑い合う。
「カレン」
「ん?」
リーシャの声にカレンが優しく答える。
「前に聞かれた、質問だけどさ」
「前? ああ、ホムンクルスに意識がどうとか、っていう?」
「そう、それ」
リーシャは、顔に滴る湯をタオルで軽く拭い、再び頭に乗せる。
老人みたいないつもの仕草は、祖父の影響なのだという。
「……あるよ。ホムンクルスに意識は、絶対、ある」
湯気の向こうの強い意志を、カレンは感じた。
「あー。お父さんがまた怒るやつだ」
「あの親父が怒っても、私はそう結論付けたんだもん」
二人の笑い声を余所にカレンは二人から視線を外し、窓の向こうの欠けた月を見上げる。
薄い雲がかかり、ぼやけた月光が湯気と重なり、更に霞んで見えた。
「熱いから先に出るねー」
「あ、私も」
騒がしく湯舟を出る二人が立てた波に、身体が揺れる。
静かに、「そっか」と頷いた声は湯気に溶け、リーシャの耳には届かず――。
その言葉の温度を知る者は、誰もいなかった。
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